kosakuの雑念

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人は何者かになりたがるものなのか

2022-03-12 10:12:33 | 日記
東日本大震災から11年が過ぎた。
3月11日は死んだ子の歳を数える類いの辛気臭い人たちの話とか、毎年まいとし心の復興はまだ終わっていないの類いの話のテレビ番組であふれるので、できるだけテレビを避けて過ごした。
新聞も大差ないのだが、語り部になりたがる人たちというのがちょっとインフレ気味な感じがする。
重大な決断をした人いがいの話は結局はそれは大変でしたねえという返しをする他ない。
というかハッキリ言っていらない。
昨今のコロナ禍の対応で会社の上司同僚とその会社自体の本性がわかったという人は多いと思う。
震災もまた強力なリトマス試験紙としての作用があったはずで、そこでの見聞は知りたい。
それと果たして発している言葉は本当のものなのか。
コンラッドの小説「闇の奥」でクルツは「地獄だ。」と言って息絶える。
コンゴの奥地から戻ったこの語り部マーロウはクルツの婚約者の女性に最後に発したのはやはりあなたの名前でしたと語る。
そのことを喜ぶ女性を見るマーロウの複雑な心境が語られているのを唐突に思い出した。
ほんとうのことはフィクションという形でしか知ることはできないのかも知れない。