みずから何もせずして神仏にご利益を願うというようなことは、人間としてとるべき態度ではないと思う。
また、そんな都合のよい利益などというものはあり得ないだろう。
しかし人間がほんとうに真剣に何かに取り組み、ぜひとも成功させたい、させねばならないと思うとき、
そこにおのずと何ものかに祈るというような気持ちが湧き起こってくるのではないか。
それは神仏に祈念する場合もあるだろうし、自分なりにそれに準ずるものを設定して願うという場合もあろう。
そういうことは一つの真剣さの現れであり、またみずからの決意を高めるという意味からも、
大いにあっていいことだと思う。
※松下幸之助【一日一話】より