続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

恥ずかしいお話

2016-02-26 15:15:47 | ひとりごと
だいぶ前の話、英会話教室に行っていた頃です。
講師のJ先生に、楽しかった映画のことを、聞かれました。夫は  バック、トウ―ザ、フューチャー と答えました。
J先生は、え~と笑っていました。私の番で、私は ハワードザ、ダック、と言ったらJ先生はもう真っ赤になって
笑い出しました。???おかしいな。と思ったら、利発なOLのTちゃんが、風と共に去りぬ、次の高校生は
エデンの東 とか言い始めました。感銘を受けた映画と質問されたのでした。
J先生は ガンディー と言いました。ああそうか、私たち夫婦は恥ずかしい思いをしました

J先生は、インドに度々旅行して。カシミールの人と結婚しました。二人でオレゴンに帰り、可愛らしい三人の
お子さんの写真を送ってくれました。J先生も優しい母親のお顔をして、幸せそうでした。

9,11の事件があって、夫は肩身のせまい暮らしをしているのではと心配していました。
日本の炬燵と、絣のモンペが気に入っていました。どうしているかしら、気になります。

後でわかったことですが、ハワード・・・はとても退屈で最悪の映画だそうです。
でも私は、ハワードが職業紹介所で職員に、あんた障がい者のフリするんじゃないわよ、しっかり働きなさい
なんて言われて、プールの掃除をしているのが、面白かったし、 ヴェバリー~と素っ頓狂な声で叫ぶシーンが
面白かったんですが。私は小さいころ、アヒルに追いかけられたこともあったし遊んいたので、なにか懐かしくて
まさか最悪の映画とは知らなかったんです。  、 

フラワー、フェアリーズ

2016-02-22 21:31:01 | ひとりごと
私は、シシリー、M、ベイカ―の作品が大好きです。
本、カレンダー、シール、カード、カップ、小物入れ、先日はしかけ本を手に入れました。
アマゾンでも三週間かかりました。うれしくて、子供のように毎日見ています。
ベイカーの作品を最初に見たのは、シンガポールのラッフルズホテルのショップでした。
花の妖精のブローチでした。夫は子供だましのようなものなのに、意外に高いな、なんて言って
こんな物よりゴールドの方にしたらと言ってネックレスを買ってくれましたが、私は花の妖精の
ブローチのことばかり考えていました。誰の作品かも知らなくて、わたしの心が騒ぎました。
幼いころ、花の中には妖精がいると信じていました。従姉と土の中にいるかもしれないと話しながら
大きな穴を掘って祖母に叱られました。
あるとき、丸善でベイカーの本に出会いました。そしてカレンダーです。10月頃に行かないと
もう売り切れてしまいます。毎年カレンダーのために丸善に行きました。
いまはネットで買うことが出来ます。幸せです。
ロンドンに駐在していた。友人がカップを買ってきてくれました。うれしくて有難くて、大切に
飾ってあります。

しかけ本には。
<花の妖精たちは、おちた花びらでつくった、一揃いの衣装を身につけます。妖精は装うことで
まわりの花々に扮して、きずかれず、はばたくのです。>・・・・・などなど。
沢山の夢のことばが散りばめられています。

少女趣味と思う人もいるかもしれませんが。少女の昔に戻って、妖精たちとお話しができます。
楽しい美しい本です。妖精の写真もありますよ。

藍水のうつわ

2016-02-19 17:33:48 | ひとりごと


ほんの一握りの蕗の薹でしたが、さっと炒めて、お醤油で味付けだけでとても美味しく
出来ました。日本酒で少しずつつまんで、楽しみました。
私の好きな、藍水の器に入れました。盛り付けましたと言うほどではありませんでした。
この器は息子には使わせません。私専用です。

蕗の薹

2016-02-15 15:55:51 | ひとりごと

昨日は春でしたが、今日はまた冬に逆戻りで、私の体は戸惑っています。
今朝はまだ昨日の暖かさが残っていました。昨日の風で散らばった葉っぱをお掃除しました。
可愛い蕗の薹がありました。早速採りいれです。今夜は油で炒めて、お醤油を少し
入れて、美味しいおつまみを作ります。やっぱり日本酒かしら。この量ではあっという間に
終わりです。

夫は蕗の薹を馬鹿にしていました。小さいころ見つけると、なんとオシッコをかけていたとか、
食べるものじゃないぞ。なんて言っていました。でも天婦羅なんか、案外美味しいもんだな。
と言って随分沢山食べていました。私は自分の分が無くなりそうで、はらはらしていました。
勝手者の夫でしたが、思い出すと笑いがこみあげてきます。もう今年は七年忌です。

町内会

2016-02-12 21:20:25 | ひとりごと
新聞で町内会のことについて様々な意見が出ていました。
私の育った下町は、町内会、近所、結束が固くて、どこで誰がなんてみんなが知っていました。
実家は商売をしていたので、家には誰かしらがいて、お帰り、どこに行ったの?なんて毎度のことでした。
商売人は嫌、絶対会社員と結婚して、旦那様が会社に行ったら、静かに家で過ごし、夕飯の支度をする。なんて
夢見ていましたが、結婚したら、社宅暮らし、社宅の周りの草取り、下水の掃除、が待っていました。
汚くしていたら、会社の恥よと先輩の奥様に言われて、仕方なく、でもみんなと一緒にすることで、楽しいことも
ありました。その後公団の分譲住宅に入居したら、自治会、管理組合、と順番が回ってきて大変でした。でも
楽しかった。子どもたちものびのび育ってくれました。
次は一戸建てに住まうことになりました。この土地はとても結束が強く、盆踊り、夏祭り、子供会、隔年ごとの自治会主催の花火、
運動会、バス旅行、文化祭、公園の草取り、御餅つき、避難訓練、役員さんは大変です。でもみんなお互いに頑張ってきました。
子どもが、独立し、夫が他界して、一人になりましたが、近所の人たちがみんなお互いを思いやって、暖かな気持ちで
暮らしています。大震災の時は、自治会の班長さん、近所の人、市会議員さん県会議員さん、がヘルメット姿で様子を見に来て
くれました。お互い様です。と言ってくれますが、有難いことだと思いました。お互い様、お陰様、感謝の気持ちでこれからも
この地に住んでいたいと思います。