続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

京月窯復活

2012-04-22 22:09:37 | よかった

うれしいことをもう一つ。

原発の近くの浪江で伝統工芸品の大堀焼の窯元の近藤さんが昨年12月に

飯坂で窯を作り活動を再開したことです。

地震があってからすぐには連絡が取れず心配しましたが。

無事に福島市にいることがわかりました。娘さんの京子さんの積極的な

活動で再開にいたりました。

昨年お父さんからあいさつの電話を受け取りました。本当に良かったと

お祝いしました。

ただ残念なのは私たちの大好きな浪江は元に戻るのに時間がかかりそうなのです

義父の仕事で浪江で育った夫は、いつも浪江での遊びや友人たち、素晴らしい先生の

ことを話していました。戦後間もなく担任の先生がディベイトを教えてくださったこと

アユ釣りの話、野山を駆け巡ったことなど、いつも聞かされているうち私も浪江で

育ったような気持ちになったものでした。とても良い人たちで、私を妹のように

してくれていました。夫が生きていたらどんなに喜んだか。でもいまの浪江を見たら

さぞ悲しがったこと思います夫の宮城県の従妹たち、岩手県の従兄も元気になって

うれしいことです。

おめでとう

2012-04-19 21:23:15 | ひとりごと

先日岩手県O市に住む夫の従兄からうれしい電話がありました。

津波の被害にあって休診していた外科医院が再開した知らせでした。

三階建てですが、一階が全く使えずもしかしたらもう無理かしらと思って

いましたが、元気な従兄と奥様の声を聴いて私もほっとしました。

お見舞いのお礼にと沢山の名産の柿羊羹が届きました。私も早速お祝いを送りました。

あの日ひどい揺れで屋上に避難したそうですが、これは普通ではないと思い

高台に避難したそうです。でもそこでまだ上に逃げようと、一緒にいた人たちと

さらに上に向かったそうです。

高台の小学校に着いたときはへとへとだったそうです。看護師さんや見知らぬ若い

人に助けられたそうです。小さい時から津波の怖さを聴いて育った人たちだから

逃げ切れたのでしょうか。ここで詳しく書けませんが避難所では苦労したようです。

でも無事で医院再開できて本当によかった。




お花見給食

2012-04-14 23:23:02 | ひとりごと
忙しかった孫たちの春休みも終わり、給食が始まりやっとほっとしています。

先日はお花見給食の日でレジャシートを持って学校に行きました。

3年生の孫は校門の近くの桜の木の下で、5年生の孫は、校庭の桜の木の下と

それぞれシートを敷いて給食をいただいたそうです。

美味しかった。と元気に帰ってきました。ちょうど良いお天気に恵まれて

楽しんだようです。桜のはなびらがお弁当にひらひら落ちてきたそうです。

なんて素晴らしいお花見でしょう。

孫たちのうれしそうな顔を見て私もうれしくなりました。