コンパクトに言うには、
頭で考えることをやめればいいのです。
考えてものを言うと、うまくいかないのです。
考えすぎると、精神的に疲労してしまって、
いい結果が出ませんし、時間も無駄になります。
主観で考えると、整頓されていないのでコンパクトにならない。
感情的な思考をやめれば、
ものごとはきちんと整理されます。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
コンパクトに言うには、
頭で考えることをやめればいいのです。
考えてものを言うと、うまくいかないのです。
考えすぎると、精神的に疲労してしまって、
いい結果が出ませんし、時間も無駄になります。
主観で考えると、整頓されていないのでコンパクトにならない。
感情的な思考をやめれば、
ものごとはきちんと整理されます。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
上司に報告するときには、なるべくコンパクトに言うことです。
えんえんとまわりくどい話をされると、聞かされるほうはイライラします。
よけいな時間が取られると思って、嫌がられます。
主観を抑えて客観的に、「この問題はどうしましょうか」と
コンパクトに言えば、相手も判断しやすいのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
人間というのは、本来は怠け者です。
「金はほしいが仕事はしたくない」と言う人がいます。
仕事を頼まれると嬉しいのですが、やがて苦しくなるのです。
それは怠けの心のためです。
楽しく生きたいのだったら、怠け心を絶つしかないのです。
怠け心を絶った瞬間から、人生はとても楽しくなります。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
心はいつも楽なことを選びます。
心は慣れているもの、クセになっているもの、
簡単に行えるものを、先に選ぶのです。
心というものは、厳しく管理されているときは、
おとなしくしていますが、隙が出たら、楽な方向に走ってしまいます。
心は汚れやすいのです。
自由があったら、心は悪を行おうとするのです。
人生はほうっておけば極悪人で終わるのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
「人間はすばらしい、尊い」という考え方よりも、
「私たち人間は、ろくでもない」というところから始まったほうがいいのです。
「だらしなくて情けない人間である」という認識でないと、
人間はどんどん傲慢になっていって、平気で他の権利やいのちを奪います。
「本来、自分は情けないものなのだ」と認識する人は、
日々、よい人間になろうとするのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
人が罪を犯したといっても、
厳しく叱ったり非難したりするのは無意味です。
なぜなら、まちがいを起こさない人はいないからです。
不完全な私たちは、
どうがんばってもどこかで失敗してしまうのです。
大事なのは、自分が過ちを犯したことを認めることです。
「あやまちを犯しました、たいへんすみませんでした」と、
ちゃんと認める人は、同じ過ちは二度とくり返しません。
その人には、過ちを犯すたび、成長する道があらわれてくるのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
「私は不完全な人間だ」と知ることで、
つねに自分に気をつけるようになります。
「自分は不完全だから、いつでも失敗する可能性がある。
まちがいを起こす可能性がある」と知っていれば、
つねに気をつけて生きるようになります。
「自分は不完全だ」と知ってる人は、
「完全」に到る道に進むことができるのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
人間というものは、「自分は完全だ」
「自分のやっていることは、まちがいない」と思いたいのです。
だから、まちがいが起きて失敗すると、「私はダメだ」と落ち込んだり、
破壊行動に出たり、他人のせいにして非難したりします。
けれども、「自分は不完全である」ということが真理なのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
人間は不安定なのです。
不安定だから、少しずつ進歩していかなければいけません。
その進歩というものは、いつやめるのでしょうか。
終着点があるとしたなら、
「これ以上は進歩というものが成り立たない」と発見した時点です。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
ブッダの説法は、「私の言うことを信じなさい」
「信じないと大変なことになるのだ」という脅しではありません。
「これはよくないから、やめなさい」とか
「ああしなさい、こうしなさい」と命令することはありません。
説法に疑問を投げかける人がいたとしても、
それをとがめるようなこともされませんでした。
いつでも、「客観的な事実」に基づいて説法したのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ