皆様、お元気にお暮らしのことと思います。
私のブログが結構、広く読まれていたことを、知らないで、仕方なく国内向けに、やけになって、上から書いたことがあったのですが、それを外国人の皆様は、外国人向けに書いたと思ったようです。
それで、私の心を、少し説明したいと思います。
夏休みに、「太平洋戦争」の初めに、日本軍が、多少優位に進めていた頃に、USA、UK兵士の捕虜に対して、傲慢に暴力的に悠然と振舞う日本人将校の様子を初めて「ナショナルジオグラフィック」のビデオで見ました。それまでは、敗戦の様子ばかりを見ましたので。
そういえば、UKのエマ・ワトソンさん(ハリーポッターのハーマイオニー役)も、きっと私の「模擬日本刀」の件で、そんな印象を持ったのかなと少し心配になりました。
日頃の私は、そうではなくて、やはり大切な知識はみんな、キリスト教はじめ、先進諸国からだったことに、もっと敬意を持たないと「日本人として恥ずかしい」と言っているのですが、しばしば、私もあの捕虜の皆さんのように、周りの人々の一方的な態度に、我慢しなければならないことがあったりします。仕事を変えたり、進学した時です。
つまり、個人の努力不足をいちいち問題にして、議論できないくらいに様々な大量の問題を、それなりに、頭に詰め込んで考察し、自分なりの聖性の努力で統合的にまとめてあるからです。
それで、私は、彼ら(捕虜の兵士たち)の親になったみたいに、非常に虚しく、申し訳なく、その様子を見ました。
もちろん、その数年後、あるいは数ヵ月後には、逆に、暴力的な彼ら(日本軍)は、全滅したであろうことも知っているので、日本邦人としても虚しさが残って、生きる気力にも一時的に影響してしまいます。
しかし、現実であり、しかも、かなりの割合で、日本人は、今の若い人々まで「恨み」のようなものを、心の底に残している場合が多いです。
その上で、社会が軽いので、私にはお手上げです。
同胞への怒りが蓄積してしまう原因です。
ですから、私たち日本人にとって、真の軽さを理解する必要があります。
聖書にも、イエス様は「私の荷はおいやすく、軽い」とあるとおりです。
最もカトリック教会はじめ、キリスト教会では、「イエス様が宣教中の使徒達が、全てを共有していた」のを、とって、神学校や修道院に簡単に進ませる理由にした場合には、十字架の処刑間近の時に、イエス様が「これからは、剣のあるものは、剣を取りなさい」として、その能力とをしっかりと守るよう命じられていることを、軽んじていると思います。
一般の日本社会では、天使を女性化して描くのですが、それは、間違いだと思います。実際に女性でも、男性でもないわけですし。(男性化、女性化の表現は生まれていますが。つまり「ミカエル」と「ミカエラ」みたいなものでしょうか?)少なくとも聖書では、よく「青年」として人間界に現れますが。
それによって、「古事記」の「国譲り」のシーンの、神々の上位にある神の、下位の神々に対するダイナミックな強さを、描く箇所に重ねてしまうと、キリスト教が、本当に弱いもののように感じるのです。
ところが、1億人の日本人社会では、そのことを考えません。困ったものです。
USA、UK、ロシア、オーストラリアの皆様もこの点で、しばしば不満だと思いますが、社会の環境を厚くすることで簡単に、この問題は、解消できます。
なんにしてもお互いに誤認識によって、戦争状態を作り出すのは、決して良くないと思いますので、十分に注意したいと思います。
文化の違いを乗り越えるには異常な努力を要するのですね。
少なくとも私は誰にも媚びるつもりはありませんし、しっかりとした結婚と家庭を、実現することも必ずしようと思います。
では皆様お元気でお暮らしください。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.
私のブログが結構、広く読まれていたことを、知らないで、仕方なく国内向けに、やけになって、上から書いたことがあったのですが、それを外国人の皆様は、外国人向けに書いたと思ったようです。
それで、私の心を、少し説明したいと思います。
夏休みに、「太平洋戦争」の初めに、日本軍が、多少優位に進めていた頃に、USA、UK兵士の捕虜に対して、傲慢に暴力的に悠然と振舞う日本人将校の様子を初めて「ナショナルジオグラフィック」のビデオで見ました。それまでは、敗戦の様子ばかりを見ましたので。
そういえば、UKのエマ・ワトソンさん(ハリーポッターのハーマイオニー役)も、きっと私の「模擬日本刀」の件で、そんな印象を持ったのかなと少し心配になりました。
日頃の私は、そうではなくて、やはり大切な知識はみんな、キリスト教はじめ、先進諸国からだったことに、もっと敬意を持たないと「日本人として恥ずかしい」と言っているのですが、しばしば、私もあの捕虜の皆さんのように、周りの人々の一方的な態度に、我慢しなければならないことがあったりします。仕事を変えたり、進学した時です。
つまり、個人の努力不足をいちいち問題にして、議論できないくらいに様々な大量の問題を、それなりに、頭に詰め込んで考察し、自分なりの聖性の努力で統合的にまとめてあるからです。
それで、私は、彼ら(捕虜の兵士たち)の親になったみたいに、非常に虚しく、申し訳なく、その様子を見ました。
もちろん、その数年後、あるいは数ヵ月後には、逆に、暴力的な彼ら(日本軍)は、全滅したであろうことも知っているので、日本邦人としても虚しさが残って、生きる気力にも一時的に影響してしまいます。
しかし、現実であり、しかも、かなりの割合で、日本人は、今の若い人々まで「恨み」のようなものを、心の底に残している場合が多いです。
その上で、社会が軽いので、私にはお手上げです。
同胞への怒りが蓄積してしまう原因です。
ですから、私たち日本人にとって、真の軽さを理解する必要があります。
聖書にも、イエス様は「私の荷はおいやすく、軽い」とあるとおりです。
最もカトリック教会はじめ、キリスト教会では、「イエス様が宣教中の使徒達が、全てを共有していた」のを、とって、神学校や修道院に簡単に進ませる理由にした場合には、十字架の処刑間近の時に、イエス様が「これからは、剣のあるものは、剣を取りなさい」として、その能力とをしっかりと守るよう命じられていることを、軽んじていると思います。
一般の日本社会では、天使を女性化して描くのですが、それは、間違いだと思います。実際に女性でも、男性でもないわけですし。(男性化、女性化の表現は生まれていますが。つまり「ミカエル」と「ミカエラ」みたいなものでしょうか?)少なくとも聖書では、よく「青年」として人間界に現れますが。
それによって、「古事記」の「国譲り」のシーンの、神々の上位にある神の、下位の神々に対するダイナミックな強さを、描く箇所に重ねてしまうと、キリスト教が、本当に弱いもののように感じるのです。
ところが、1億人の日本人社会では、そのことを考えません。困ったものです。
USA、UK、ロシア、オーストラリアの皆様もこの点で、しばしば不満だと思いますが、社会の環境を厚くすることで簡単に、この問題は、解消できます。
なんにしてもお互いに誤認識によって、戦争状態を作り出すのは、決して良くないと思いますので、十分に注意したいと思います。
文化の違いを乗り越えるには異常な努力を要するのですね。
少なくとも私は誰にも媚びるつもりはありませんし、しっかりとした結婚と家庭を、実現することも必ずしようと思います。
では皆様お元気でお暮らしください。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.