kosakuの雑念

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ダクトテープ

2010-01-08 00:07:06 | 日記
ヘンリー・ペトロスキー著「<使い勝手>のデザイン学」を読む。
裏表紙には”電卓とケータイの数字配列はなぜ逆なのか?(中略)身のまわりの材料をとりあげ、その開発の歴史をひもときながら楽しく語るデザイン論”
だそうで、テンキー配列にまつわる話だけでも読む価値があるが(ただし文字内容が詰まりすぎていて、ちょっと疲れる本でもある)、けっきょく面白かったのはダクトテープの話であった。
スイスアーミーナイフと並んで、さまざまな局面で役立つグッズであるダクトテープの活用についていろいろと考えを巡らせるのはとても楽しい。


格安ジーンズがデフレの象徴なのか

2010-01-02 01:40:36 | 日記
もともとジーンズは高すぎ格安ジーンズがそもそも適性な価格だ、という意見もあるし、戦略価格なので客寄せあるいは店の激安感を演出するための仕掛けであるという意見もあろう。ちょっと考えただけでもこれだけ思いつくのに、どうしていきなりデフレスパイラル(デフレーショナリー・スパイラルのことらしいな)がどうこうで、1000円以下のジーンズがそれを象徴しているみたいな話になるのだろう。というよりデフレ論には詳細な事例がまるで提示もされず、さも科学的真理のごとく話されているのが気になるところである。山本夏彦風に言えばみんなインフレ時代が大好きなのだということなのだろうか。札をするべしいくらでもといったところか。もっとも私も物の値段が下がると悔しい思いをいつもしているのは確かだ。1万円で自分で納得して買った商品がしばらくすると5千円で売られているのを見ると自分が損をしたばかりか価値を見誤った愚かな人間にしか思えなくなってくる。事実としてはその商品に1万円の価値があるとマジョリティが考えなかったからこそ、5千円になっているというだけではあるが。自分だけが1万円の価値があると思うから買ったし、1万円の価値があると思う人間だけがその商品を手に入れればよい、それが効率的な資源配分じゃないかなどとうじうじ考えてもどうしようもない。そんな程度の支出ですらグダグダ考えてしまうのだがら、もっと高額なグッズがどんどん値下がりするんじゃ、様子見はしてしまうのは仕方がない。とはいえそれはそれで逆オークション状態なわけで、あまり値下がりを待ちすぎると誰かに買われてしまって手に入らないということにはなる。結局、ある品物を買ったらその品物の価格情報はなるべくみないということで精神の健康を保つほかないんじゃないか。

格安ジーンズがデフレの象徴なのか

2010-01-02 01:40:19 | 日記
もともとジーンズは高すぎ格安ジーンズがそもそも適性な価格だ、という意見もあるし、戦略価格なので客寄せあるいは店の激安感を演出するための仕掛けであるという意見もあろう。ちょっと考えただけでもこれだけ思いつくのに、どうしていきなりデフレスパイラル(デフレーショナリー・スパイラルのことらしいな)がどうこうで、1000円以下のジーンズがそれを象徴しているみたいな話になるのだろう。というよりデフレ論には詳細な事例がまるで提示もされず、さも科学的真理のごとく話されているのが気になるところである。山本夏彦風に言えばみんなインフレ時代が大好きなのだということなのだろうか。札をするべしいくらでもといったところか。もっとも私も物の値段が下がると悔しい思いをいつもしているのは確かだ。1万円で自分で納得して買った商品がしばらくすると5千円で売られているのを見ると自分が損をしたばかりか価値を見誤った愚かな人間にしか思えなくなってくる。事実としてはその商品に1万円の価値があるとマジョリティが考えなかったからこそ、5千円になっているというだけではあるが。自分だけが1万円の価値があると思うから買ったし、1万円の価値があると思う人間だけがその商品を手に入れればよい、それが効率的な資源配分じゃないかなどとうじうじ考えてもどうしようもない。そんな程度の支出ですらグダグダ考えてしまうのだがら、もっと高額なグッズがどんどん値下がりするんじゃ、様子見はしてしまうのは仕方がない。とはいえそれはそれで逆オークション状態なわけで、あまり値下がりを待ちすぎると誰かに買われてしまって手に入らないということにはなる。結局、ある品物を買ったらその品物の価格情報はなるべくみないということで精神の健康を保つほかないんじゃないか。

東大ノート

2010-01-02 01:15:23 | 日記
コクヨのドット入り罫線の付いたノート5冊パック(ノ-3CAT×5)を買った。別にそのフィーチャーがどうこうではなく、通常のキャンパスノートでも構わなかったのだが、表紙が気に入らなかったからである。このノートは売れているらしいのだが(といっても周囲から生の声で聞いたわけではない)、罫線をガン無視してせいぜい1ページ8行しか文字を書かない人間にとっては全くの無駄になってしまうのが残念というか商品化した人に申し訳ない気がする。とりあえず図形でもふんだんに使用してみようと思う。


道案内の英語

2010-01-02 01:02:22 | 日記
秋葉原から少し外れたところを歩いていたら英語を話す外国人に道を聞かれて、それが1キロメートルまでとはいかないが、それなりに距離のある地点に行きたいようだったので、言葉につまってしまった。首都高(高架)にぶつかったら、そこで曲がって高架に沿って歩いてくださいというようなことを英語でどう言うのかなあと思って、自分の脳内単語帳にはないということが分かってがっかりした。いろいろぐちゃぐちゃしゃべって納得はしてもらったとは思うのだが、良く考えたら地図を作ってやればよかったんじゃないかと思い立ち、今年から、京大型カードでも数枚持ち歩くことにしようと思い立ったのだった。