弘法大師さんが開かれた高野山にある霊場に詣でる人びとの菅笠には、みな一様に”同行二人”とかいてある。
どこにいようと、どこに行こうと、自分は一人ぼっちではない、いつもお大師さまと二人という意味である。
つまり、これら進行三昧の人びとの心の中には、いまもなおお大師さまは生き生きと存在しておられるのである。
もちろん、大師の生身の身体が、そのままここにあるというわけではない。
しかし、大師はいまもなおここにおわすと感じると、また感じようとつとめるところに、
大師の教えが永遠に生きてくることになる。
真理は永遠に生きるというのは、こんな姿を言うのであろうか。
※松下幸之助【一日一話】より