猫の目

◎5匹の猫を見送り30年の猫の居る生活に幕が下りましたが
まさかの展開で又猫の居る暮らし復活!

10年ぶりの美容院

2018年05月06日 | 日記

いつも自分でカットしていて美容院は10年ぶり?15年ぶり?
どの美容室行くより自分でカットした方が気に入るんです
歳をとると髪も細くなりヘアスタイルも決まらない
ずっとショートだが急にベリーショートにしたくなった

以前から気になっていた美容室
カット¥1500円也
いつも混んでます

一人10分程度で仕上げる早技
10年前と大違いで美容院も様変わりしました
昔の美容室は情報交換の場所でおしゃべりでストレス解消の場だった
地元の美容師さんは芸能リポーターの様に裏の話まで知っていました^_^;
今はコミニュケーション無し
機械的にさばいていきます
でも自分にはこのシステムが合っている(早くていい)
後ろ髪のカットはなかなか自分ではうまくいかないのです
さすが左右のバランスがあってます
自分では中々思いきれない所もバッサリやってくれます
スッキリしました

「よし!カットの技は盗んだぞ」

これで又何年も美容室には行かないんだろうな

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人生そのものって何だろう

2018年05月05日 | 日記
加山雄三さんが「光進丸」を人生そのものと言っていた
人生そのもの・・・
そのもの・・「それ自体」という意味

野球が人生そのもの
音楽が人生そのもの
仕事が人生そのもの・・ets

人生に重きを置いて生きてきた事柄の事なのだろうか?
この道一筋とか
その事の為に時間を費やし
それをするために毎日がある
それがあるから生きていけるとか?
生きてきた結果を指し「そのもの」が決まるのだろうか?
失敗した人生も人生そのもの
取り返しのできない失敗。修正出来る失敗。
山ほどある

自分の人生そのものって何だろう?
特にない・・・
人生は選択の繰り返し
右か左か
楽を選ぶか苦難を選ぶかによっても人生は変わる
木が育って往く様なものでその大きさも様々です


強いて言えば我が人生に悔いなし
苦難の道を選んできたから
朽ちても誰かの道しるべとなれたら本望とする



人の数だけ人生そのものがある

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淀んでいたものが流れ出した

2018年05月04日 | 日記
淀んで濁っていた
節約生活がはじまり「お金使う恐怖症」からとにかく家を出なくなった
出なければお金を使わないからだ
それしか策が浮かばなかった
年金以内で生活するという事は行動が限られてくる

節約生活にもなんとか慣れてきた頃自分の中の何かが淀んでいる事に気づく
無駄を排除した生活は死なない程度の最低限の生活となる
そして只そっと息をしてるような生き方になる
動けなくなる
それは病的でもありいいことは一つもない
お金に牛耳られていた
お金を使わない外出までできなくなっていた

ダイエットをきっかけにウォーキングを始めてから動く事が苦痛でなくなった
外へ出るようになった
すると淀んでいた何かが流れ出し排出した

「長生きしたい・死にたくない」とはまったく思わないのだが今日が心地よく生きたい

お金がなくてもこういう一日を過ごせる
心次第で・・
以前の前向きな自分を取り戻したようだ

この歳になってまだ自分に驚かされる
「こんなもの」と諦めずより良く過ごせるようにする為には
自分自身が努力しなければならないと思う

気づけてよかった
悶々と暮らすより




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「怒る」「叱る」「指導する」の違いは・・

2018年05月03日 | 日記
怒る・・・・自己の感情の表現
叱る・・・・相手の事を考えた上での事
指導する・・叱るの延長で具体的に指摘する

叱るの定義とは?
叱るとは愛情の表れです「叱るエネルギー」は愛情あってこそ成し遂げられる

相手に対してどうでもいいと思ったら叱りもせず関与もしない
本当に相手を思って叱るのは大変なエネルギーがいる
甘やかす方が楽です
すると「ナッツ姫」や「水かけ姫」を生んでしまいます
甘やかしは決して愛情ではない
駄目人間をみると親が信じられない位甘やかしています
そして堕落した自分の作品をみてうろたえます
本人も周りも皆不幸で苦しみます
それでも叱る事のできない親
叱る事は辛い事そこから逃げるのは自分の方が大事だから・・

振り返ると怒られた事。叱られた事。受けた感情は確かに違います
親が自分を思って叱ってくれた事は心にいつまでも残ります
怒られた事は不快な感情だけ残り内容など覚えていません

父は一代で会社を築いた努力の人です
ものすごいエネルギーで社員を叱っていた姿が思い起こされます
私の尊敬する松下幸之助に重なる部分があります
幼少の記憶では白い物も黒と言い切る所がある人でしたが魅力ある人でした
どれだけの社員が叱咤され人生に影響を及ぼしただろう
まさに人を育てていたと思います

叱り方は難しく思いが伝わらない事も多々あります
相手を思う心が本物なら必ず伝わると信じたい

今では叱られ慣れていない輩は「パワハラ」と言えばいいと思ってる

「怒り」か「叱り」か見極めることが大切です


叱られる事がどんなに幸せな事か知るべきです







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TOKIOの会見を見て・・・

2018年05月02日 | 日記
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませる事はできない」
イギリスのことわざで
馬が水を飲むかどうかは馬次第なので
人は他人に対して機会を与える事はできるが
それを実行するかどうかは本人のやる気次第であるという意味です。

このことわざが浮かびました。

TOKIOというグループで活動してきてそこには強い絆も生まれたはずなのに・・

其々皆大人です

成長には差があると感じました
こどものまま大人になれなかった人
自分をしっかり持った大人になれた人

其々の大人になる「なり方」も違ったようです

大人になるということは辛いんです
皆同じ思いです
自分と戦っているんです


会見の涙は「悔し涙」だと思います
信頼が厚かった分落胆は大きい
お互いにリスペクトして触発されて成長していける関係と思っていたのなら
この打撃は堪えます・・・・・
自分たちの絆はこんなものだったのか?と
自分が非難されるよりメンバーが苦しんでいるのを見る事の方が辛いと思います
あのまま事件にならずやり過ごしていたら山口達也は違う意味で終わっていたかもしれません
人間としてやり直すチャンスを与えられたと思って死ぬ気で頑張ってください
それがメンバーへのつぐないです

本当に悲しい事ですが
「お水飲まないと死んじゃうよと」叫んでも飲んでくれなければ終わります。

自分の足で歩くしかないんです

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