とりあえずメロディーに関しては僕は「心地良い」とか「五月蠅い」程度の判断しか
出来ないので何も触れません。
日本人なら誰でもわかる歌詞について僕個人が思う事を。
注:僕は何においてもド素人なので適当なことを書きます。すみません。
僕が槇原敬之を知った曲は・・・
僕はありがちな「どんなときも。」で掴まれたタイプ。
それから前に戻ったり、新しいアルバムが出る度予約して買うぐらい好きでした。
今は嫌いではないけどそれほど好きではないのです。
アルバムも買ってないし。
原因は「Hungry Spider」を聴いた時に発生した違和感から。
まぁこれに触れるのは野暮なので放置しますが「なんじゃこりゃ?」と思ったのを
今でも鮮明に覚えております。
(↑こんな事書いてたらみんなそのものを書いてるのと同じか)
まぁ嫌いではないので悪口を書くつもりはないです。
ただ、どうしても好きになれない「世の中では名曲」ともてはやされている曲があるのです。
美味しい物は最後に取っておく派ではないですがそれは最後に。
まず、槇原敬之の素敵歌詞だと思う曲を数多ある名歌詞の中から絞りに絞って3曲。
それぞれちょっとずつ、何か書いてみようかと。
1曲目
◎「LOVE LETTER」/UNDERWEAR
僕が槇原敬之の曲の中で1番好きな曲。
歌詞に捨てる場所かほぼない気がする。
しいて言うならDメロぐらいかな。
2番の歌詞がもうね、何も言えないぐらい好きでね。
曲の最後の
「何回も 何回も
書き直した手紙は
ずっと僕のポケットの中」
と共にこの青年の甘酸っぱい思い出としてずっと残るんだろうなって。
ジワっと来る。
手紙がポケットの中でぐちゃぐちゃになって読めなくなった時に次の恋へと進むのさ。
そんな事を勝手に思ったりする大好きな曲です。
2曲目
◎「今年の冬」/PHARMACY
御多分に漏れず、捨てるところがない素敵歌詞。
少しどうかと思うところを書くとすれば
「気に入ってたセーターを
相棒の犬がかんでいて
ひどく叱りつけていたら
あげたのは私よと笑った」
「ひどく+叱る=虐待」的なニュアンスに受け取れちゃう。
僕はこれをたまに見え隠れする「槇原敬之の凶暴性」と呼んでいる。
ただ、「あげたのは私よと笑った」で帳消しにするというかオセロ的に裏返すのが
すげーと感嘆してしまうポイント。
3曲目
◎「ひまわり」/君は誰と幸せなあくびをしますか。
別れる恋人の話だけど明るささえ感じる凄さ。
1番のサビの
「なんだか笑顔が
優しくなったね
友達になるって
そんなに素敵なことかい?
くやしいから 君を
もっと笑わせよう
そして僕は 強くなっていく」
ポジティブさもそうなんだけど
「笑顔が優しくなる」という表現がすごくて悶えるね。
本当は別れる彼女の笑顔なんて見たくないはずなのに。
本当に初期の頃の槇原敬之は優しいなぁって思えるんだよ~。
僕が槇原敬之をあまり聴かなくなったのは歌詞から
「優しさ」が影を潜め「偽善」が表に出てきたと思ったから。
上に挙げた3つはアルバムの曲だと思う。
そんだけ聴き込んでたんだよね。
もう毎日聴いてたよ。
さて、今日のメインイベントです。
僕が槇原敬之の歌詞で1番好きじゃないヤツ。
「Hungry Spider」なんてのは論外なので書く気すらないです。
◎「世界で一つだけの花」/EXPLORER
一言で言うと「努力なんて無駄」と言ってるように聴こえちゃうのです。
最後のサビの
「NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one」
確かにそうなんだけどね。
僕ごときが書くのは失礼にもほどがあるとわかっているけど書かせていただくと
「NO.1になれなくてもいい
もともと特別なOnly one」
にするとかなり印象が変わるんだよな。
歌詞としてダサくなっちゃうとか僕にはわからない。
意味としてはこっちの方がいいと思う。
じゃないとこの人はただ生まれただけでなんも努力しないで満足しちゃってる。
って感じに受け取れるのですよ。
例えば2020年には東京オリンピックがあります。
僕は多分観ないけど、観る人は誰かを応援するでしょう?
その選手かチームに金メダル取って欲しいでしょう?
「NO.1にならなくてもいい」だと出るだけで満足な感じ。
「NO.1になれなくてもいい」だと努力してベストを尽くした結果及ばなかった感じ。
僕はそう感じるのです。
そもそもオリンピックって「各国でNo.1になった人の大会」な訳で。
スポーツをやっている方々でNo.1になりたくない人っているのかいな?
と疑問が出ます。
この曲の根本かもしれない1番のAメロ。
「花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて
争そうこともしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている」
そもそも、お花にとって「花屋の店先に並ぶ」ってエリートな訳ですよ。
どれぐらいの率かわからないけど
虫に食われたり
色や形が悪かったり
その他の原因で花屋に並べない花が沢山ある。
色や形が悪いのも「もともと特別なOnly one」だとするといわゆる落ちこぼれ。
この曲は初めから「落ちこぼれがいない世界」の中の話でしかない。
なんか揚げ足取りだけど続けますよ。
最初のサビで
「そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい」
「自分の花を咲かせる≠No.1になる」なのがなんか中途半端。
自分が出来る精一杯の努力をするにあたって目標をどう定めるか。
「No.1にならなくていい」って目標もありかもしれないけど目標って
「自分の中でのNo.1」でないと意味がないというか妥協しているというかね。
例えば大学を受験するとして
①東大には1日14時間勉強しても合格する可能性がほぼない
②早稲田なら1日7時間勉強すれば届く可能性がある
③自分に合う個性的な三流私大なら学校の勉強で合格できる
「NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one」
なんとなく③を選びそうなニュアンス。
①は自分の花以上の物を咲かせようとする努力だからNG.
②は自分の中でNo.1の選択。でもNo.1にならなくていいのです。
③がこの曲の主題な気がするんだよな。
僕に絡みついてくる「努力を否定する」感じ。
「頑張って咲いた花はどれも
きれいだから仕方ないね」
花屋に置いてある花ってのは例えるなら芸能界の人達。
一般的にきれいなのなのは当たり前。
確かに努力は半端ないと思いますが、皆さんNo.1になりたいはず。
途中途中でいい感じになるのだけどやっぱり最後の
「NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one」
ですべて台無しになっちゃうんだよな。
「ならなくていい」って「(そんなのになるぐらいなら)ならなくていい」だと思う。
否定形だ。
とどめの一撃だよ。
そもそも槇原敬之は「No.1」という曲を書いているし歌っているね。
「世界で一番
素敵な恋をしようよ
とりあえずそれが
僕らの目標」
シンプルに世界一を目指す感じ。
こっちの方が優しさがあって好きなんだよな。
2000年代に入って槇原敬之の偽善感が僕の中にこびりついちゃっただけの話です。
吐き出したかったのです。
ごめんなさい。
吐き出したからと言って何が変わる訳でもないですが。
後述になりましたが、敬称略システムでお送りしました。
ではでは。