葛西城址公園の「裏側」(仮に「表側」が公園のすぐ目の前を通る環状7号線だとすれば、ですが)には中川が流れています。その土手道を歩いていると、真っ赤な立て札(?)がありました。
写真の「青戸七丁目のまちなみ」と題されたその表示にはこう書かれてあります。
「このまちは、平成16年に移転した東洋インキ青戸工場跡地のまちづくりによって、安心して歩けるまちに生まれ変わりました。
このまちの自然や季節や歴 . . . 本文を読む
旧葛西城の中心部分を縦断する環状7号線とその東側を流れる中川とに挟まれたエリアには、かつて東洋インキ青戸工場という大きな工場がありました。たしか、平成16年に移転し跡地には高層マンションが建つはずです。もう完成したでしょうか?
じつは、この地は「隠れた名所」です(?)。東洋インキ青戸工場は、かつて吉本隆明氏が技術者として勤務していた場所なのです。…ただ、それだけですが。実際ここを訪ねてもなにもあ . . . 本文を読む
葛西城跡地の探検のつづきです。環状7号線がかつての葛西城の中心を通っている点についてはすでにふれましたが、そのすぐ近くで環状7号線は水戸街道(国道6号線)と交差しています。
両方とも交通量の多い道路ですから、当然、その交差点はしばしば交通渋滞を引き起こします。ラジオの交通情報を聞いていると、よくここが渋滞であることを知らせています。
そこでわたしの「妄想」を披瀝すると──
かつて交通・経済の . . . 本文を読む
旧葛西城のすぐ東側、というか実感的には「裏手」を中川が流れています。
わざわざ中川に隣接して築城したのですから、きっと、お城にとって中川は重要な意味をもっていたのでしょう。
『葛西城──中世の暮らしと戦を知る』によると、青戸は葛西地域の政治経済の中心地であったそうです。だから、「青戸城」ではなく「葛西城」なのだ、とも。なかなか説得力のある話ではありませんか。このあたりは「都市的な場」だったと書 . . . 本文を読む
旧葛西城はいま環状7号線によって東西に分断され、2つの公園としてかろうじてその「痕跡」をとどめていますが、今回はもう一つ、東側にある「葛西城址公園」を訪ねてみました。
といっても、こちらは御殿山公園ほどには「奥行き」がありません。視界が開けているというか、なんにもないというべきか…。
西側の「御殿山公園」と名前だけ比べると、こちらのほうがお城の跡地としてはメインっぽく思えるのですが、実際に行っ . . . 本文を読む
葛西城とは直接関係ないのですが、以前から不思議に思っていることがあります。
それは、葛飾がらみの文献を読んでいると(たとえば今回参照している『葛西城──中世の暮らしと戦を知る』もそうなのですが)、御殿山公園内に「藤綱神社」の祠がある、と書かれているのをよく目にします。ですが、わたしは今度の「探険」でも、あるいはそれ以前も、それらしき祠を見つけることができませんでした。
藤綱神社はどこかへ移転し . . . 本文を読む
前回報告したとおり、葛西城の跡地にはいま2つの公園があります。そのうちの一つが「御殿山公園」。東西に分かれてあるうちの西側のほうの公園です。
御殿山というと、お台場に化けた品川の御殿山が有名ですが、葛飾区にもあるわけです(ただし、わたしの知る限りでは、現在、葛飾区内において御殿山という地名はこの公園に名を残すくらいで他にはないと思われます)。
さて、この下町の御殿山公園はさほど広いというわけで . . . 本文を読む
東京の下町にお城があったという事実はあまり知られていないのではないでしょうか。わたし自身はじめて知ったのはそう遠い昔ではありません。
お城の名前は「葛西城」。いまはもう跡形なく消え去っていますが、しかし、しっかり発掘調査は行われたのでした(よかった、よかった)。
では、一体どんなお城だったのか? これから断続的に、現地の「探険」を交えつつ、紹介します。なお、記述にあたっては『葛西城──中世の暮 . . . 本文を読む