現在は超いい加減な性格になってしまいましたが。
小さな頃、特に幼稚園から小学校低学年の頃は、漫画なり映画の結末が、含みを持たせた結末が嫌で、その先がどうなるんだろうかという事が気になり、いつまでも納得出来ない気持ちで居たのを、思い出します。
納得出来ないからと、いつまでも悩んでいた事を、思い出します。
いわゆる「せからしい(面倒くさい)性格」でした。
母親の悩みの種だったと思います。
その後、伯父さんの所に預けられて、悩んでも仕方ない事を自覚してからは、まったく悩みませんでした。
どうにもならない環境に、悩む意味が無いと思ったからだと、感じます。
成育環境が、性格まで変えてしまうんでしょうかね。
それから、ちょっと投げやりな性格になっていました。
粘り強い作業が、出来なくなっていました。
私の処世訓の「なる様にしか、ならない」はこの頃に芽生えた感情だと思います。
加えて小学五年の一年間は、足をギブスで固定されていたので、松葉杖で不自由な生活でした。
その環境に甘えて、依頼心の強い子供になっていました。
何でも自分からやらない性格を、矯正してくれたのが、小学六年の担任だった女の先生でした。
性格を見透かされていました。
先生の初めの言葉から衝撃でした。
「あんた、何をしてるの!」「早く自分でやりなさいよ」でした。
私も思いました。「なんだ、こいつ。もう少し優しくそろよ」でした。
この先生は、徹底して手心など加えてくれませんでした。
そうする内に、自分の甘えを自覚せざるを得ない様に、なっていました。
こんなんじゃ駄目なんだって。
中学に入る頃には、普通の子供になっていたと、思います。
しかし中学では、急に大人の世界に放り込まれた感覚でした。
毎日の生活で学びを覚え、段々と社会性を身に付けて、大人の世界が見えて来た様に思います。
大人になる為に、受け入れなければならない事、他人を受け入れる事など、自分の中で作り上げた価値観を、仕切り直された時間でもありました。
大人になる為の、理不尽な時間でもあり、幼く懐かしい時間でもありました。
受け入れる事の大切さを、教えてくれる時間でもありました。