皆様お元気のことと思います。私のことで、みんな想い想いに、憶測してくれてます。
良く言えばです。しかし、ある若者が「災害の時以外に、話す気はない」と言って、平然と日常のほとんどを私に対して、否定的に過ごしています。
これが現実です。 つまり、同じ日本語なのに、私ならば、氷山の上の方だけ話します。多くの考察や気遣いもたくさんありますが、実際には、気遣わせないように、それは、伝えません。
しかし、それを知らずに、むしろ逆に、それを利用して、自分たちの文化を、優れていると言っているのです。
私は、実は、子供の時から、人生の目標は、変わらないで、心の底に持っていましたが、たいてい人間は、他人に間違った形で「干渉」的です。だから私は、修道院に無理に泊めてもらって、何度も何度も考えて、自分自身もそうゆうことを無くしました。
その意味では、思い切った行動が、良いとは思います。
ですから、オバマ大統領さま、あまり心配をされませんようにお願いします。
今まで、USAに行けなかったのだから、簡単には、行けないのかもしれませんが、私は、いつもそのことを、考えております。
しかし、途中で投げ出すことも出来ません。
今日、母の所に歩きながら考えて、「自分で果たさなくても他の専門家に委ねてオバマ大統領と一緒に政策の安定に努めたほうがいい」とも感じました。
しかし、今日は、前に書いた「空に浮かぶ?神の火」・・・日中は、やはり空しかないところなので、そう思うのですが?が見えませんでした。天候が悪かったからでしょうけれど、いつもは必ず、まるでただの「街路灯」のように私には見えています。しかし、揺らめいて燃えている火のようです。
そして、思い出してみると「人間的成功」との関係ではなく、苦しくても、本来の自分の生きる使命に、耐えている時は、かなりの確率で見えています
しかし、困ったことに「日本社会」の善意は、軽いのです。私が思うに、その時の表面だけ取り繕って維持するために「認知症」になるのです。一般社会も同じです。もちろん、私の知らない「USA社会」も存在していて、同じ問題がある可能性もあります。
だからと言って「カテキズム」そのものが、今の社会では、人々に重すぎますか・・・残念なのですが・・?
なぜ、カトリック教会が「カテキズム」を軽くして、「同性愛容認」になってしまったか?そして、何よりも「本来の人としての正義感を失った」のか?これは問題です。
だから、USA大統領は、「人間の最も基本的な規範を、守る使命」にあると思われます。本来それは、信仰同様、大金を支払っても維持保守すべき問題です。
従来の自然な形ならば「全てを投げ打って、USA訪問、そして、共同体に合流」すべき時、または日本で大きな責任ある地位に就くべき時と思います。
しかし、本当に、そのための資金がないのと、私に関しては、過去20年近く、私の人間的な自然に、必要とする問題を、勝手に制限されたために、すぐには、動けないのです。これは、教会の問題でもあったとも思います。
しかも、この「正義感」について、多くの日本人には、見えない問題です。
条件が、いつ、整うのかさえわかりません。しかし、それでも、争いを最小限にしながら、進めて行きます。
従来の考え方では、確かに、神の知識がないことは「原始的」なことです。しかし、現代においては、私たちが十分以上に優しく、実際には気前が良いために、お金がありません。しかし、逆の関係は、ないのです。「昔の恩を返せ」と言っても、意味が、通じないのが、現代です。
つまり、ここに、現代的な神の知恵の必要が、あります。私も、いつも、この頃は、それを、祈り求めています。
そして、日本社会も大切に思いますし、地域社会も大切に思います。そして、USAの市民の皆様についても大切に思います。
今年の夏休みに感動したことは、USAの「BODY FARM」についての「ナショナルジオグラフィック」のビデオです。USAの軍人を退官した老人が、「人の死体」の研究に、ご自身の遺体を差し出し、自然の大地上で、白骨になる試験をした様子が、よくまとめられておりました。
このようなことに、自分の死んだ体を差し出すとは、なんということだと思いました。
私には、できないすごいことです。
そのような蓄積が、確かに、USAには、あるのです。
今回のオバマ大統領の「メール」は、ある意味正しいと心から思っております。
実際に日本政府や行政機関ならば返事さえないかもしれないことです。
そして、日本人には、そのような立派な社会習慣は、ほとんど見られません。
まして、田舎では、そんな問題すら知られていません。
沖縄の兵士による日本人少女に対する肉体的強姦?罪を、一方的には信じられない理由です。
自分が去ったならば、一体、私のこの家族は、どうなるのだろうと考える所以です。
そして、USAに入れば、その生活になれるまで、正しい行為について、考えることが、できません。
かなり、時間が、必要と思います。しかし、大事なことです。
場所が変わっても全力で、・・・つまり日本国内でも努力していれば、きっと心が、通じると信じます。私が、神父になることはありません。決してありません。
苦しい締めくくりですが、皆様の神様の恵と平安と祝福がありますように。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.
良く言えばです。しかし、ある若者が「災害の時以外に、話す気はない」と言って、平然と日常のほとんどを私に対して、否定的に過ごしています。
これが現実です。 つまり、同じ日本語なのに、私ならば、氷山の上の方だけ話します。多くの考察や気遣いもたくさんありますが、実際には、気遣わせないように、それは、伝えません。
しかし、それを知らずに、むしろ逆に、それを利用して、自分たちの文化を、優れていると言っているのです。
私は、実は、子供の時から、人生の目標は、変わらないで、心の底に持っていましたが、たいてい人間は、他人に間違った形で「干渉」的です。だから私は、修道院に無理に泊めてもらって、何度も何度も考えて、自分自身もそうゆうことを無くしました。
その意味では、思い切った行動が、良いとは思います。
ですから、オバマ大統領さま、あまり心配をされませんようにお願いします。
今まで、USAに行けなかったのだから、簡単には、行けないのかもしれませんが、私は、いつもそのことを、考えております。
しかし、途中で投げ出すことも出来ません。
今日、母の所に歩きながら考えて、「自分で果たさなくても他の専門家に委ねてオバマ大統領と一緒に政策の安定に努めたほうがいい」とも感じました。
しかし、今日は、前に書いた「空に浮かぶ?神の火」・・・日中は、やはり空しかないところなので、そう思うのですが?が見えませんでした。天候が悪かったからでしょうけれど、いつもは必ず、まるでただの「街路灯」のように私には見えています。しかし、揺らめいて燃えている火のようです。
そして、思い出してみると「人間的成功」との関係ではなく、苦しくても、本来の自分の生きる使命に、耐えている時は、かなりの確率で見えています
しかし、困ったことに「日本社会」の善意は、軽いのです。私が思うに、その時の表面だけ取り繕って維持するために「認知症」になるのです。一般社会も同じです。もちろん、私の知らない「USA社会」も存在していて、同じ問題がある可能性もあります。
だからと言って「カテキズム」そのものが、今の社会では、人々に重すぎますか・・・残念なのですが・・?
なぜ、カトリック教会が「カテキズム」を軽くして、「同性愛容認」になってしまったか?そして、何よりも「本来の人としての正義感を失った」のか?これは問題です。
だから、USA大統領は、「人間の最も基本的な規範を、守る使命」にあると思われます。本来それは、信仰同様、大金を支払っても維持保守すべき問題です。
従来の自然な形ならば「全てを投げ打って、USA訪問、そして、共同体に合流」すべき時、または日本で大きな責任ある地位に就くべき時と思います。
しかし、本当に、そのための資金がないのと、私に関しては、過去20年近く、私の人間的な自然に、必要とする問題を、勝手に制限されたために、すぐには、動けないのです。これは、教会の問題でもあったとも思います。
しかも、この「正義感」について、多くの日本人には、見えない問題です。
条件が、いつ、整うのかさえわかりません。しかし、それでも、争いを最小限にしながら、進めて行きます。
従来の考え方では、確かに、神の知識がないことは「原始的」なことです。しかし、現代においては、私たちが十分以上に優しく、実際には気前が良いために、お金がありません。しかし、逆の関係は、ないのです。「昔の恩を返せ」と言っても、意味が、通じないのが、現代です。
つまり、ここに、現代的な神の知恵の必要が、あります。私も、いつも、この頃は、それを、祈り求めています。
そして、日本社会も大切に思いますし、地域社会も大切に思います。そして、USAの市民の皆様についても大切に思います。
今年の夏休みに感動したことは、USAの「BODY FARM」についての「ナショナルジオグラフィック」のビデオです。USAの軍人を退官した老人が、「人の死体」の研究に、ご自身の遺体を差し出し、自然の大地上で、白骨になる試験をした様子が、よくまとめられておりました。
このようなことに、自分の死んだ体を差し出すとは、なんということだと思いました。
私には、できないすごいことです。
そのような蓄積が、確かに、USAには、あるのです。
今回のオバマ大統領の「メール」は、ある意味正しいと心から思っております。
実際に日本政府や行政機関ならば返事さえないかもしれないことです。
そして、日本人には、そのような立派な社会習慣は、ほとんど見られません。
まして、田舎では、そんな問題すら知られていません。
沖縄の兵士による日本人少女に対する肉体的強姦?罪を、一方的には信じられない理由です。
自分が去ったならば、一体、私のこの家族は、どうなるのだろうと考える所以です。
そして、USAに入れば、その生活になれるまで、正しい行為について、考えることが、できません。
かなり、時間が、必要と思います。しかし、大事なことです。
場所が変わっても全力で、・・・つまり日本国内でも努力していれば、きっと心が、通じると信じます。私が、神父になることはありません。決してありません。
苦しい締めくくりですが、皆様の神様の恵と平安と祝福がありますように。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.