イマコト

ありのまま きままに 日々の中での あれこれ

考えることをやめるには

2012-08-31 04:34:12 | 今日の言の葉種(学び)

コンパクトに言うには、
頭で考えることをやめればいいのです。

考えてものを言うと、うまくいかないのです。

考えすぎると、精神的に疲労してしまって、
いい結果が出ませんし、時間も無駄になります。

主観で考えると、整頓されていないのでコンパクトにならない。

感情的な思考をやめれば、
ものごとはきちんと整理されます。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


コンパクトに言うには

2012-08-30 10:10:58 | 今日の言の葉種(学び)

上司に報告するときには、なるべくコンパクトに言うことです。
えんえんとまわりくどい話をされると、聞かされるほうはイライラします。

よけいな時間が取られると思って、嫌がられます。

主観を抑えて客観的に、「この問題はどうしましょうか」と
コンパクトに言えば、相手も判断しやすいのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


怠けを絶った瞬間から

2012-08-29 14:09:11 | 今日の言の葉種(学び)

人間というのは、本来は怠け者です。

「金はほしいが仕事はしたくない」と言う人がいます。
仕事を頼まれると嬉しいのですが、やがて苦しくなるのです。

それは怠けの心のためです。

楽しく生きたいのだったら、怠け心を絶つしかないのです。
怠け心を絶った瞬間から、人生はとても楽しくなります。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


心は楽なことから行う

2012-08-28 10:53:03 | 今日の言の葉種(学び)

心はいつも楽なことを選びます。

心は慣れているもの、クセになっているもの、
簡単に行えるものを、先に選ぶのです。

心というものは、厳しく管理されているときは、
おとなしくしていますが、隙が出たら、楽な方向に走ってしまいます。

心は汚れやすいのです。

自由があったら、心は悪を行おうとするのです。
人生はほうっておけば極悪人で終わるのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


自分はろくでもない

2012-08-27 04:37:28 | 今日の言の葉種(学び)

「人間はすばらしい、尊い」という考え方よりも、
「私たち人間は、ろくでもない」というところから始まったほうがいいのです。

「だらしなくて情けない人間である」という認識でないと、
人間はどんどん傲慢になっていって、平気で他の権利やいのちを奪います。

「本来、自分は情けないものなのだ」と認識する人は、
日々、よい人間になろうとするのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


自分の過ちを認めているか

2012-08-26 13:02:36 | 今日の言の葉種(学び)

人が罪を犯したといっても、
厳しく叱ったり非難したりするのは無意味です。

なぜなら、まちがいを起こさない人はいないからです。

不完全な私たちは、
どうがんばってもどこかで失敗してしまうのです。

大事なのは、自分が過ちを犯したことを認めることです。

「あやまちを犯しました、たいへんすみませんでした」と、
ちゃんと認める人は、同じ過ちは二度とくり返しません。

その人には、過ちを犯すたび、成長する道があらわれてくるのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


自分はいつでも失敗する

2012-08-25 13:47:35 | 今日の言の葉種(学び)

「私は不完全な人間だ」と知ることで、
つねに自分に気をつけるようになります。

「自分は不完全だから、いつでも失敗する可能性がある。
まちがいを起こす可能性がある」と知っていれば、
つねに気をつけて生きるようになります。

「自分は不完全だ」と知ってる人は、
「完全」に到る道に進むことができるのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


自分は不完全である

2012-08-24 13:34:07 | 今日の言の葉種(学び)

人間というものは、「自分は完全だ」
「自分のやっていることは、まちがいない」と思いたいのです。

だから、まちがいが起きて失敗すると、「私はダメだ」と落ち込んだり、
破壊行動に出たり、他人のせいにして非難したりします。

けれども、「自分は不完全である」ということが真理なのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


終着点はどこか

2012-08-23 16:01:22 | 今日の言の葉種(学び)

人間は不安定なのです。
不安定だから、少しずつ進歩していかなければいけません。

その進歩というものは、いつやめるのでしょうか。

終着点があるとしたなら、
「これ以上は進歩というものが成り立たない」と発見した時点です。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


いつでも「客観的な事実」に基づく

2012-08-22 16:57:39 | 今日の言の葉種(学び)

ブッダの説法は、「私の言うことを信じなさい」
「信じないと大変なことになるのだ」という脅しではありません。

「これはよくないから、やめなさい」とか
「ああしなさい、こうしなさい」と命令することはありません。

説法に疑問を投げかける人がいたとしても、
それをとがめるようなこともされませんでした。

いつでも、「客観的な事実」に基づいて説法したのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ