あしたはきっといい日

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福祉とは

2021-05-02 21:24:19 | 立ち止まる

昨夜放送されたNHKのドキュメンタリー『たどりついたバス停で〜ある女性ホームレスの死〜』を、今日になって視た。

昨年11月の深夜、バス停のベンチで体を休めていた女性が殺害された。数年前に家賃を払えなくなった住まいを出て、更にコロナ禍の影響で仕事を失い、路上生活を続けながら命を繋いできた。誰にも頼ることができなかったのか、頼ろうとしなかったのか、彼女は何とか自分自身で生活を立て直そうとしていたものの、ただでさえ弱い立場の人には情け容赦ない社会である上に、コロナ禍が追い打ちをかけた。食べることもままならずに命を奪われる人もいる。それも放置していい訳ではないけど、こんな時代だからこそ助け合う必要があると思うものの、彼女は「邪魔だった」という理由にもならない理由によって命を奪われた。

日本の福祉政策は、有権者の顔色を窺う政治家の都合によって決められている感がある。そしてそもそも、潤沢な資金は「グリーンピア」など役人たちが取った施策の失敗により毀損されたものの、そのツケは国民に回され、それに対し僕も含め大多数の人は異を唱える訳でもなかった。

また一方で、生活保護に関して言えば「不正受給」を理由に厳格さを超えた審査や、そもそも受理しないという考えが強いと聞く。困っている人自身も生活保護を受けることに負い目や引け目を感じ、頼れないという風潮もある。もしかしたら、それは誰かに作られたものなのかもしれない。

福祉の話題が出る度に、あるドキュメンタリー作品を思い出す。是枝裕和さんが作られた『しかし…福祉切り捨ての時代に…』 将来を嘱望された環境庁の官僚と荒川区に住む女性の、全く接点のない二人が自ら死を選んだことから、この国の福祉について、そして行政について問う作品だった。本は亡くなられた官僚の方の生い立ちから最後の選択までを、ご遺族はじめ関係者への取材をもとに丁寧に描かれていた。

担当者として、また責任者として、目の前に困っている人がいて条件反射的に救いの手を差し伸べようと思っても、それができない。それは、その組織の目的に叶うものであっても、実体としての組織からは許されない。本を読んだ頃は、こうしたことは役人の世界だけだと思っていたけど、今、管理職的な立場に立ってみると、そうしたことは民間でも同様にある。そして僕は、そこを上手く立ち回れずにいる。

さて、福祉に関しては「税と社会保障の一体化」が言われるけど、それは一向に進まない。シンプルなシステムにすればコストも抑えられ、その分社会保障に回す原資を厚くすることもできるだろうに。たぶん「お金が動くところ利権あり」と言われるように、利権をめぐる縄張り争いが邪魔をしているのだろう。

とはいえ、目の前には困っている人がいて、様々な愚策によりコロナ禍が続く中でさらに悪化していくだろうし、僕自身もいつ困窮するかわからない。長期的な視野に立ち今の仕組みに対し異議を唱えることも必要だし、一方でそれを言い訳に目の前の事象をただ眺めていればいいというものでもない。それもあり、先日ある取組に対する支援を申し出た。彼女を救うことはできなかったけど、誰かの命が繋ぎ止められ、少しでも笑顔でいてもらえたらと願う。いつまで続けられるかはわからないけど、続けていくことを目的にしたい。

話があちこち飛んでしまったけど、最後に、この番組を作り、放送してくれたことにお礼を言いたい。問題提起もあるけど、一人の女性が懸命に生きた証を残してくれたことに。亡くなられたことは悲しいけど、あの写真の笑顔が、そして、試食販売で楽しそうにお客さんに接客されていたことが、彼女を知る人たちの記憶に残っていってほしい。


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