ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

バレンタインデー

2006-02-17 21:53:46 | Weblog
2006年02月14日
ロシア滞在通算156日目
【今日の写真:バレンタインモードになったガスティニードヴォルの建物。】

今日の主な動き
07:20頃 起床
09:07 出かける
09:16 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:22)→バシレオストラフスカヤ(09:29)
09:47 学校
13:20頃 6番通りの文房具屋
13:41 バシレオストラフスカヤ駅
  メトロ バシレオストラフスカヤ(13:44)→ガスティニードヴォル(13:48)
13:58 日本センター
15:15頃 スパス ナ クラーヴィー聖堂近くのカフェ
16:30過ぎ頃 ガスティニードヴォル
17:12 ガスティニードヴォル駅
  メトロ ガスティニードヴォル(17:18)→マヤコフスカヤ(17:20)
17:32 帰宅
18:24 出かける
18:32 マヤコフスカヤ駅
  メトロ ボスタニヤ広場(18:39)→テフノロギーチェスキーインスティトゥット(18:44)
19時過ぎ ラヤ先生の家
21:10頃 バルチック駅
  メトロ バルチースカヤ(21:23頃)→ボスタニヤ広場(21:29)
21:44 帰宅

 今日から、先週見たのとはまた別の新しいクラスを見学。メンバーはフランス人やトルコ人なども含む7,8名。火曜日は文法の授業で、どんな内容かも知らずにいきなり入っていったところ、今まで私がいたクラスでやっていた内容よりもだいぶ先の項目を扱っていた。テーマは「形動詞」。大学2年の最後の頃(要するに去年の今頃)、私がロシア語を本格的に初めてまだ1年弱というときに、大学の初級の授業で先生がその概要を説明してくれた項目だ。その時は「形動詞」なんてものがあるとは、ロシア語って難しいんだなと思っていたが、ロシア語を学ぶ以上、避けては通れない道。
 正直なところ、今日周囲の人達の教科書やプリントを見て、こんな難しいことをやっているのかと最初は驚いたが、実際はそれほどでもなかった。日本で買った文法の教科書をさらっと読んでいたこともあり、今日の授業で先生の話を聞きながら、形動詞ってこういうのなんだなというが大体理解できた。なんとかついていけそうなレベルだ。

 午後、カフェで旅行会社勤務の友人と会う。今日は友人や家族のためではなく、私自身のビザの手配の依頼。私は8月の夏休みまでロシアに滞在してロシア語を勉強したり、国内を見たりしたいのだが、今のビザが7月半ばで終わってしまう。そのため8月まで滞在するには新たにビザを取得しなければならないが、近隣の国に日帰りで出かけたりする可能性も考えると、シングルやダブルエントリー(それぞれ1回、2回しかロシアに入国できないビザ)ではまずい。下手すると旅行先から二度とロシアに帰れなくなってしまう。そこで1年のマルチビザが取得できないかと以前から相談を持ちかけていたところ、昨日になって大丈夫だという返事があり、今日会おうということになった。
 今日の段階ではビザ取得の方法などの相談かと思っていたが、彼女はなんと領収書を持ってきていた。すなわち、もう招待状の料金を支払うということ。財布やリュックから現金をかき集め、3000ルーブルを支払った。一見高いようにも見えるが、ロシアに入国する度いちいち観光ビザを取得することを考えれば安い。マルチビザは通常入手が困難とされるビザで、一般の外国人が取得できるビザの中では期間、入国回数などの点でもっとも優れている。来年の春休みにもロシアに来る計画を立てているから、その時にも使えて便利である。招待状を作ってもらったら、近隣のフィンランドかエストニアのいずれか安い方の大使館でビザを取得する予定。

 さて、今日2月14日はバレンタインデー。ロシアの人々にとってこの日はどんな日なのだろうか。
 昨日ボーバが教えてくれたところによると、日本とは違って男から女にも、女から男にもプレゼントや手紙を贈ることがあるそうだ。もちろん、恋人同士だけではなく普通の友達どうしでのやりとりもあり。最近は携帯電話のSMS(日本で言えばメール)でメッセージを送るということもあるそうだ。
 街のギフトショップにはバレンタインのプレゼント特集コーナーが設置され、メッセージカードやプレゼントが陳列されていた。中には、ギフトショップに不似合いな迷彩服の制服を着た若い男性2人がプレゼントを選んでいる姿もあり、華やかな店内に迷彩服という対比が面白かった。
 ボーバの言っていたとおり、メッセージカードは男→女(”Моей Любимой”)、女→男(”Моему Любимому”)の両方が用意してあった。ガスティニードヴォルにはど派手な装飾(【今日の写真】参照)が施されており、バレンタインにかこつけて売り上げを伸ばそうという考えはどこでも同じだなと感じた。
 ネフスキー大通りにはハートの形の風船をたくさん売っている人がいた。買う人がいるのかなと思って見ていたところ、結構持ち歩いている人が多かったから、それなりに繁盛したのだろう。それにしてもハート形の風船なんて、随分露骨なものを持って街を歩いて恥ずかしくないのかとも思ったりするが、ロシア人はそんなことは気にしないらしい。

 家での会話。
セルゲイ:「今日は祝日だ。」
ナジェージュダ:「あー、バレンタインか。カトリックの祝日はうちらのじゃない。」
 
 街は何となくいつもより浮かれた雰囲気だったが、皆が皆バレンタインデーを祝うというわけではない。この辺りは日本でもロシアでも一緒である。

 夜、個人レッスンを受けに行く。今日も前半はひたすら発音を教えてもらった。前回難しかった”у”(日本語で表記すれば「ウ」に近い音)の発音は上手になったと言われた。それもそのはず。一人でいるときや、道を歩いているときなどに声に出して何度も練習していたから。今日の難題は”т”の軟子音。тの後に軟母音(я,ю,е,ё,и)が続く(日本語ではチャ、チュと表記されることが多い)時の発音なのだが、この音がなかなか出ない。
 特に、”идти(歩いて行く)”という単語の発音は非常に難しい。ロシア語をちょっとでもやった人なら誰もが知っている有名な単語だが、正確に発音できる人はどれだけいるだろうか。ラヤ先生の発音を聞いて繰り返し練習する。今まで適当に「イッチー」と発音してきたが、先生の発音を聞いて、カタカナでは表記できないとても美しい音だと思った。耳で聞いて英語の”t”との違いは明らかに分かるのだが、何度やっても自分の発音はロシア語のидтиにならず、先生に「違うな」と首を傾げられる。

 母国語が日本語であること、英語が第一外国語であることをこの時ほど悲しいと思ったことはない。何度も繰り返すようだが、ロシア語は私が聞いたことのある言語の中では世界一美しい。それに比べて日本語はといえば...。以前までは日本語の音も悪くないと思っていたが、日本語ほどベタベタとうるさく、大変聞き苦しい言語は珍しい。あくまで言語の響きという観点からみた場合の話だが、こんな美しくない言語を使わざるを得ないなんて、情けない限り。ロシア語が母国語の人が大変羨ましい。
 そんなわけで、たまたま母国語だった日本語よりも、長年勉強してきた英語よりも、私はロシア語が一番大好きだ。バレンタインデーにはロシア語にプレゼントをあげたいくらいだが、事実上不可能なので、かわりにラヤ先生にあげておいた。 
 
 個人レッスンからの帰り、メトロで偶然マーシャ(「学生の日」の土曜日にアリーナ、ボーバと一緒にカフェで会った人)に会った。しかも乗った駅、降りる駅まで同じで、とても驚いた。今日話したところによると、マーシャはアリーナの叔母で、一緒に住んでいるのだという。そういえば、今日アリーナから携帯にSMSが届いていた。
 メッセージはこう始まっていた。”С ДНЁМ СВ.ВАЛЕНТИНА!(バレンタインデーおめでとう!)”

 バレンタインデーにはどんな言葉を贈るのか、店に陳列されていたメッセージカードの中からいくつか紹介しておこう。

”Я всё же надеюсь, ты помнишь всегда, Как сильно люблю я тебя.”

”Мне так повезло, что нашла я тебя, половинку свою”

”…Я так счастлив, что ты со мной!”

”Ни дня не могу я прожить без тебя, Ведь ты половинка моя!”

訳は敢えて掲載しないことにしておく。 

一家に一台欲しい端末

2006-02-16 21:22:22 | Weblog
2006年02月13日
ロシア滞在通算155日目
【今日の写真:トロリーバスの架線を利用して走る、ちょっと変わった作業車に出くわした。洗濯屋前の交差点にて。】

今日の主な動き
08:56 出かける
09:04 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:08)→バシレオストラフスカヤ(09:15)
09:59 6番通りの文房具屋
11:32 バシレオストラフスカヤ駅
  メトロ バシレオストラフスカヤ(11:37)→ガスティニードヴォル(11:41)
      ネフスキー通り(11:44)→セイナヤプロシャチ(11:45)
11:56 洗濯屋
12:28 カザン聖堂側の写真屋
12:37 ネフスキー大通りの本屋”Дом Книги”
13時過ぎ頃 テレモーク
14:05頃 日本センター
16:26 洗濯屋
16:40 セイナヤプロシャチ駅
  メトロ セイナヤプロシャチ(16:44)→テフノロギーチェスキーインスティトゥット(16:46)
  メトロ テフノロギーチェスキーインスティトゥット(16:51)→ボスタニヤ広場(16:56)
17:02頃 モスクワ駅
18:15 帰宅

 オリガ先生に先週紹介された別のクラスの授業は9時30分から、事務のある建物で行われる。今日はその1日目で、はりきって行ってみたものの教室が開いていない。近くにいたおばちゃんが、「今日は先生が病気(かぜ?)のため授業はない。」と教えてくれた。よく見ると、ドアに小さな貼り紙があり、今日はお休みの旨が記してあった。  
 
 いきなり月曜から休講というのは拍子抜けだったが、先生がいないのでは仕方ない。学校を出て6番通りの文房具屋へ向かう。
 この店は2階が本屋になっていて、私は独学でフランス語が学べる本を探す。フランスのIとともに、Iはフランス語、私はロシア語をやりながら、オプションとしてそれぞれロシア語、フランス語を同時に学ぶという大作戦を始めたため。
 ここはロシアだから、本はもちろん全てロシア語で書かれている。2つの言語を同時に学ぼうと考えている私には好都合だ。ロシア語で書かれていても、普段の授業で慣れているため幸い文法用語などはほぼ理解できる。ロシア語でロシア語を学ぶのと同じ感覚でフランス語も勉強できそうな予感。何冊か見てみたが、フランス語は発音が難しいので、音声教材は書かせない。CD付きの本のうち、手頃な値段の物を見つけた。が、他の店にも良い物があるかもしれないと思い、この時は買わずに店を出た。

 午後からは洗濯屋へ行ったり、また別の本屋を見に行ったりして、街の中心部を歩き回った。夏や秋ならいくら歩いてもさして問題はないのだが、この時期街を歩くのはなかなか大変。というのも、気温の上昇でぐちゃぐちゃのシャーベット状態になった雪が、歩道や車道に跋扈している。ただの白い雪ならまだ良いのだが、道路の汚れで真っ黒になっているから非常に立ちが悪い。ズボンに泥雪が跳ね上がったり、ひどいときには車が跳ね上げる泥雪が手の高さまで飛んでくることもある。
 もちろん、靴の裏や外側にも相当な汚れが付着する。そのため、店やレストラン、駅などの床は軒並みひどい汚れで、黒い水たまりができていることもしばしば。こんな状態よりは、-20℃で何もかも凍っていた方がまだましだと、心からそう思う。

 写真屋での出来事。119ルーブルの請求に対して、財布には500ルーブル札しかなかった。買い上げ金額が100ルーブルを超えているから大丈夫だろうと思い、500ルーブル札を出したところ、「お釣りがないからまた後で来い。」と店員は平気な顔で言う。もちろん、日本とは違ってすみませんの一言などあるわけがない。せっかく悪路を歩いてきたのにその態度。本当に釣りがないのか、ただ面倒なだけなのではないか。よっぽど一文句言ってやろうかと思ったが、こんなことで腹を立てていてはきりがないので我慢。
 結局テレモークで500ルーブル札をくずし、再び写真屋へ行ったのだった。ここでの買い物は、差し出す貨幣が大きすぎても小さすぎてもだめ。本当に苦労する。

 一連の用事を済ませた帰り道、メトロでいつもとは違う駅を経由した。ボスタニヤ広場駅に着いた後、ふとモスクワ駅に寄ってみることに。
 特にこれといった目的もなく、駅の放送を聞いたり、電光掲示板を眺めたりしていたのだが、初めて入ってみた長距離列車用のきっぷ売場で思わぬ発見があった。
 そのきっぷ売り場には、カザン聖堂の隣にある列車予約センターにあるのと同じ、時刻や空席検索の端末があった。モスクワ駅にこれがあるとは知らなかったのだが、驚くのはまだ早かった。その端末に任意の区間を入力して列車を表示させると、列車を選んで料金を表示させることが可能なのだ。しかも号車ごとに異なる料金が、コペーカ単位で、空席数と一緒に表示されるのである。これは大変便利。窓口でいちいち係に聞かなくても料金が分かり、いろいろな列車を比較できる。謎が多かったロシアの鉄道料金だが、この端末のおかげで一気に解明が進みそうだ。

 とても嬉しくなった私は、早速モスクワやムルマンスクへ行く列車の料金を比較してみる。私が昨年モスクワへ行った際は、片道1032.5ルーブル。モスクワ往復の鉄道料金については、いろいろな情報を耳にしていた。片道300ルーブルだったとか、窓口で3000ルーブルと言われたから諦めたとか、いったいどれが本当なのか嘘なのか、人の話を俄に信用できないと思っていたのだが、今日端末で調べてみて分かった。どの話も本当なのだ。同じモスクワ行きの夜行列車なのに、3000ルーブルを余裕でこえるものから300ルーブルちょっとのものまで、その差は実に十数倍。列車によって、あるいは同じ列車でも車両によって料金にかなりの差があり、実に複雑怪奇。
 窓口でいくつも料金比較ができるわけではないから、これまで料金は運次第だった。何も知らずにうっかり高い列車を予約すればいくらでも高くなるし、幸運にも安い列車を予約すればいくらでも安くなる。でもこれからは違う。なにせコペーカ単位で料金を詳細に知る方法が分かったのだ。
 この時心に決めた。モスクワ行きの全列車の料金表を作ろう。でも端末の数は限られていて、一人で長時間占領するわけにはいかない。こんな素敵な端末が一家に一台あったらいいのになあと、本気で願わずに入られない。
  


日本語を忘れる

2006-02-15 20:25:49 | Weblog
2006年02月12日
ロシア滞在通算154日目
【今日の写真:夜のネフスキー大通り。久々に雪になった。左側のINTERNETと書いてある看板の建物が、私がいつも行くインターネットカフェ。】

今日の主な動き
7時頃 起床
14:06 出かける
14:09 ブリーンドナルド
14:46 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(14:48)→バシレオストラフスカヤ(14:55)
15:10頃 6番通り、文房具屋二階の服の店
15:35頃 バシレオストラフスカヤ駅でボーバと待ち合わせ
15:55頃 テコンドーの道場
19:37頃 6番通りのイタリアンレストラン
20:36 バシレオストラフスカヤ駅
  メトロ バシレオストラフスカヤ(20:44)→マヤコフスカヤ(20:51)
20:58頃 インターネットカフェ
21:38頃 帰宅

 先々週に続いて、またボーバとともにテコンドー教室へ行く。相変わらず激しい運動だったが、道路で走ることが出来ない冬の間は良いトレーニングになる。

 テコンドー教室のメンバーは、ボーバ、アレッグ、マーシャ、オリガ、ともう一人(今日初めて会った人)、それに私の6人。このうち、ボーバ、アレッグとユリカ先生の計3人は日本語を勉強している。テコンドーの練習の後アレッグと話したところによると、彼は既に2年間、日本センターで日本語を勉強したそうで、9月からまた日本センターの授業を受けたいという。日本センターの日本語の授業は無料だが、3年生のクラスに入るにはテストを受ける必要があるのだそうで、夏までは自分で日本語の勉強をしなければならない。会社に勤めているため、忙しくてなかなか時間がないと嘆いていた。
 アレッグと話している間、マーシャの連れが連れてきた犬が道場の中を歩き回る。犬が道場に入ってきても誰も文句は言わず、むしろ犬にボールを与えたりして遊ばせる。結構大きめの茶色い犬で、犬が苦手な私は噛まれないかと冷や冷やだったが、幸い腕をなめられるだけですんだ。

 その後ボーバが、2日ほど前にやって来た日本人Aさんと会うというので、一緒に夕食へ行く。Aさんは昨年9月までの1年間ペテルブルクに留学していたが、今年秋からまたここで社会学を勉強するという。今回はその準備のためにやって来て、2週間ほど滞在するのだそうだ。
 6番通りの、私がよく行くイタリアンレストランで3人で話していると、ボーバが持っていた日本語のノートについての話題になった。ボーバは気に入った日本語の表現をノートに書いて持ち歩いているが、その中に「文化学」という単語が出てきた。それを見てAさん一言、「この「化」って、漢字違うよね?」。私は何とも思わずにその漢字を見ていたが、そんなことを指摘されると不安になり、念のため日本から持ってきた携帯電話に「ぶんか」と入力して漢字に変換。「文化」と表示されたので一安心。Aさんは、「漢字忘れちゃったのかも」と嘆いていたが、正しい漢字が何となく間違っているように見えるということはよくある話。
 次にAさんが指摘したのは、「そちゃをどうぞ」という記述。「「粗茶をどうぞ」なんて言わないよね」という意見で私と合意。粗茶などという言葉は、私は日本でも使った試しがないが、確かに「粗茶をどうぞ」は聞いたことがない気がする。誰がこの言葉を教えたのかとボーバに問うと、日本語の先生(日本人)だという。それを聞いてAさんは、「海外に長くいると日本語忘れちゃうんじゃない?」と笑っていた。粗茶なんて、使用頻度はかなり低いと思われるが、「粗茶ですが」くらいが自然だということを2人でボーバに教えた。
 良くも悪くも、私達日本人にとっては日本語という言語が一応母国語だが、母国語でさえもたまに忘れること、おかしくなることがあるようだ。 

平凡の中の特別

2006-02-14 20:20:24 | Weblog
2006年02月11日
ロシア滞在通算153日目
【今日の写真:氷細工にはめ込まれたコイン。グランドホテル「ヨーロッパ」前にて。】

今日の主な動き
8時近く 起床
15:59 出かける
16:03 「ブリーンドナルド」(ロシア版マック)
17:03 カザン聖堂側の写真屋
17:35 インターネットカフェ
18:21 帰宅

 午後から出かけて、まずはブリーンドナルドへ。ブリーンドナルドはマクドナルドと名前が似ていて、スティーブンか誰かが「ロシア版マックだ」と言っていたのだが、要するにマックのようなファーストフードの店。でも安くおいしいし、ロシア風のスープなどというマックにはない魅力がある。
 16時頃だったが、ブリーンドナルドは混んでいた。最近お子さまセットに小さなおもちゃをつけるというサービスを始めたらしい。子どもがおもちゃを選んで、”Мне самолёт!”” Мне собачку!”(「飛行機ちょうだい!」「私には犬!」)などと声を上げている様子を見て、どこかでも見たことがある光景だなと思った。
 今回は「学生のランチ」という名前が付いたセットとパンを注文。合計わずか42ルーブルの昼食だったが、初めて注文した「学生のランチ」はマカロニとハンバーグとスープがセットになっており、多すぎず、少なすぎず、適量だった。

 いつもならメトロに乗るところだが、今日は天気も良いことだし、ジュコフスキー通りからリテイニー通り、ネフスキー大通りと、歩いてガスティニードヴォル方面へ向かう。
 目的地は写真屋。日本へ送ったり、友達やホストファミリーにあげたりする写真は、カザン聖堂の側にある写真屋でプリントしてもらうことが多い。予め必要な写真だけ保存してきたメモリースティックを店員に渡す。その際、1枚ずつとか、2枚ずつとか、口頭で説明しなければならないのだが、最近ようやく、「~ずつ」という言い方を知った。
 先日、例によって私が適当な単語を並べて「1枚ずつ」である旨説明すると、店員の男性が、「1枚ずつね」と、前置詞”по”を使って私が伝えた内容を確認したのだ。その時初めて、なるほど、”по”を使えば良いのかと気づき、大変勉強になった。

 今日は一部の写真を2枚ずつプリントしたかったので、ノートに書いた番号を見せて、”по”を口に出してみた。が、「2枚ずつ」と言うには、「2」を何格にしたらいいんだろうととっさに分からなくなり、おそるおそる主格で”два”と言ってみると、店員は”по две”と言った。私の中では、前置詞”по”は与格支配というイメージがあったから、なぜ対格、しかも女性名詞”две”になるのかしっくりこなかった。が、後で辞書を引いたと頃によると、同じ「~ずつ」という意味でも後に続く数詞や名詞によって与格だけではなく生格や対格を使うこともあるのだそうで、「1」は与格、「2」は対格になるということを知った。ロシア語を学んでいる読者の方なら、「”фото”は中性名詞のはずなのに」と思われるかもしれないが、今日の店員はおそらく女性名詞である”фотогляфия”が念頭にあったのだろう。そう考えると、”по две”という言葉は文法的にも説明がつく。
 このように、街の人々の、その人達にとってはどうってことない一言がとても役に立つことがある。ロシアに来てから、こういう経験は数え切れない。私にとって、ロシア人は皆先生だ。

 写真屋を出る頃には、日はかなり傾き、空が茜色に染まり始めていた。明日もきっと晴れるんだろうなあ。今日の気温は-10℃前後か、もうすこし高いくらい。寒いのか寒くないのか良く分からず、それでいて晴れているから、なんとも中途半端な天気である。

 もと来た道を歩きながら、グランドホテル「ヨーロッパ」の前に氷細工があるのを見つけた。しかもただの氷細工ではなく、どういうわけかコインが大量にはめこまれていた(【今日の写真】)。よく見るとはめ込まれているのは皆コペーカコイン。コペーカだけはめこんでデザインにするなんて、何ともせこい展示だなと思ったが、ルーブルをはめ込んだら持っていく輩がいるからなのかもしれない。でもコペーカだって集めれば結構な額になるわけで、ルーブルコインをわざわざ集めに来るような人は、コペーカコインだって収集しかねない。もちろん、集めたところでたかが知れているが。そんなことを考えながらしばし氷細工に見入る。

 何度も行き来した道を歩き、何度も足を運んだ店へ行く。一見平凡な日常が繰り返される。だが街の一場面一場面をよくよく観察すれば、何かしら新しい発見、気づき、考えることは尽きない。一日一日が、独特のインデックスで飾られた特別な日になる。これだから、ロシアは面白い。
 

パリから22日

2006-02-13 03:17:26 | Weblog
2006年02月10日
ロシア滞在通算152日目
【今日の写真:氷上に大きな落書きを発見。ネフスキー大通りがファンタンカ川をまたぐ橋の上から撮影。】

今日の主な動き
09:05 出かける
09:13 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:18)→バシレオストラフスカヤ(09:25)
09:43 大学の事務がある建物
13:40 バシレオストラフスカヤ駅
  メトロ バシレオストラフスカヤ(13:44)→ガスティニードヴォル(13:48)
13:58 日本センター
16:21 ネフスキー大通りのCity Bank
16:44 帰宅
18:16 出かける
18:23 マヤコフスカヤ駅
  メトロ ボスタニヤ広場(18:31)→テフノロギーチェスキーインスティトゥット(18:37)
18:56頃 ラヤ先生の家
20:56 テフノロギーチェスキーインスティトゥット駅
  メトロ テフノロギーチェスキーインスティトゥット(21:01)→ボスタニヤ広場(21:07)
21:19 いつもの薬局
21:23 帰宅

 1月31日から始まった寒波第2弾は、昨日で終了した。今朝の気温は-7.8℃。出かけるとき、階段ですれ違ったセルゲイが、「今日は暖かい。」と言っていた。

 今日はクラスの相談にオリガ先生のところへ行ってみたが、最近オフィスアワーが昼からになったらしい。仕方なくラウンジで勉強したり、ちょっと買い物に行ったりして待つ。
オリガ先生はクラス移動の相談などを受け付ける係。今のクラスと同じようなレベルで、アレクサンドル先生が担当するクラスはあるかとたずねたところ、15日以降にならないと分からないと言われた。
 今度私が移動する先のクラスは、今回のように消滅するようなことがなければ、おそらく留学の終わりまでずっと勉強するクラスになる。だから自分にとって一番良く合うクラスを見つけたいと思っている。今日はまた別のクラスを紹介してもらったので、来週は15日にアレクサンドル先生のクラスが判明するまで、そのクラスを見てみることにしよう。

 日本センターからの帰りは、ガスティニードヴォル駅とマヤコフスカヤ駅の間にあるネフスキー大通りのCity Bankに寄る都合上、メトロを利用せず歩く。その途中、凍った川の上に大きな落書きを見つけた(【今日の写真】)。川幅が広く、完全には氷結しないネヴァ川は危険だが、このくらいの規模の川なら氷の上を歩いても安全なのだろうか。大胆なことをやるものだ。でも建物なんかに落書きするのとは違い、氷上なら誰にも迷惑がかからないし、自然に溶けて消滅するから思う存分落書きできるというわけだ。これもまた冬ならではの光景。

 帰宅すると、机の上に手紙があった。差出人はパリ留学中のI。ロシアに来て以来、手紙を送ったことはあっても、受け取るのは実はこれが初めて。家族や親しい友達などにも住所は教えてあるのだが、独特のキリル文字が敬遠されるのか、これまで手紙を書いてくれる人は誰もいなかった。慣れないキリル文字で宛先を書いてくれたIに感謝。封筒の裏には、フランス語で一文書いた下に、「キリル文字...難しすぎる...ギリシア文字が元だそうで...よくこんなの日常的に使ってられるね...すごい。」と一言書いてあった。文字なんて覚えてしまえば後は楽。それよりも、文字を見ただけでは発音できないフランス語の方がよほど難しいと思うのだが…。

 早速封筒を開けてみると、便箋とパリの絵はがきが入っていた。便箋に書かれた文字を見て、彼の筆跡だとすぐに分かった。Iとはよくメールでやりとりもするが、手紙も良いものだ。3枚あった便箋のうち1枚はパリの案内が書いてあった。彼もペテルブルクと同じように、歴史ある素敵な街で勉強しているようだ。
 最近のメールによると、Iは独学でロシア語を始めたそうである。キリル文字から初めて、4月にロシアに来る頃には簡単な会話が出来るようになりたいとのこと。フランスで何カ国語も話せる人達を見て、スラヴ語もやってみたいと思うようになったという。ヨーロッパの人々は普通に何カ国語も話す。ペテルブルクで私が感じたのと同じようなことを、彼もパリで感じているわけだ。
 そんなIに刺激されて、私ももう一度、フランス語をやり直してみようと考えている。もちろん、本業はロシア語なのでその合間にでも。12月のヨーロッパ旅行の際、パリ滞在はほんのわずかだった。そこで、4月にスティーブンに会いにスイスに行くのも兼ねて、Iがいるうちにもう一度パリに行こうと計画中。復路はIとともにロシアに帰国してモスクワやペテルブルクを案内する予定。Iがロシア語を始めたので、私がフランス語をやり直せば、お互いにとってフランス、ロシア旅行は単なる旅行ではなく、ミニミニ語学研修になる。
 ところで、消印によると今回の手紙が投函されたのは1月19日。私の手元に届くまでに22日もかかったことになる。Iは、同じく大学の友人Nが留学しているオランダのユトレヒトまで4日で届くと手紙に書いていたから、同じヨーロッパなのに、所要日数にかなりの差があることになる。これだけの差がある理由は、もう分かっている。仮にEU内を2,3日で通過したとしても、ロシア国境を越えた途端にいつ届くか分からない状況になるからだ。日本まで2ヶ月を要した手紙もあることを思えば、22日ならまだまともな方なのかもしれない。もう少し値上げしても文句は言わない。そのかわりもっと速く郵便物を扱って欲しい。心からそう願う。 

 夕方、個人レッスンを受けにラヤ先生の家へ。今日から発音も徹底して教えてもらうことにした。
 白状すれば、私は日本語も含めて、中国語や韓国語など、アジア系の言語の音が好きではない。言語そのものを否定するとか、差別的な感情を持っているとか、そういうことではなく、単に好みの問題として、言語の響きが好きになれない。中国人や韓国人の、それぞれの母国語の発音、アクセントの影響を受けたロシア語を聞いていると本当に嫌になってくるが、日本語の影響を受けざるを得ない私のロシア語の発音も、周囲にとっては相当聞き苦しいはずで、自分でもそれは分かる。本来響きがとてもきれいなロシア語に、日本語の音という不純物が入るともうそれだけで台無し。
 ただ会話をしたり、テレビやCDから音声を聞いたりするだけでは、発音やイントネーションは直らない。そのことは既に英語で経験済み。今英語を話して、「発音がきれい」と多くの人から評価を頂くことが出来るのは、中学時代の英語の先生とALTの先生の指導の賜。英語弁論大会に出るためにと、今の私のロシア語なみだった発音を放課後、徹底的に指導してもらった。英語を初めて2年半という、比較的早い時期に発音を直されたおかげで、ネイティブなみとはいかないまでも、日本語の影響から離れた発音ができるようになった。もしこれがなかったら、いつまでも正しい発音は出来ないままだったはず。

 ロシア語の発音も、指導者のもとで早期に矯正しないと手遅れになってしまう。そんな危機感から、個人レッスンでは会話に加え、特に発音の練習もお願いした。
 今日練習した音のうち、難しかったのは”у”。日本語ではこれに近い音として「ウ」と表記されるが、日本語の「ウ」とは全く違う方法で音を出さなければならない。もう一つ、目から鱗だったのは、”т”、”д”の発音。音はそれぞれ英語の"t"、"d"に似ているが、英語とは発音の方法が全く違い、ために当然音にも微妙な差異が生じるというのだ。実際に発音してみると、確かにネイティブの人の発音に似た”т”の音が出た。今までこのことを知らず、何となく英語と同じ発音をしていたから、この違いを知ったことはとても嬉しかった。文法などと並行しながら、発音にも力を入れてみよう。
 
   

満員では収入減-バスの悲劇-

2006-02-13 03:15:32 | Weblog
2006年02月09日
ロシア滞在通算151日目
【今日の写真:パトカーの後ろをトラックに積まれていく車。駐車違反車か事故車か、詳細は不明。バシレフスキー島のスレドニー通りにて。】

今日の主な動き
09:00 出かける
09:08 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:13)→バシレオストラフスカヤ(09:20)
09:29 学校
12:46 文房具屋
13:56 バシレオストラフスカヤ駅前のマック
14:19 バシレオストラフスカヤ駅
  メトロ バシレオストラフスカヤ(14:25)→ガスティニードヴォル(14:29)
14:39 日本センター
16:56 ネフスキー通り駅
  メトロ ガスティニードヴォル(17:04)→マヤコフスカヤ(17:06)
17:20頃 帰宅

 今朝の気温は-18℃前後。一昨日、昨日に続いて約2度ずつ朝の気温は上がっている。

 時間割上、今日の授業は会話になっている。木曜と金曜は同じ先生なので、月曜日から今日にかけて、移動先のクラスの授業を一通り受けたことになる。今日はDVDを見ながら、ところどころで先生の質問に答えるという授業。だが、映画の内容を理解するというのは非常に高度なこと。容赦ないスピードで会話が流れるし、知らない単語もたくさん。映画を見せられても、今はまだ難しいのだ。クラスの他の人達も、あまり理解できていないようで、ちょっと不満そうだった。

 正式にこのクラスに移動するかどうか、もうすぐ決めてオリガ先生に報告に行かなければならない。文法や読解の授業は分かりやすかったし、人数も少ないから悪くないかなと思っていたところ、帰り際に階段でアレクサンドル先生に会った。彼は前のクラスで、文法を教えてくれた先生。クラス消滅以来初めて顔を合わせた。先生は、新しいクラスはどうか、他の(前に同じクラスだった)人々はどうしているかなどと聞いてきた。
 どの先生も教え方は上手だし、とても勉強になるのだが、私の中ではアレクサンドル先生が一番。とても丁寧な説明で分かりやすいうえ、9月から今年1月までの5ヶ月間ずっと同じクラスにいたから私のレベルも分かってくれている。出来ればアレクサンドル先生も担当しているクラスを探したい。そのことを伝えると、今アレクサンドル先生が担当しているクラスはとても簡単なレベルしかないが、これからもういくつかクラスを担当するからオリガ先生に聞いてみるよう言われた。明日にでもオリガ先生のところへ行ってみよう。

 最近、大学近くのいつも私が利用する文房具屋の2階に、衣料品の店があるのを見つけた。品揃えが豊富で、しかも安い。外国人観光客や富裕層を対象にしているガスティニードヴォルなどとは対照的で、庶民的な店である。予め目星をつけておいたセーターを購入。セーター1つ519ルーブルは、なかなか手頃な値段だと思う。

 この寒さの中にあっては、天気が良いことだけが大きな救いになる。日本センターからの帰り、こんな良い天気の日はバスで街の様子を見ながら帰るのもいいかなと思い、カザン聖堂前のバス停に並ぶ。運良く、家のあるジュコフスキー通りまで直通する22番のバスがすぐにやって来たので乗ろうとする。
 が、よく見ると車内は超満員。なぜ平日の16時半過ぎ、しかも他のバスやトロリーバスもたくさん走っているネフスキー大通りでこんなに満員になるのか理解に苦しむところだが、理由を考えても無駄。すし詰め状態のバスに乗ったところで風景を楽しむどころではない。
 なお、この街のバスやトランバーイなどでは、車内で車掌から切符を買うことになっているが、満員の場合は車掌が車内を回ることが出来ず、結局料金を回収できないという場合も多々ある。日本の感覚なら、乗客が多ければ収入は上がる一方だから乗車率150%、200%などといったらバス会社や鉄道会社にとっては「嬉しい悲鳴」なのだろうが、ここではそうはいかない。車掌が通路を通れるうちは、客が多ければ多いほど収入も増える。しかし車掌が通路を通れる限度を超えて満員になると、かえって収入は減少する。まさに「悲しい悲鳴」が聞こえてきそうな22番のバスを見送りながら、私はいつものようにメトロへ向かった。
  
  

 

ブリーニーも値上がり?

2006-02-11 23:50:01 | Weblog
2006年02月08日
ロシア滞在通算150日目
【今日の写真:雲一つない青空とクリーム色の教会のコントラストが美しい。大学の教室の通りにて。】

今日の主な動き
07:57 起床
08:48 出かける
08:56 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:02)→バシレオストラフスカヤ(09:09)
09:16 学校
12:05頃 文房具屋
12:49 バシレオストラフスカヤ駅
  メトロ バシレオストラフスカヤ(12:53)→ガスティニードヴォル(12:57)
13:06 日本センター
16:23頃 ネフスキー大通りのブリーニーの店「テレモーク」
19:36 ガスティニードヴォル駅
  メトロ ガスティニードヴォル(19:45)→マヤコフスカヤ(19:48)
20:00 帰宅

 今朝の気温は-20℃。今回の寒波はだいぶ長く続く。
 学校の授業は、今日は読解。出席者はなんと私一人で、個人レッスンと同じだった。先生は若い男の人。「チェーホフを読む。」というので、どんなに難しいのだろうと思っていたが、今日読んだのはチェーホフのとても短い小説で、しかも話にオチがあるおもしろい作品。思ったほど難しくなく、難しい単語には英語で注釈がついていたのでかなり読みやすかった。先生は若いながらも情熱的で教え方が上手で、小説に出てくる文の文法解説も丁寧にやってくれた。

 休憩時間、こんなことを聞かれた。「東京には2700万人が住んでいると聞いたが、本当か?」。「いやいや、そんなことはないですよ。」と否定した上で、だいたい1000万人くらいだと言っておいた。何でも、日本にいたことがあるというフィンランド人学生が「東京の人口は2700万人。」と吹聴したらしい。一体そんな半端な数字がどこから出てきたのだろうと不思議だった。

 午後遅く、日本センターで偶然会ったA子とともに遅い昼食に。昼食へ行く途中、ガスティニードヴォルの前にあるエクスクルシヤの受付で、彼女はノブゴロドへのエクスクルシヤの申し込みをしていた。こんな寒いときは自分で行くより、バスで観光地を回れるエクスクルシヤの方が快適だ。
 昼食はブリーニーでもということになり、ネフスキー大通りにあるブリーニーの店「テレモーク」に入る。 今日はA子がおすすめだというヨーグルト風味のブリーニーを注文してみた。A子によると、最近ブリーニーが値上がりしたらしい。確かに、メトロの駅前にあるスタンド形式のテレモークより数ルーブル高かったが、もともとこの店はスタンド形式の店より値段が高いらしく(おそらく場所代)、実際の値上がり幅は不明。最近は交通機関だけでなく、食料品や日用品などの物価も徐々に上昇しているらしい。2月に入って以来昼食は100ルーブル以内に抑えている私にとって、お気に入りのブリーニーが値上がりすることは一大事だ。
 A子は同じ大学、学類からの留学生。ロシア語の勉強の進み具合、他の国に留学している友達のことなど、久々に3時間ほど長話をした。彼女も私と同様夏までロシアにいる予定だったが、諸事情により4月に帰国するという。4月にはパリ留学中のIがロシアを訪問する予定で準備を進めているので、A子はロシアでIに会えるか会えないかというところ。もっとも、それ以前に彼女は単独でフランスやスペイン、イタリア、チェコなどを回るヨーロッパ歴訪計画を立てており、IやチェコのプラハにいるMなど、私とともにヨーロッパ旅行に出かけた人々にも会ってくるそうである。

 日本への帰国後は就職活動をするというA子の話を聞きながら思った。時が経つのは何と早いことか。幼い頃はとてつもなく長く感じられた時間が、今はあっという間に過ぎていく。一年、二年、ましてや十年、二十年なんて、きっとすぐなのだろう。
 だがだからといって焦ったり、早まったりしてはならないと、常々自分に言い聞かせている。今私が学問として、学校で勉強しているのはロシア語だけ。大学院の入試の勉強をしているわけでもなく、公務員試験の受験勉強をしているわけでもない。中途半端にあれもこれもと手を出すのは一番良くないと思うから。
 そのかわり試験勉強としてではなく、ロシア語の合間に愛読書として歴史の本や刑法の教科書、判例集などを読んでいる。かなり高度な理論が展開され、難解な記述が多数あるために去年は試験に出る箇所くらいしかまともには読まなかった刑法の教科書だが、今判例集とともに改めて繰り返し繰り返し読むと、面白く、味わい深いものであることに気づく。帰国後、また刑法ゼミで議論するのが楽しみになってくる。
 ロシア語以外の試験を受ける必要が一切ないという、留学のある意味特殊な環境だからこそ、じっくりと余裕を持って本を読んだり、興味のあることを追及したりできる。試験の成績を気にしながら雑多な試験やレポートに追われているうちは、本当の意味で学問など出来るわけがない。留学生活で気づいたことの一つである。
 その留学生活も、今日でロシア滞在通算150日目となった。

 

コピー屋にやって来た犬

2006-02-11 23:49:00 | Weblog
2006年02月07日
ロシア滞在通算149日目
【今日の写真:駅の中の暖気が外へ出て白くなる。マヤコフスカヤ駅にて。】

今日の主な動き
08:30 出かける
08:38 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(08:43)→バシレオストラフスカヤ(08:50)
08:58 学校
12:20頃 コピー屋
12:38 バシレオストラフスカヤ駅
  メトロ バシレオストラフスカヤ(12:44)→マヤコフスカヤ(12:51)
12:56 マヤコフスカヤ駅前のケンタッキー
13:28 帰宅
18:15 出かける
18:23 マヤコフスカヤ駅
  メトロ ボスタニヤ広場(18:31)→テフノロギーチェスキーインスティトゥット(18:37)
18:57頃 ラヤ先生の家
21:06 テフノロギーチェスキーインスティトゥット駅
  メトロ テフノロギーチェスキーインスティトゥット(21:10)→ボスタニヤ広場(21:15)
21:21頃 モスクワ駅
21:46頃 帰宅

 テレビによると、今朝の気温は-22℃。マヤコフスカヤ駅の中からは、外に向かってもくもくと白い煙のようなものが出ていた(【今日の写真】)。中の暖気が外に出て急冷されるためにこのような現象が見られるわけだが、これだけ見ると中で火災でも起こっているのではないかと勘違いしてしまう。

 授業では昨日に引き続き、運動の動詞を集中的にやった。接頭語を変えることで、微妙な動作の違いを実に豊かに表現できるのがロシア語の動詞なのだが、慣れるまでが大変だ。文法の教科書は前のクラスのと同じだが、今出席しているクラスは前のクラスよりも100ページほど進んでいて、その間は自分で勉強するほかない。

 教科書の穴埋め問題のページをコピーしようと、コピー屋へ行く。この街には私が知る限り日本のコンビニにあるような、自分で操作するコピー機がなく、コピー屋へ行って店員に本なり書類なりを渡してコピーをしてもらう。コイン式で自動化してしまった方が人件費の節約にもなるし、効率的だと思うのだが、どういうわけかそのようなサービスが見あたらない。

 今日もコピー屋で順番を待っていると、小さな犬が店内に入り込んできた。外がこの寒さでは、犬も耐えられなくなったのだろう。震えながら人々に餌を求めているようであった。犬が苦手な私は、誰かが追い払うだろうと思って見ていたが、人々は私の予想外のリアクションをとった。
 私の後ろにいた女性は、その犬が泥の付いた足で彼女のコートに前足をかけてきても嫌がらず、「何も持ってないよ。」と犬に話しかけ、頭をなでていた。周囲にいた女性数名も、哀れみの目でその犬を見て、店員も含めて誰一人邪険に扱う者はいない。「この寒さだから。」と犬に対して同情的である。そのうち一人、髭をはやした男性がやって来て、さすがにこの人は犬を嫌がるかなと思ったが、嫌がるどころか周囲に人に、「これは誰の犬だ?あんたのか?かわいい犬だ。」などと言っている。結局、この場でその犬を良く思っていなかったのは私だけだったようだ。
 ロシア人は動物好きだと聞いたことがあるが、コピー屋でのこの出来事は、そのことを裏付けるような光景だった。

 夜、個人レッスンを受けにラヤ先生のところへ行く。今日は健康についてのアネクドート(滑稽な小話)をいくつか学んだり、医者と患者の役になってアドヴァイスをする練習をしたりした。この他に、前回の宿題だった単語を覚えているかどうか口頭のチェックがあった。プリントに載っていた、健康に関する単語はちゃんと復習して覚えたはずだったが、いざ口頭で一つずつ確認されると、なかなか出てこない。薬物、(目の下の)クマ、腹痛、免疫...どれも覚えたつもりだったが、どうやら完全には覚えていなかったようである。
 いつも単語を覚える際、文章の中で記憶することが多いから、文章の中で出てくれば前後の文脈と相まって意味を理解することは出来る。しかし文の中で意味が分かるだけでは不十分で、その単語だけでも意味が分かったり、自分で使ったりできるようにしなければ単語を習得したことにならない。
 今日のレッスンで、覚えたつもりでも実は完全ではなく、文の中で意味だけ分かるにとどまる単語(いわゆるpassive vocabulary )が自分には多いことを知った。文章の中で覚えたら、次は文章から離れて単語のみを反復する練習も必要だ。

 レッスンからの帰り、ちょっとモスクワ駅に寄ってみる。この時間帯、長距離列車の発車案内は全てモスクワ行きの列車で占められていた。発車案内と到着案内の間にある温度表示は-22℃。朝とほぼ同じ気温。外の電光掲示板のガラスには、一部氷がはっていた。駅の中もそんなに暖かくはなかったので、ちらっと放送を聞いたり、電光掲示板を眺めたりして、早々に家へ帰る。  

学校から歩く

2006-02-11 23:47:47 | Weblog
2006年02月06日
ロシア滞在通算148日目
【今日の写真:エルミタージュ前の宮殿広場に登場した氷の宮殿。】

今日の主な動き
5時過ぎ 起床
08:59 出かける
09:06 マヤコフスカヤ駅 
  メトロ マヤコフスカヤ(09:11)→バシレオストラフスカヤ(09:18頃)
09:28頃 学校
12:17 大学の学部事務の建物
13:20 ネフスキー大通りのカメラ屋
13:40 日本センター
17:02 ネフスキー通り駅
  メトロ ガスティニードヴォル(17:09)→マヤコフスカヤ(17:12)
17:25頃 帰宅

 クラスを移動してから2回目の授業、今日は作文と文法。
 出席者(学生)は私も含めて3人。前半は先生がホワイトボードに書く内容をノートに写しとるよう言われて、ひたすら書くばかり。前回の続きらしいのだが、新入りの私には何のことやら。でも後半はしっかり文法の授業、しかも「運動の動詞」の総まとめで、大変ありがたい内容だった。

 いつもならメトロに乗る学校からの帰り道、今日は教科書を買うため事務に寄ったこともあり、メトロが遠くなったので久々に歩いてみる。

 手を外に出して歩いたら指先から凍りそうな寒さは相変わらずだが、天気が良く、風も強くないので歩くのにはちょうど良い。
 ネヴァ側を右手に見ながら川沿いを歩く。今日も川面からは盛んに湯気が立ちのぼっていて、あたかも温泉のような外観。こんな寒いときに熱い温泉があったら最高だ。川の両岸には氷がはっているものの、中央部分には流れがあり、ゆっくりゆっくり河口に向かっていた。氷の下からわき上がるような流れもあり、この時期でも水量は少なくはなさそうだ。
 両岸付近の氷上には積雪があり、数種類の動物の足跡があった。考えられるのは犬、鳥など。しかしよく見ると明らかに人のものと見られる足跡もあった。冬場の厳寒期、ロシアには氷結して車なども通れる交通路になる川があるという話は聞いたことがあるが、少なくともネヴァ川はこれには該当しない。車はおろか人でさえ歩くのは大変危険。実際に氷結したネヴァ川を歩いて渡っていて、途中で氷を踏み抜いて川に転落、死亡した人がいるそうだ。

 バシレフスキー島と中心部をつなぐ橋の上には新年&クリスマス祝いの装飾(イルミネーション)がまだ残っていた。さすがに点灯してはいなさそうだが、この寒さでは撤去するのも面倒なのかもしれない。ロシア人は何かとお祝い騒ぎが大好きだから、いっそずっとイルミネーションを設置して、事ある度に点灯するというのも良いと思う。

 橋を渡り終えるとすぐ、エルミタージュ美術館の前に出る。エルミタージュ前の宮殿広場には、氷の宮殿(【今日の写真】参照)があり、人々が集まっていた。この宮殿、実は宮殿本体だけでなく、周囲の彫刻、花瓶などの装飾物に至るまで全部氷という、かなり高度な芸術作品。プーシキンやペテルゴフにあるロシア皇帝の宮殿を見るだけでは飽きたらず、ロシア人は自ら氷で宮殿を造ってしまった。が、何せオール氷だから暖房をたくわけにもいかず、居住性はいまいちか。

 40分ほど外にいたため、そろそろだいぶ冷えてきたところで、ネフスキー大通りのカメラ屋に入る。ここでは主にデジカメの写真を記録するCD-Rを購入。実はこの街では、CD-Rはばら売りが普通らしく、日本にあるようなケース付き20枚セットといった売り方を見たことがない。もっとも、ケース無しでディスクだけ数十枚というのは見たことがあるが、ケースを別に買わなければならず、あまりお得ではない。1枚あたりの値段は店によってバラバラだが、今回は700MBのCD-Rが1枚20ルーブル。今まで見てきた中では安い方なので7枚ほど買う。
 ここは比較的大きなカメラ屋で、ネフスキー大通りに面しているという立地条件もあってか、繁盛しているようだった。それにしても、一台数千ルーブルから一万ルーブルというデジタルカメラの価格は、ペテルブルクの平均月給に相当する額。比較的富裕な人でなければ手が出ない値段なのだ。レジで私の前に並んでいた女性は、小型のデジカメを購入するに際して店員から説明を受けていた。店員が実際に操作して見せると、「ロシア語の説明(画面表示)はあるのか?」「(記憶媒体は)何メガバイトのがあるか?」などと熱心に聞きながら、おそらく彼女にとっては初めてと思われるデジカメに満足の様子。
 富める者とそうでない者の格差が拡大しつつあるといわれるロシア。街を歩いていると、何気ない光景に、その縮図を見ることができる。

 日本センターからの帰りはメトロ。最近はいつの間にか日が長くなり、帰宅した17時半頃でさえ外はまだ明るい。今日の夕食は「ウハ」と呼ばれる魚のスープとペリメニ。ペリメニにはマヨネーズをたっぷりかけて食べる。今日はマヨネーズに加えて、セルゲイが特別な香辛料を用意してくれたおかげで、いつものペリメニよりグレードアップした感があった。
 

    

ロシア人から茶道を学ぶ

2006-02-11 23:46:19 | Weblog
2006年02月05日
ロシア滞在通算147日目
【今日の写真:茶道教室にて】

今日の主な動き
11:20頃 出かける
11:36 マヤコフスカヤ駅
11:45頃 日本センター近くでボーバと待ち合わせ
12:00頃 カザンスカヤ通りの近くにある茶道教室の部屋
    中国の新年を祝うパーティー
16:46 カザン聖堂前のバス停
   22番のバス カザン聖堂前(16:46)→ジュコフスキー通り(16:58)
16:59 いつもの薬局
17:05頃 帰宅

 昨夜はウォッカを結構飲んだのに加え、アブサンを飲んで「ウォッカだけ飲むべし」の原則に反したため、案の定日中は気分が優れず。
 だが今日はボーバが中国の新年祝いのパーティーに行こうと誘ってくれたので、昼から出かけてみる。どんなパーティーなのか、中身は全く知らずに行ったのだが、行った先はボーバが通う茶道教室。茶道教室に通う人々が集まって、やや遅めのお祝いをするというもの。
出てきた料理はなんとのり巻き寿司。日本の寿司とほとんど変わらずとてもおいしかったのだが、気分不良のため少ししか食べられず残念。私以外のメンバーは全員ロシア人だったが、飲み物として日本酒やお茶が出されていて、まるで日本にいるような感じであった。

 食事の後は実際に茶道を体験。茶道の部屋には掛け軸がかけられ、畳のかわりに絨毯にテープを貼って畳らしき外観を呈した床があった。最初にボーバと私を含む四人が掛け軸を背に正座し、お茶を頂くことになった。
 茶道は全く初めてのことなので、どう振る舞ったら良いものかさっぱり分からなかったが、とりあえずじっと座って、一人の女性が慣れた手つきでお茶をたてる様子を見る。お湯の入れ方、お茶の粉の入れ方、道具の置き方に至るまで、動作の一つ一つがとても精密で、私はすっかり見入ってしまった。
 ほどなくして、私の右側にいた人に最初にお茶が運ばれてきた。私は二番目にお茶を頂くことになっていたので、振る舞いを覚えようと、彼女の動作を凝視する。
 頂く前に、「お点前頂戴いたします。」と日本語で言ったのには驚いたが、驚くのはまだ早かった、茶碗を2回ほど回してから飲んだり、飲んだらそれで終わりではなく茶碗を見る動作(「拝見」というのだそうだ)があったりと、一度ではなかなか覚えられないようなことが短時間のうちに行われ、私はあっけにとられた。
 私の番になり、隣の人の様子を思い出しながら一生懸命ぎこちない動作をやっていると、隣人がその都度説明してくれた。私の最初の「お点前頂戴いたします。」がナチュラルな日本語だったことに周囲からちょっとしたどよめきが起こったが(一応私は日本人ですから)、あとは隣人に言われるままに一連の動作を行う。何も知らない外国人がこの様子を見たら、あたかも茶道はロシアの文化なのだと思われたかもしれない。
 そんなわけで、初めての茶道はロシア人から教えてもらった。まさかここに来て日本文化を、しかも日本人以外から学ぶなんて夢にも思っていなかったが、それはそれで大変面白かったし、これだけ日本に関心のある人がいることを知って嬉しく思った。

 今日集まった人達は、皆多かれ少なかれ日本語を勉強している。なぜわざわざ好んで日本語を学ぶのか、私にはなかなか理解しがたいところもないわけではないが、ボーバのように日本で働きたいという人もいれば、ただ興味があるからやっているのだという人もあろう。いずれにせよ、日本料理を作ったり、日本酒を飲んだり、茶道を学んだり、この人達は本当に日本や日本文化が気に入っているんだなということが良く分かった。彼らの日本語学習への意欲が高いのも、ひとえに日本が好きだからということに尽きるのかもしれない。そんな人々から日本の文化を学んだことは、私の誇りとするところである。