ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

テコンドーに初挑戦

2006-02-02 20:26:51 | Weblog
2006年01月29日
ロシア滞在通算140日目
【今日の写真:今日買ったCD。このCDのに入っている”Если в сердце живет любовь”という曲はかなり有名。】

今日の主な動き(今日から交通機関は、《交通手段 乗車地(発時刻)→到着地(着時刻)》と表記します。)
00:35 帰宅
8時前 起床
10:30頃 朝食
13:19 出かける
13:27 いつものインターネットカフェ
14:13 ボスタニヤ広場駅前の”505”(CD,DVDの店)
14:28 ジュコフスキー通りの「ブリーンドナルド」
14:58頃 帰宅
15:09 出かける
15:16 マヤコフスカヤ駅 
   メトロ マヤコフスカヤ(15:21)→バシレオストラフスカヤ(15:28)
15:50頃 テコンドーの道場
20:21 バシレスキー島の喫茶店”Чайная Ложка”
21:51 バシレオストラフスカヤ駅
   メトロ バシレオストラフスカヤ(21:57)→マヤコフスカヤ(22:04頃)
22:20頃 帰宅

 今日は午後CDの店に出かけ、昨日ボーバ達に教えてもらったCDを買う。”Юлия Савичева”という歌手の、”Если в сердце живет любовь”という曲。この曲は、6チャンネルで20時から放送される連続ドラマの主題歌で、ロシアに来てから毎日のようにテレビで聞いている。マルシュルートカや通りのラジオからも時々流れてくるほか、ネフスキー大通りでこの曲を歌いながらバスを待つ人々を見かけたこともある。とにかくよく耳にする曲なので、メロディーが頭から離れない。どうやら私のこの留学中のテーマソングになりそうだ。
 ずっとCDを買おうと思っていたのだが、今まで曲名が分からず、昨日ボーバやアリーナに教えてもらって初めて、CDを買いに行くことが出来た。

 CDを買って満足したところで昼食をと思い、ジュコフスキー通りのロシア版マック、「ブリーンドナルド」へ行く。ここはファーストフード店ながらロシア風のスープなんかがあり、値段も安くてとても良い店。
 今回はウィンナーの昼食セットとスープを注文した。いつものように、お茶、ウィンナーとポテトコロッケの箱、それにスープが目の前のプレートにのせられたまでは良かった。が、店員はさらに数箱プレートの上にのせ、お茶、スープも2つずつという、奇妙なメニューが出てきたではないか。店員は何か勘違いしているに違いなかった。後ろに並んでいた少年達の熱い視線を感じた。彼らは絶対、「この外国人はとんでもない大食漢だ」と思っているに違いなく、第一私もこんなに大量には食べられない。
「152ルーブル。」と言われたところで、やはり間違いだと分かった。「私は何を注文した?ウィンナーのセットとスープだけなのだが。」と店員に確認すると、店員は間違いを認めた。どうやら、ウィンナーのセットが2つ(?)だと思っていたらしい。値段は本来の85ルーブルになったが、スープがセットになっていたことをつい忘れていて、スープだけは2つ頂くはめになった。幸い種類が違っていたうえ、とてもおいしいスープなのでそれはそれで良かった。

 さて、一旦帰宅した後、バシレオストラフスカヤ駅でボーバと待ち合わせてテコンドー道場へ。昨日カフェで話した際、「明日は終日暇だ。」と言うと、ボーバがテコンドーに誘ってくれたのである。 
 道場で教えてくれるのはユリヤという、日本語を勉強している女性。以前ボーバとともに日本センターで会ったことがあり、話したこともある。
 テコンドーなんて「テ」の字も知らなかったので見るだけで良かったのだが、ものは試しにと、ロシア人4人に混じって私も練習に参加。

 説明はロシア語だったが、他のロシア人達の動作を見てまねをする。
 室内を走ったり、基本的なトレーニングをしたり、最初は楽だった。積雪や厳寒の到来で2ヶ月ほど走れずにいたので、久々の良い運動だと思っていたが、すぐにその程度では終わらないことに気づいた。横になって片足を床面と平行に保つ動作をしたり、足を伸ばして上半身を前に倒すストレッチをしたり、腕立てや腹筋をしたりと、要するに私が非常に苦手とする運動がかなり続いた。そういえば、つくばマラソンの授業でも同じようなトレーニングをしたことを思い出す。私が苦手とするこのような運動は、種目如何に関わらずスポーツの基本のようだ。頭では分かっているが、実際にはついつい懈怠の心が生じてこの種の運動を避けてしまってきた。
 テコンドーがどのようなスポーツなのか私は知らないのだが、2人組になって相手を攻撃し、自分は攻撃をかわすという練習もした。なかなか激しい運動である。格闘技系に全く無縁の私だったが、ロシアに来て初めてテコンドーなるスポーツに接することになった。
 久々に良い汗をかいたが、明日以降筋肉痛になること間違いなしである。

 帰り道、ボーバと喫茶店に寄って話す。彼は明日、日本語の会話のテストがあるというので、私は日本語で話そうと提案したのだが、彼は私のためにずっとロシア語で話してくれた。
今回は将来のことについても話をした。私達はよく、5年、10年後など、先々を見通して進路を選択するよう言われてきたが、ボーバはこれとは違う考えを持っているようだ。彼は将来ロシアではなく、ずっと日本で働きたいというが、具体的な計画はないという。なぜ具体的なことを考えないのかと問うたところ、今考えていることはいずれ変わっていくからだという答え。彼は教育の大学で学んでいるが、今の授業に興味が持てず、日本センターに通って日本語を学び始めたのだそうだ。志を持って大学に入学したものの、授業が面白くないというのは日本でもよくある話だ。が、彼はそれで腐ることなく、ロシア人にとっては相当難しいに違いない日本語に果敢に挑戦している。

「考えはいずれ変わる」彼の言葉を聞いて、なるほどその通りだと思った。私と同じ年齢のボーバだが、彼はとても柔軟な、しかもかなりしっかりした考えの持ち主だ。たとえ始めと考えが変わっても、その時その時で何か一つでも夢中になれるもの、集中して取り組めるものがあれば、人間は希望を持って生きていけるのかな。ボーバの姿を見ていると、そんなことを思う。あれだけ熱意を持って日本語に取り組めば、近いうちに必ずマスターできるはず。具体的にどんな仕事に就くなんてことは、日本語を習得してから考えても十分間に合う。「語学は宝だ」と聞いたことがある。その宝をいかして、将来是非日本で働く夢をかなえて欲しい。そう願わずにはいられない。