続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

寒くなった私

2019-08-21 12:36:18 | 怖かった

昨日は少し本の整理をしました。特別理由がないのですが

いつもの気まぐれ。

吉村昭さんの羆嵐が出てきました。以前読んだので、もう一度

と思って読みました。吉村昭さんの淡々とした表現が、かえって

恐ろしさを感じました。寒気がしましたが、やめることができず、

最後まで読んでしまいました。怖かった、以前と違う気持ちです。

実際にあった事件だそうです。

今朝は Uボート を朝から見て、息が詰まりそうになって、

二三日前に 深く静かに潜行せよ 眼下の敵 、

潜水艦の乗組員は辛いだろうな、私のような狭いとこの

苦手な者は、勿論駄目でしょうね。

MRI はなんとか我慢できます。友人はMRI で騒いたそうです。

小さい時押し入れに入れられるのが怖かった私。

夫は押し入れに入れられるのは平気楽しいなんて言っていました。

潜水艦に乗りたかったそうです。

2000.7.13.日 潜水艦うずしお 乗艦記念の夫の

写真が飾ってあります。何とも言えない笑顔です。

戦時下じゃないから笑顔です。

今日はまた 駆逐艦雪風に乗った西崎信夫さんの本を読みます。

あ、吉村昭さんの 破船 も怖いです。

もう一つ怖いもの蚊取り線香の取っ手についていた虫

カレハガの幼虫です。梅の木についていたようです。

なんで玄関の蚊取りの所に来たのか、不思議な虫です。

また蛹になるつもりかしら。

スプレーをかけて他所に行って貰いました。

 

 

 


外周りのお掃除

2019-08-19 12:12:17 | すっきり

今朝は風が少し涼しく感じたので、外周りの掃除をしました。

夏なのに結構枯れ葉がたまっています。

タマムシが落ちていないかと期待しましたが、いませんでした。

カマキリが、ぺしゃんこになって可哀想な姿でいました。

庭に埋めてやりました。

我が家の庭を見上げて立ち止まる人がいるので、気になっていました、

なんとアケビが沢山みのっていました。

アケビを見ていたのです。今年は豊作楽しみにしている人にあげます。

ムベも少し実がついています。うれしいです。

 

今年は千両も実が沢山つきそうです。昨年は実がつきませんでした。

暮れにはご近所にあげていたのに・・

一番がっかりしたのは鳥たちでしょう。

紫陽花の葉に空蝉

 

秋のお知らせトンボです。少しずつ秋に近づくのでしょうか。


送り火をしました

2019-08-17 12:24:11 |  ほっとしました

昨夜は送り火をしました。

風が強くて怖かったのでおがらを少し燃やしただけで

ご先祖様をお送りしました。道中大丈夫かしら気になります。

今朝は盆棚の片付け、ほおず,茄子キュウリ、お花も整理しました。

あっという間のお盆でした。

今日は朝から蝉の声が賑やかです。ミンミン蝉が木にとまっています。

いつ鳴くのかと思っていたら、鳴きませんでした。

 

玄関に空蝉。

綺麗に開いてくれたパトリオット。

NCISのマークハーモンにペイトリオットだと叱られそう。

冬から春にかけて沢山咲いてくれたゼラニウムですが、

流石に疲れが出ています。葉が黄色になりました。

涼しくなるまで、蕾が出ても切ってお休みさせます。

 

お盆の準備でほおずきを買い持っていたら、大きなほおずきですね。

と声をかけられました。私たちの頃こんな大きなほおずきは

無かったですよね、こんなのがあったら小躍りしましたねッ

とお話ししました。子どもの頃ほおずきは可愛い玩具でした。

おいくらでした?あれいくらだったでしょう。シールを見て

奥様は吃驚あらこんなお値段ですか・・・

立派だから高かったです。

タクシーの運転手さんにも立派なほおずきですねと言われました。

ほおずきを片付ける時、昔みたいに、遊ぼうと思いましたが、

母があの世で睨んでいそうなのでやめました。

 

 

 

 

 


八月十五日の思い出

2019-08-15 16:00:16 | 忘れない

74年前の今日はとても暑く、空が青く澄んでいました。

天皇陛下の大切なお話があるので、ラジオがあるお宅に

集まりました。

我が家は3月10日の東京大空襲でラジオが焼けてしまったので

近所のお宅に行きました。沢山の人が来ていました。

天皇陛下の声が聞き取れませんでした。

大人たちが泣いていました。お母さんが泣くのでそばの

赤ちゃんも泣いていました。

しんとして皆自分のうちに戻りました。父があ~と言いました。

仕方が無いね、だけどよっちゃん、はどうなるんだろう。と

戦地の長兄を心配しました。次兄は横須賀にいました。

みんな黙っていました。

よかった自由になるなんて叫ぶ人なんていませんでした。

母はこれ以上空襲が続いたら私たちは、気が狂ったかもしれないね

と小さな声で言いました。

焼け出されて小さな家を借りて、毎晩空襲でした。艦載機は

怖かったです。

それから食糧難で両親は苦労しました。

関東大震災で生き残り、東京大空襲で生き残り、キティ台風で

水害に遭った両親、長男をニューギニアで戦死で失い。

苦労しても頑張って私たちを育ててくれました。

何処にでもあの頃同じような親御さんが沢山いました。

そのような両親に育てられて有り難い事です。

この幸せな命を大切にしなければと思います。

ただ家族を失った子どもたちも沢山いたのです。

両親揃っても苦労したのに、辛い話です。

みんなドラマのように幸せになっていたらと思います。

今日はやっと夫の好きなパトリオットが咲きました。

暑さのせいでなんか花が小さいです。

 

 

 

 

 

 

 


孫の焼いたステーキ

2019-08-14 17:16:48 | うれしいこと

次男と孫が一日だけ泊っていきました。

下の子たちは受験で来ませんでした。

夕食はステーキ私の好きなタスマニアビーフです。

チーズや頂き物の可愛いトマトを大きな器に沢山入れました。

ナスのショウガ味噌炒め、ショウガもナスも頂き物です。

孫はイタリアンレストランでアルバイトして厨房で仕事

していたそうです。

今日は T ちゃんにお肉を焼いて貰おうかな、元気に

承諾してくれました。

付け合わせの野菜はお皿に盛って、後は任せました。

珍しいロゼのシャンパンが出てきたので、私はグラスの

準備をしました。慌ててシャンパングラスを落として、

私と次男は箒、掃除機、テープ、と大童、やっと片付きました。

その騒ぎの最中孫が見事にお肉を焼いてくれました。

出てきたのは、私が焼いていた同じお肉とは思えない

優しいお肉の姿でした。

なんとトング、フライパンナイフ、鍋蓋が綺麗に片付け

られていました。

わー凄いそしてシャンパンを開けて乾杯

美味しいステーキでした。

うれしかった。ぬいぐるみ好きの可愛い坊やが・・・

ただ期待したロゼのシャンパンが思ったほどでなくて

その後は私の好きな赤ワインで楽しみました。

うれしかったのは、私が作ったナスとショウガの味噌炒めを

沢山食べてくれたことでした。

あまり高価でないタスマニアビーフが焼き方一つで

こんなになるのか、

いつもカリカリに焼いていた私は反省しています。

タスマニアビーフごめん。