今から1、2年ほど前、
東京・葛飾区亀有にある香取神社の祭礼に出かけた。
この神社は見るからに格式の高そうな神社で、
たしかこの地域の鎮守の社だ。
場所はJR亀有駅からほど近く。
この方面では知らないひとはいない
大ショッピングセンター「Ario」とはほんの目と鼻の先である。
■
わたしが訪ねたのはもう夕暮れ時だったろうか、
暗くなってきていた。
徐々に神社に近づくにつれて、
お祭り特有の賑やかさが感じられてきた。
近所の子どもたちも忙しく走り回っている。
大人たちもどこかそわそわしているかんじ。
もちろん子どもみたいにはしゃぐわけにはいかないので、
「ああ今年もそんな時期か」といった余裕の風情を
見せてはいるものの心中は穏やかではないにちがいない。
一刻も早く「現場」へ駆けつけたいのは
子どもも大人も一緒なのだろう。
そう思いながら、わたし自身心なしか足早になる。
■
昔はきっと参道だったんだろうなといった印象の
神社前の道を歩いていると、どこからともなく
子どもたちの声が耳に飛び込んできた。
おそらく女の子だ。
「ああ! お祭りのにおいがしてきた!」
お祭りのにおい!
そういえば、そのときわたしも、たとえば、
あの屋台の焼きそばの香ばしいにおいとか、
ワタアメの甘い香りとか、
なんやかやが混ぜ合わさったような摩訶不思議なにおいを
たしかに嗅ぎ取っていた。
そう、そうなのだ。
わたしたちをお祭りに駆り立てる要因には
この「におい」という訴求力満点の「実体」があるのである。
もちろん集団から沸き起こる喧騒や
焼きソバを焼くときのジュウジュウいう音なども必要不可欠だが、
忘れてならないのがこの「におい」なのだ。
お祭りの「におい」にはわたしたちを力ずくで
引っ張ってゆく不思議なパワーがある。
わたしたちはそれに抵抗しないだけでなく、
むしろ自らすすんでスタスタ足早になる……。
■
ふだんなら広く感じられる境内も
このときばかりはひどく狭苦しかった。
押すな押すなの満員電車状態なので、
わたしは軽く一周してあっけなく退散した。
しかし、
お祭りの「真価」は、実は、終わった後に来る。
■
祭りの後の静寂が支配する境内。
さっきまでのあの喧騒はどこへ行ったのか。
わたしたちを引きつけたあの「におい」はどうしたのか。
だがそんな人間の感傷には冷淡に、
まるではじめからお祭りなんかなかったかのように
「現場」はそ知らぬふうだ。
上の写真はたしか、お祭り最終日だったろうか
(ちょっと覚えていないのだが)。
屋台もなにもない。すべて撤去されている。
覚えているのは、
この写真を撮った直後に灯りがいっせいに消えたこと。
祭りが終われば、
夜の神社はこんなふうに暗いものなのだ、
と否応なく思い知らされた。
……が、それでもわたしは
懲りずにまたお祭りへ行こう
と思ってしまうのだった。
東京・葛飾区亀有にある香取神社の祭礼に出かけた。
この神社は見るからに格式の高そうな神社で、
たしかこの地域の鎮守の社だ。
場所はJR亀有駅からほど近く。
この方面では知らないひとはいない
大ショッピングセンター「Ario」とはほんの目と鼻の先である。
■
わたしが訪ねたのはもう夕暮れ時だったろうか、
暗くなってきていた。
徐々に神社に近づくにつれて、
お祭り特有の賑やかさが感じられてきた。
近所の子どもたちも忙しく走り回っている。
大人たちもどこかそわそわしているかんじ。
もちろん子どもみたいにはしゃぐわけにはいかないので、
「ああ今年もそんな時期か」といった余裕の風情を
見せてはいるものの心中は穏やかではないにちがいない。
一刻も早く「現場」へ駆けつけたいのは
子どもも大人も一緒なのだろう。
そう思いながら、わたし自身心なしか足早になる。
■
昔はきっと参道だったんだろうなといった印象の
神社前の道を歩いていると、どこからともなく
子どもたちの声が耳に飛び込んできた。
おそらく女の子だ。
「ああ! お祭りのにおいがしてきた!」
お祭りのにおい!
そういえば、そのときわたしも、たとえば、
あの屋台の焼きそばの香ばしいにおいとか、
ワタアメの甘い香りとか、
なんやかやが混ぜ合わさったような摩訶不思議なにおいを
たしかに嗅ぎ取っていた。
そう、そうなのだ。
わたしたちをお祭りに駆り立てる要因には
この「におい」という訴求力満点の「実体」があるのである。
もちろん集団から沸き起こる喧騒や
焼きソバを焼くときのジュウジュウいう音なども必要不可欠だが、
忘れてならないのがこの「におい」なのだ。
お祭りの「におい」にはわたしたちを力ずくで
引っ張ってゆく不思議なパワーがある。
わたしたちはそれに抵抗しないだけでなく、
むしろ自らすすんでスタスタ足早になる……。
■
ふだんなら広く感じられる境内も
このときばかりはひどく狭苦しかった。
押すな押すなの満員電車状態なので、
わたしは軽く一周してあっけなく退散した。
しかし、
お祭りの「真価」は、実は、終わった後に来る。
■
祭りの後の静寂が支配する境内。
さっきまでのあの喧騒はどこへ行ったのか。
わたしたちを引きつけたあの「におい」はどうしたのか。
だがそんな人間の感傷には冷淡に、
まるではじめからお祭りなんかなかったかのように
「現場」はそ知らぬふうだ。
上の写真はたしか、お祭り最終日だったろうか
(ちょっと覚えていないのだが)。
屋台もなにもない。すべて撤去されている。
覚えているのは、
この写真を撮った直後に灯りがいっせいに消えたこと。
祭りが終われば、
夜の神社はこんなふうに暗いものなのだ、
と否応なく思い知らされた。
……が、それでもわたしは
懲りずにまたお祭りへ行こう
と思ってしまうのだった。