ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

骨董品は持ち出し不可

2006-02-22 21:00:50 | Weblog
2006年02月21日
ロシア滞在通算163日目
【今日の写真:ペテルブルク的ゴミ収集術。解説は本文参照。】

今日の主な動き
09:05 出かける
09:13 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:18)→バシレオストラフスカヤ(09:25)
09:45頃 学校
13:20 オリヤ先生の家
  187番のバス バシレオストラフスカヤ駅(15:02)→カザン聖堂前(15:19)
15:21頃 日本センター
17:41頃 カザン聖堂側の列車予約センター
18:44 帰宅

 通学途中、バシレフスキー島の8番通りで操業中のゴミ収集車に出くわした(【今日の写真】)。作業員が、街でよく見かける大きなゴミ箱を道路まで運んできて、トラック横についているアームに取り付ける。何をするのかと思って観察していると、そのアームが荷台の上まで上がってきてゴミ箱を真っ逆さまにしたではないか。何とも豪快かつ効率的な回収方法。
 実は私のホームステイ先の集合住宅の中庭にも同様のゴミ箱が置いてあるが、結構大きいので、どうやって回収するのか気になっていたところ。これで疑問が一つ解決。

 今日の学校の授業は文法。生格を形容詞のように用いる用法の練習で、ひたすら生格の復習をしているような感覚。とても簡単だった。
 授業後、オリヤ先生の家で個人レッスン。最近は、レッスンの最初に何かニュースを説明することになっている。今日は日本で起こった滋賀の幼稚園児殺害事件について話し、最近日本では幼い子どもが殺害されることが多いことを説明した。

 ところで、この「最近日本では…」というフレーズをロシア語にすると、”Много детей было убито за последнее время в Японии.”というふうに、無人称文になるのだそうだ。(много、несколько、2,3,4…などの数詞)+(数量生格)が主体の時は、過去の事実を述べる場合に限りこのように無人称文を使うことが普通らしく、新聞やテレビのニュースなどで良く用いられるという。
 この後先生は、「そういえば前に言っていた、幼児を殺した男はどうなったか?」と聞いてきた。先日、連続幼女殺害事件の宮崎勤被告(当時)に最高裁で死刑判決が出たことを話していたので、先生はその続きが気になったようだ。今日は、既に判決訂正の申し立てが却下されて死刑が確定したことを説明。すると、「もう執行されたのか?」と聞かれたので、まだだいぶ先のことになると話した。「日本では(確定から執行まで)数年から10年以上かかることがある。被執行者は年1,2人だがそれを上回る死刑判決が出ている。」などと説明しながら、何ともおかしな制度だなということに改めて気づいた。
 私はもとより死刑廃止を支持するわけだが、現状では確定判決の執行まであまりに時間がかかり過ぎる。もし司法の判断通りに、確定順に刑を執行しようとすれば場合によっては年に2桁台の被執行者が出ることも考えられる。が、国民の批判を恐れる法務省がそんな大量執行をすることはまずあり得ない。内閣改造の直前や国会の閉会中にこっそり1,2名の死刑を執行するというのが現在の制度運用の実態で、対象者の選択基準が不明だという批判があるほか、確定判決の効力が甚だしく軽視されている感がある。司法にだけ死刑の選択という重い責任を負わせておきながら行政が堂々と執行指揮が出来ないというのは非常に問題で、このこと自体死刑制度の抱える矛盾を露呈している。
 最近インターネットで、自民党の大物国会議員が講演で死刑廃止を訴えたというニュースを見たが、掛け声だけに終わらせてはならない。説明に窮する野蛮なシステムを持っていることは、日本国民にとって大いに恥ずべきことだ。私は日本を嫌いではないし、外国人と話していて誇れるところもたくさんあるが、やはりこんな国を100パーセント誇りに思うことは、私には出来ない。少なくともこの点ではロシアやEU諸国の方がはるかに進んでいる。
 とまあ、今述べたようなことをロシア語ででも説明できれば一番良いのだが、先生に教えてもらいながらようやく「近い将来このような刑罰がなくなることを望む。」という程度しか言えないことが極めて遺憾。言語を学ぶ上で、自分の意見を満足に話せるということは一つの大きな目標だが、一歩一歩近づいてはいるものの、道のりはなかなか長い。初めて訪れる観光地で、自分が目指す楼閣の姿は見えるのに、回り道ばかりでなかなかたどり着けないというのと同じ。
 
 さて、レッスンの終わりに、オリヤ先生は面白い物を見せてくれた。窓辺に敷いた新聞紙の上にそれはあった。ダイヤル式の計算機のようだったが、相当古いため錆び付いていて使えそうには見えない。それでも彼女はダイヤルの部分を回して見せながら、「ここのところに油をさせば動くと思う。」などと大まじめに話す。
 実は彼女は骨董品の収集が趣味らしい。この計算機の他に、部屋の中にはかなり古いとみられるレコードの再生機らしきものもあった。なんでも、市内には骨董品の市場があるらしく、時々そこに行って買い物をするのだそうだ。オリヤ先生の意外な一面を見た。
 骨董品の収集なんて、日本では年中着物を着ているような、いかにも気むずかしい老人がやるものだというイメージがあったから、若い女性がこんな趣味を持っていることにとても驚いた。ロシアではこれも普通なのだろうか。

 ちなみに私は着物を着ているわけでもないし、気むずかしくもないが、こうした骨董品にも多少の興味はある。ロシアの骨董品なんて何か記念に持っていてもいいなあと思っていたところ、意外な話を聞かされた。なんと骨董品は国外に持ち出せないというのだ。先生によると、1940年代かその前後よりも前に製造された物は国外持ち出しが禁止されているそうで、持ち出すことが出来る物もあるが、そういう物はかなり高額らしい。聖像画などの持ち出しが禁止されていることは有名な話だが、聖像画に限らず古い品々も持ち出せないということは初めて知った。
 おみやげや記念品などの買い物をする際は、十分気をつけなければならない。