人に何か言われて、腹が立つのは、
「自分が正しい」と思っているからです。
「私は知らない」と思えば、
「これはどうやるのでしょうか。教えてください」と訊くことができます。
すると、みんな親切に教えてくれます。
「自分は未熟だ、知らないのだ」ということに気づいている人は、日々学びます。
人間関係も円滑になっていきます。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
人に何か言われて、腹が立つのは、
「自分が正しい」と思っているからです。
「私は知らない」と思えば、
「これはどうやるのでしょうか。教えてください」と訊くことができます。
すると、みんな親切に教えてくれます。
「自分は未熟だ、知らないのだ」ということに気づいている人は、日々学びます。
人間関係も円滑になっていきます。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
酒を飲むと酔って、
幸せだという感覚が起こります。
麻薬を服用すると、苦しみを忘れて妄想に入り込んで、
幸福だと錯覚します。
だから、ますます依存する。
しかし、薬が切れるとひどい苦しみを感じます。
一回麻薬を使った人は、やめれなくなるのです。
ついには、廃人になるまで使い続けます。
酒や麻薬で得られるのは、
ただ一時的に忘れさせる快楽です。
それは錯覚、幻想の幸福で、
人を破壊に導くものです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
幸福になる知識をもってる人が、カッコいいのです。
何でもかんでも知っているだけの人は、かえって煩わしい。
必要なデータなら、インターネットで検索すればすぐに得られるでしょう。
知識だけでは、カッコよくありません。
知識を有効に使えるノウハウのある人がカッコいいのです。
その人こそが、うらやましがられるのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
生命は、目的なく走り続けています。
いつも何か探し、いつも走りまわっているのです。
何もしないでいると苦しいからです。
不安と苦しみのため、「何かをしなければいけない」と、
焦っていろいろなことをやっているのです。
これが、生命というものの本質です。
この不安と苦しみの消えた状態こそ「悟り」なのです。
そういった境地に至った人は、落ち着きと安らぎに満たされています。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
私たちは、いつでも「考え」が先にあります。
考えてから喋る。
考えて行動する。
だから、「あなたは何者か」」ということは、
「あなたが何を考えているのか」で、わかります。
暗い思考をもっていれば、暗い人になります。
汚れた思考をもっていれば、汚れた人になります。
明るい心でいれば、明るい人になります。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
ただ単に、「お金がほしい」という人生は危険です。
だらしない人にお金があれば、ギャンブルに走ったり
お酒を飲んだりよけいなものを買ったりしてしまいます。
世の中が自然に破壊したりして狂っていくのは、
ただ単に、「お金がほしい」「売上がほしい」という心が暴走するからです。
単に「お金を稼ぐぞ」というのではなく、
具体的にいま何が必要なのか、それを明確にしていくことです。
すると、かならずうまくいきます。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
真っ暗な部屋に電気のスイッチが点くと、
部屋の中がパッと明るくなります。
あちこち動き回って、一つひとつ触れてみなくても、
どこに何があるのか一目瞭然です。
一ヶ所に止まって、部屋の中のすべてのもののリストをつくることさえ可能です。
このように、無明が破れて智慧の光があらわれる状態を、
ブッダは「悟りの境地」と言っておられるのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
氷や雪には形があるので、扱いにくい。
水は、何も形がないので、どんな形もとれます。
知識とは、いろいろ学んで氷のように、形をつくることなのです。
たとえ美しい氷の作品であっても、それは固いのです。
智慧は水のようなものです。形はありませんが、
その都度その都度、何の抵抗もなく、容れものの形をとります。
だから、智慧のある人には、解決できない問題は何もないのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
智慧があるというのは、心の中に先入観や価値判断がなく、
さまざまな概念で固まっていないことなのです。
一切の概念から心が解放された状態です。
価値判断にしがみついたり、知識にしがみつくと、
心は柔軟性を失って固く狭くなります。
その心には、新しいものは何も入りません。
智慧のある人の心には、何でも入ります。
その瞬間に判断もできます。
しかし、それによって執着することもなく、
また空(くう)に戻るのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
智慧とは、特別に「何かがある」ことではありません。
じつは、「何もない」ことなのです。
心の中に、ある価値判断や尺度をもっていると、
それに当てはまるものしかみえません。
何か知識にしがみついていると、それで頭がいっぱいで、
他のものが入らなくなってしまいます。
頭の中に何もない場合は、そのときそのとき、
何でも入ってしまい、理解がはやいのです。
さらに、得たものに執着しないでもち運ばないのが、
智慧のある人なのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ