国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

小論文「環境問題」(解説あり)

2020-01-30 20:30:15 | 国語
問い
家庭、学校、地域などあなたの身の回りで、地球や生物に負荷をかけていると思う問題を挙げ、○○の立場から、その問題の解決策を800字以内で提案しなさい。その際、その解決策が有効だと思う理由も述べなさい。○○には、あなたの設定したい立場を自由に入れなさい。
例:環境大臣、企業の社長、教師など





【解答例】
 私はアスファルトの道路が地球の温暖化などの環境問題を起こし、地球に負荷をかけていると考えている。私は、その問題を解決するために、散歩者の立場が重要だと考えている。具体的に言うと「一緒に散歩に行かないか」と言うことによって散歩者を増やすだけで解決する可能性が増えるだろうと考えている。
 夏にアスファルトの道を歩いていると、その反射する熱の高さにめまいを覚えることがある。それが大きくなるとヒートアイランド現象になり、クーラーをつけ、ますます、炭素や熱を多く出し、さらに地球温暖化が加速するという悪循環を作ってしまう。
 そんなときに、重要なのは政治家でも、企業の社長でも、消費者でもない存在が重要だと思う。散歩をしているとわかるが、夏の暑いときに一瞬、心を休めてくれたり、涼しくしてくれたりする存在がある。それは木陰であり、ちょっとした雑木林である。雑木林にいたっては、涼しい風が吹いてくることがあり、クーラーを連想してしまう。実際にはクーラーを基準にして自然を考えるのは悲しいことだけれど。
 私が散歩する雑木林には木が数本しかないのだが、見ているととても楽しい。名前の知らない木だが、緑の実がぱらぱらと落ち続ける音を聞いたり、その実を目当てに鳥が来たのを眺めたりしていると、とても楽しいのだ。少なくとも真夏のアスファルトの道路の上を歩くよりは何百倍も楽しい。
 散歩者という存在を軽視してはいけない。消費者は、時に自分の日常にかまけて便利さを求めることだろう。クーラーをつけても気にしない。政治家や企業家は世論やら利益やらに流されることだろう。景気が悪くなる環境政策や利益が減る環境問題への対処は避けるからだ。日常から一歩離れた散歩者の視点を実感すること。そのことで私たちは涼をくれ、ささやかな野生動物を見る快感を大事にするだろう。私の持っている古文単語集は「風流」の分野から覚えるようになっている。日本人の持つ風流への感覚は自然とともに生きた証だ。散歩者は風流の後継者として、アスファルトを嫌い、クーラーのない世界を愛することができる存在なのであり、アスファルトやクーラーという自然への負荷を減らすことにつながるのだ。





【解説】
 小論文で重要なのが条件を満たすである。「地球や生物に負荷をかけていると思う問題」を明記することは必要なことは忘れてはいけない。
 しかし、この問題で学ぶ重要なこととして、解答する際に「例」を条件として考えてみよう。
 「環境大臣、企業の社長、教師」とあるな。これを念頭に出題者側は考えているということだ。
 ここで、今回、話題にしたいのは、「高度化」である。そこらへんにいる受験生とは一味違う! というところをアピールしてみたいのである。
 「高度化」というと難しいことを書けばいいと思って、自分でもよくわからないことを書く受験生がいる。本当にいる。自分でもよくわからないことばで文章を書いてみて意味が通じる文章になる確率は、サルがパソコンでキーボードを適当に叩いて意味が通じる文章になる確率におそらく近い。だって、ことばをよくわかっていないんだもんな。
 今回の「高度化」は身近なことを高度化する例と思って読んでほしい。

 まず、避けたいのは「環境大臣、企業の社長、教師」である。相手はこれを凡庸と思っているに違いない。むろん、夢の立場として「企業の社長」などは、具体的なアイデアがある生徒には良いかもしれない。「教師」にすると身近な話題で展開できるかもしれない。「環境大臣」ならマクロな視点で書けるやもしれない。
 しかし、だ。
 相手は想定内のことばかりを書きそうな予感がするよな。「例」に出していることなんだから。勘違いもはなはだしいことを書くかもしれないよな。だって、その立場になっていないのだから。
 今回は裏技の紹介である。それは造語だ。言葉を作ってしまうのだ。危険ではあるが、新しい視点で書くには今までにない言葉で書くしかないのだ。むろん、注意点もある。実は、その言葉がとっくに存在し、そしてその言葉の使い方は間違っているという場合だ。
 今回は身近な「散歩」という言葉から「散歩者」という言葉を考えた。身近な「散歩」を選んだのは実感から書けることが多かったためだ。江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』を考える人もいるやもしれぬが、環境問題との関連は浅いし、先行する単語があるとしても誤用、混乱の心配も少なそうだ。。ルソーの『孤独な散歩者の夢想』とか出る人いる? 渋いね。俺より教養があるわ。以下の駄文は読まなくてもいいと思う。
 まあ、もともとの意味と非常にずれたことになりそうにないし、この言葉を使うことにした。散歩って高度か? と思う人もいるだろうが、盲点だと思ったのと、身近なことだったのだ。
 ここで諸君に強調したいのが、日常の大切さである。通学で寄り道とかしたことはないか。そのときに多くのことを感じるようにしておこう。このあたり蔵が多いな。蔵の入り口の鯉の彫刻が見事だな、これはなんだ、Siriに聞いてみよう。Siriが答えられない時は思い切って、その家の人に聞いてみよう。面接や自己推薦書で自分が積極的な人物であることの具体例として十分なエピソードだ。「こて絵というのか。なるほど」なんて感じに道を歩くと具体的な知識が身につく。まさに「身につく」のだ。身体的な知識になる。これは参考書だけで、そして、インターネットだけで知った知識とはレベルが違う。
 その寄り道ですら「散歩」である。
 そして、「散歩」ですら小論文に活用できるというのを知っておいてほしいのだ。具体例が自分の経験から出る場合もあるということを知っておこうではないか。
 


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