74年前の今日はとても暑く、空が青く澄んでいました。
天皇陛下の大切なお話があるので、ラジオがあるお宅に
集まりました。
我が家は3月10日の東京大空襲でラジオが焼けてしまったので
近所のお宅に行きました。沢山の人が来ていました。
天皇陛下の声が聞き取れませんでした。
大人たちが泣いていました。お母さんが泣くのでそばの
赤ちゃんも泣いていました。
しんとして皆自分のうちに戻りました。父があ~と言いました。
仕方が無いね、だけどよっちゃん、はどうなるんだろう。と
戦地の長兄を心配しました。次兄は横須賀にいました。
みんな黙っていました。
よかった自由になるなんて叫ぶ人なんていませんでした。
母はこれ以上空襲が続いたら私たちは、気が狂ったかもしれないね
と小さな声で言いました。
焼け出されて小さな家を借りて、毎晩空襲でした。艦載機は
怖かったです。
それから食糧難で両親は苦労しました。
関東大震災で生き残り、東京大空襲で生き残り、キティ台風で
水害に遭った両親、長男をニューギニアで戦死で失い。
苦労しても頑張って私たちを育ててくれました。
何処にでもあの頃同じような親御さんが沢山いました。
そのような両親に育てられて有り難い事です。
この幸せな命を大切にしなければと思います。
ただ家族を失った子どもたちも沢山いたのです。
両親揃っても苦労したのに、辛い話です。
みんなドラマのように幸せになっていたらと思います。
今日はやっと夫の好きなパトリオットが咲きました。
暑さのせいでなんか花が小さいです。