大晦日。毎年同じように切羽詰まりながらこの日を迎える。学習能力がないと言ってしまえばそれまでだけど、新年の準備以外にもやりたいこと、やらなければならないことはあれこれある。それを言い訳に、今年も普段着のまま年を越そうと思っている。
昨年から世界中に蔓延した疫病の勢いが衰えぬまま今年を迎え、1年遅れで開催された東京オリンピック・パラリンピックに時を合わせるように国内では感染が広まった。因果関係についてはわからないし、今後精査されることはないと思う。その間、十分な医療を受けられずに命を落とされた方も多くいらした。「自分はマスクをしているから大丈夫」という思いの奥で「いつか自分の身にも…」という不安も同居していた。世界に目を転じれば、新型コロナウイルスの猛威は日本の比ではない。もちろん、人の命に係わることなので、単純に亡くなられた方の人数で比べるものではないのはわかっている。そして、だから日本は安心というつもりもない。
そして、こうした状況下でも世界のあちこちで紛争が起き、また起きようとしている…いや、起こそうとする人たちがいると言った方がいいだろうか。僕自身もすべてに寛容でいられない時があるけど、それが最も如実に表れるのは寛容性を持たない人と対峙する時で、少し自己矛盾を感じつつも、そこは大事にしているし、していこうとも思っている。
そんなことを思うのも、最近起きた痛ましい事件を受けてだ。走行中の電車内やクリニックなどで、多くの人を殺傷することを目的とした事件に強い憤りを覚える。その一方で、いつ自分が加害者の側にならないかという不安も感じる。正直、僕の心の中にも誰かの幸せを妬む気持ちがある。そして時々、その気持ちが表に出ることもある。誰かを傷付けたいという衝動に駆られることはないものの、その気持ちを抑えようとしても抑え切れないことに不安になる。そして、時に強い拘りを捨て切れないことも。
身近で最も寛容性のないのが、実の母親。その縁を切るという訳にもいかない。母が亡くなったら自由になれるのだろうかと思うけど、その日を待ち続けるのもまた自分の心を蝕んでいく。来年は上手く自分の時間を作れたらと思いつつ、一方で職場で日々起きる問題にも対処しなければならないし… で、心と部屋と机には様々なものが溜まっていく。
どうにも八方塞がりな中、昨日から年賀状を書くために旧いパソコンを動かしているんだけど、いざ「印刷を」というところで先に進まない。Windowsアップデートを適用していないことが原因らしく、それを幾度か試しているものの進まない。10数枚ほどしか書かないけど、年内に年賀状を発送するというのを諦めるしかないかな。今から手書きは難しいし。そして、この年賀状という束縛とも、もうそろそろお別れしたいと思いながらも、なかなか気持ちを変えられずにいる。まあ、来年のことは一晩明けたら考えよう。
「来年こそは!」という気持ちとともに、みなさんよいお年を。