私の右ヒザには、巨大な絆創膏が貼ってある。
今日、数年ぶりに公道を全速力で走ったら、足がもつれてひどい勢いで転んでしまったのだ。
コケた際に穿いていたチノパンの右ヒザ部は無残に破け、みるみる血が滲んできた。患部が少しずつ腫れてきている気配もある。
それでも私は、昼間のことを思うと、心の底から安堵しているのである。
話はこうである。
今朝、まだ事務所を開ける前に、ある女性入居者が強く訴えてきた。
「お願いです!今日病院に連れてって下さい!昨日からオシッコが出ないんです!
苦しくて死んでしまいそうです!」
しかし、今日はすでに受診予定が何件か入っており、運転手もクルマにも余裕がなかった。
そう説明しても、絶対に譲らない。
「それではタクシーを呼んで下さい!お金は私が払いますから!ただし、付き添いの人は付けて下さいね!」
明確な急患なら、もちろん人を裂いてでも受診をして頂く。
しかし、「昨日からオシッコが出ない」程度のことでいちいちスタッフを付けて受診していたら、ホームはパンクしてしまう。
だが、この方は「一度決めたことは絶対に譲らない」点では、我がホームでも最右翼の一人である。
もともと「交渉」の余地はなかった。もし対応しなかったら、110番か119番に通報してしまうに違いない。
私はハラを決めた。タクシーを呼んで、私が同行しよう。
その方が希望している病院は予約なしに行くと何時間待たされるか分からないことで定評がある。今日は事務所の出勤者も少なく、私が長時間外に出れば、同僚にかかる負担は大きい。
だが、仕方がない。
そもそも、不条理まみれの職場なのだ。
私はご要望に従ってタクシーを呼んだ。すると、その方はいつの間にかいなくなっていた。どこに行ったの!?
ホームの3階にあるお部屋を尋ねると、ゆっくりと着替えておられた。
「あんなに急がせておきながら…」と私はかなりムカツキながら着替えを促し、いっしょに1階に降りると、玄関から外に出て、その方を待っていたタクシーに乗せた。
私はまだ上履きだったので、履き替えるために玄関に戻った。
すると…何たること!!、私を乗せずにタクシーが発車したのである!
一瞬、私の全身から血の気が引いた。
だが思い直し、私は上履きのまま外に飛び出して、タクシーの後を追った。
「運転手さーん!待ってー!」
私は全速力で駈けながら、声を限りに叫んだ。
しかし、私の足よりタクシーのほうがずっと早い。みるみる引き離されていく。
途中、信号停止をしたので「しめた!」と思ったが、私が追いつく前に信号が変り、タクシーはまた発車した。
まるで悪夢のようだった。追えども追えども決して追いつかない…。
しかし、もう一箇所だけチャンスがあった。
私のホーム前の道から幹線道路に出るには、いったん大きくV字路を迂回しなければならない。
そのときにかなり時間が掛かる。そこで追いつければ…。
ふだん走ることのない私の心臓は逼迫してきて半ば卒倒しそうだったが、とにかく足を前に出し続けた。
と、タクシーはV字路を迂回し始めた。
今が勝負だ!と頭では思うのだが、足がもつれて前に出なくなって来る。
このままでは転倒するな…と私は予感した。
それでもシャムニ足を動かしたが、予想通り足がもつれ、スローモーションのように、私は道路に叩きつけられた。
そこにV字を回ってきたタクシーが差し掛かった。私の倒れ方がよほどハデだったのか、運転手は気付いてくれて、停車した。
死力を振り絞って私はクルマに乗り込んだ。そして運転手に、
「私を乗せてから行って下さいよ!」
と、怒った。運転手は平謝りをしたが、くだんの女性入居者は、
「あら、乗ってなかったの?」
と、トボけてみせた。
ここまで読んだ人は言うだろう。
「なぜそんなに焦るのか?行き先が分かっているなら、後からクルマで追えばいいだけではないか」ト。
ところが、そうはいかないのである。
一人で外出できない入居者が外に出た場合、これは「離施設」といって、いわば「行方不明」扱いになる。むろん事故、それも重大事故である。
「離施設」が発生したら、原則的には本社に連絡し指示を仰がなければならない。そして、本社からはしばしば「110番通報をせよ」という指令が来る。
自力で捜しているあいだに事件に巻き込まれたりしたら、それこそ警察沙汰となり、都や区からも厳しい調査を受けるからだ。
そうなったら、関わった当事者はボロ切れのように疲弊し白眼視される。そうして辞めていった人を私は何人も知っている。
そんなの不条理ではないか、認知症の高齢者の行動は予測がつかないのだから…と、多少なりとも実態を知っている人は言うだろう。
さもありなん、この世は不条理に満ちているのだ。
会社は「私たちはお客様の自己決定を尊重し、なおかつ健康と安全を保証します」と、笑顔で宣伝しながら、入居者を募っている。
そうである限り、必ず事故は起こる。そしてその場に偶然立ち合わせたスタッフは、いわば会社の発展のための尊い殉教者になるしかない。
私は、今日手ひどくコケた。だが、事故を防ぐためなら、転倒して血みどろになるくらいはなんでもないことだ。
一歩間違えれば、職務上で「コケていた」のだ。
もしそうだったら、今頃ノンキにブログなど書いていられなかっただろう。
にほんブログ村
今日、数年ぶりに公道を全速力で走ったら、足がもつれてひどい勢いで転んでしまったのだ。
コケた際に穿いていたチノパンの右ヒザ部は無残に破け、みるみる血が滲んできた。患部が少しずつ腫れてきている気配もある。
それでも私は、昼間のことを思うと、心の底から安堵しているのである。
話はこうである。
今朝、まだ事務所を開ける前に、ある女性入居者が強く訴えてきた。
「お願いです!今日病院に連れてって下さい!昨日からオシッコが出ないんです!
苦しくて死んでしまいそうです!」
しかし、今日はすでに受診予定が何件か入っており、運転手もクルマにも余裕がなかった。
そう説明しても、絶対に譲らない。
「それではタクシーを呼んで下さい!お金は私が払いますから!ただし、付き添いの人は付けて下さいね!」
明確な急患なら、もちろん人を裂いてでも受診をして頂く。
しかし、「昨日からオシッコが出ない」程度のことでいちいちスタッフを付けて受診していたら、ホームはパンクしてしまう。
だが、この方は「一度決めたことは絶対に譲らない」点では、我がホームでも最右翼の一人である。
もともと「交渉」の余地はなかった。もし対応しなかったら、110番か119番に通報してしまうに違いない。
私はハラを決めた。タクシーを呼んで、私が同行しよう。
その方が希望している病院は予約なしに行くと何時間待たされるか分からないことで定評がある。今日は事務所の出勤者も少なく、私が長時間外に出れば、同僚にかかる負担は大きい。
だが、仕方がない。
そもそも、不条理まみれの職場なのだ。
私はご要望に従ってタクシーを呼んだ。すると、その方はいつの間にかいなくなっていた。どこに行ったの!?
ホームの3階にあるお部屋を尋ねると、ゆっくりと着替えておられた。
「あんなに急がせておきながら…」と私はかなりムカツキながら着替えを促し、いっしょに1階に降りると、玄関から外に出て、その方を待っていたタクシーに乗せた。
私はまだ上履きだったので、履き替えるために玄関に戻った。
すると…何たること!!、私を乗せずにタクシーが発車したのである!
一瞬、私の全身から血の気が引いた。
だが思い直し、私は上履きのまま外に飛び出して、タクシーの後を追った。
「運転手さーん!待ってー!」
私は全速力で駈けながら、声を限りに叫んだ。
しかし、私の足よりタクシーのほうがずっと早い。みるみる引き離されていく。
途中、信号停止をしたので「しめた!」と思ったが、私が追いつく前に信号が変り、タクシーはまた発車した。
まるで悪夢のようだった。追えども追えども決して追いつかない…。
しかし、もう一箇所だけチャンスがあった。
私のホーム前の道から幹線道路に出るには、いったん大きくV字路を迂回しなければならない。
そのときにかなり時間が掛かる。そこで追いつければ…。
ふだん走ることのない私の心臓は逼迫してきて半ば卒倒しそうだったが、とにかく足を前に出し続けた。
と、タクシーはV字路を迂回し始めた。
今が勝負だ!と頭では思うのだが、足がもつれて前に出なくなって来る。
このままでは転倒するな…と私は予感した。
それでもシャムニ足を動かしたが、予想通り足がもつれ、スローモーションのように、私は道路に叩きつけられた。
そこにV字を回ってきたタクシーが差し掛かった。私の倒れ方がよほどハデだったのか、運転手は気付いてくれて、停車した。
死力を振り絞って私はクルマに乗り込んだ。そして運転手に、
「私を乗せてから行って下さいよ!」
と、怒った。運転手は平謝りをしたが、くだんの女性入居者は、
「あら、乗ってなかったの?」
と、トボけてみせた。
ここまで読んだ人は言うだろう。
「なぜそんなに焦るのか?行き先が分かっているなら、後からクルマで追えばいいだけではないか」ト。
ところが、そうはいかないのである。
一人で外出できない入居者が外に出た場合、これは「離施設」といって、いわば「行方不明」扱いになる。むろん事故、それも重大事故である。
「離施設」が発生したら、原則的には本社に連絡し指示を仰がなければならない。そして、本社からはしばしば「110番通報をせよ」という指令が来る。
自力で捜しているあいだに事件に巻き込まれたりしたら、それこそ警察沙汰となり、都や区からも厳しい調査を受けるからだ。
そうなったら、関わった当事者はボロ切れのように疲弊し白眼視される。そうして辞めていった人を私は何人も知っている。
そんなの不条理ではないか、認知症の高齢者の行動は予測がつかないのだから…と、多少なりとも実態を知っている人は言うだろう。
さもありなん、この世は不条理に満ちているのだ。
会社は「私たちはお客様の自己決定を尊重し、なおかつ健康と安全を保証します」と、笑顔で宣伝しながら、入居者を募っている。
そうである限り、必ず事故は起こる。そしてその場に偶然立ち合わせたスタッフは、いわば会社の発展のための尊い殉教者になるしかない。
私は、今日手ひどくコケた。だが、事故を防ぐためなら、転倒して血みどろになるくらいはなんでもないことだ。
一歩間違えれば、職務上で「コケていた」のだ。
もしそうだったら、今頃ノンキにブログなど書いていられなかっただろう。
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ヒザのキズは少しだけ良くなりましたが、腰が痛くなりました。
しかし、それも良くなりつつあります。
やはり大事なのは「体も心も人との触れ合いで癒される」ということですネ。
詳しくは31日のブログをお読み下さいナ。