★2023年9月29日(金曜日)
猛暑の夏もようやく過ぎ、出かけたくなる季節がやってきました。最近、明治維新関連の本を読んでいるせいか、京都御所に大変興味が湧いてきた。京都御苑には葵祭、時代祭りで何度か訪れたことがあるのだが、宮内庁管理の京都御所(内裏)は桂離宮、修学院離宮などと同様に面倒な事前予約が必要だと思い敬遠してきたのです。ところがネットを見ていると、京都御所は事前予約なしに見学できるようになった、とあります。こうなったら出かけざるをえない。ついでなので仙洞御所も、と思ったらこちらはまだ事前予約制だった。やむなく4日前にネット予約する。
広い京都御苑内をどういった順路で周るか悩みます。まず午前9時30分予約の仙洞御所を見学する。次に京都御苑の南の門「堺町御門」からスタートし、京都御所を取り巻く京都御苑内を時計回りに一周し、最後に京都御所に入る。こういうコースで歩くことにした。
なお、京都御苑や仙洞御所などを含めた全体を「京都御所」と呼ぶのが一般的なようです。私もそうでした。しかし正しくは天皇の住まいだった「御所」(内裏、禁中、禁裏とも)とそれを取り巻く公家たちの邸があった「御苑」は区別されるようです。管轄も違い、御所は宮内庁が、御苑は環境省が管理している。
大宮御所・仙洞御所の見学順路図
1)北門、2)休憩待合所、3)御車寄、4)御常御殿、5)六枚橋、6)阿古瀬淵、7)紀貫之邸宅碑、8)鎮守社、9)土橋、10)石橋、11)雌滝、12)紅葉橋、13)八つ橋、14)雄滝、15)草紙洗石、16)反り橋、17)醒花亭、18)悠然台、19)氷室、20)柿本社、21)又新亭
見学ツアー進路を赤点で示しましたが、少々分かりにくい。番号順に見学、撮影していったので参考にしてください。
大宮御所
仙洞御所の外側を、南から北方を眺める。中央に正門が構えるが、閉まっています。
「仙洞(せんとう)」とは、仙人が住む俗世間を離れた清らかな土地という意味から、天皇を退いた上皇が住む場所をさします。仙洞御所は「後水尾上皇の御所として江戸時代初期の寛永7年(1630)に完成した。それと同時にその北に接して東福門院(後水尾上皇の皇后、将軍徳川秀忠の娘和子)の女院御所も建てられた。古くは内裏にように一定の場所にあったわけでもなく、また必ず置かれたわけでもないが、後水尾上皇以来現在の地すなわち京都御所の東南に定まった」(受付でのパンフより)。その後、何度か焼失するが、その都度再建されてきた。ところが嘉永7元年(1854)の大火で京都御所とともに焼失すると、その時たまたま上皇がいなかったので再建されないまま現在に至る。今は二つの茶室と、庭園のみが残されています。仙洞御所を取り囲む五筋の紋の入った築地塀は、安政2年(1855)に京都御所とともに再現されたもの。
北側に回ると北門があり、出発時間の30分前に開けられ、ここから入る。門脇に二人の皇宮警察官が立ち、ハガキやメールなどの見学確認書をチェックする。荷物検査は特にありませんでした。門をくぐると三人目の皇宮警察官が見張っており、少し緊張感が湧いてきた。白テントは受付でなく、案内用のものかと思われます。
右側にある建物が、受付と待合場所になっている。
京都仙洞御所(大宮御所も含む)は、京都御所のような自由な一般公開はされていない。事前予約制の無料見学ツアーに申し込みする必要がある。無料見学ツアーは1日に4回(午前 9時30分、11時00分、午後 1時30分、3時30分)で、しかも定員(20名?)がある。予約は往復はがき、インターネット、当日予約の3つの方法があります。当日予約は午後のみで、当日の参観を希望される方は午前11時から仙洞御所北入り口前に並んで、先着順で10名まで入ることができます。
私は4日前にインターネットで申し込みました。カレンダーが表示され、予約可能日が示され、予約時間を選択します。29日は<午前:9時30分>しか空きがありませんでした。・氏名・住所・電話番号・メールアドレス・参加人数などを入力します。2日後に見学許可のメールが届いた。このメールを印刷して当日に受付に提出する。印刷できない人はメールに記載されている許可番号を知らせます。返信はがき、確認メールの着信などを考えると、最低4日程前までに予約する必要があるようです。
待合場所です。自動販売機あり、また見学ツアーは1時間ほどかかるので、ここでトイレをすましておくこと。ここ以外にトイレはありません。
ツアーコースにそったビデオ映像が流されているので、事前知識を持っておくのもよい。20分ほどの映像が終わり、9時半になると、ガイドさんが現れ「それでは参りましょう」となる。
総勢15名ほどがガイドさんに先導され、大宮御所へ入って行く。最後尾には、皇宮警察官が目立たないようについてくる。コースからはみ出さないように、グループから外れないように見張っているようです。現在でも、天皇、皇后の京都府への行幸の際の宿泊に使用されているようなので、監視が厳しいのでしょう。
日英二ケ国語で案内されるガイドさんは小型スピーカーを腰に付けておられるので、少し離れていてもよく聴こえます。
大宮御所の玄関になる「御車寄(みくるまよせ)」で、奥の御常御殿と棟続きになっている。銅板葺の屋根が三層重なっており、雁が飛んでいるようでカッコいい。
「大宮」とは皇太后、太皇太后の敬称で、現在の「大宮御所」は慶応3年(1867)に、孝明天皇の女御・英照皇太后の御所として女院御所の跡に造営された。明治5年(1872)に英照皇太后が東京に移ったことから多くの建物は撤去され、常御殿、御車寄、付属舎だけが残る。
潜り戸を抜け、大宮御所の御常御殿の南庭に入る。白砂が敷かれた南庭には、御殿前の右に白梅、左に紅梅が、背後に竹が、周辺に松が配され、「松竹梅の庭」と呼ばれています。
慶応3年(1867)に造営された御常御殿(おつねごてん)は大正年間に洋風に改められた。周りはかつて遣戸だったがガラス戸に代わり、内部は絨毯が敷かれ、ソファ、テーブルなどの洋風調度品が置かれているそうです。これは現在でも天皇、皇后、皇太子、および皇太子妃の行幸の際の宿泊に使用されているからでしょう。
上皇(平成天皇)ご夫妻が今年(2023年)の5月15日の葵祭を御観覧の予定だったが、あいにく雨天順延となってしまった。そこでここ御常御殿で過ごされたそうです。
仙洞御所 1(北池周辺)
土塀の潜り門を抜けると、池を中心とした雄大な仙洞御所の庭園が開けてくる。広大な庭園ですが、ガイドさんがベストなコースを選択して案内してくださいます。かってにコースやグループから外れ、単独行動はできません。後ろには皇宮警察官が見張っていますよ。
以下の紹介はコース順に記述していますので、空中写真の地名、番号を参考にイメージしてください。
目の前に広がるのは「北池」と呼ばれている。もともとは大宮御所の庭園として造られたが、延享4年(1747)に掘割で南池とつなげられ仙洞御所の庭園となった。
仙洞御所の庭園は、幕府の作事奉行・小堀遠州が寛永13年(1636)に作庭した池泉回遊式庭園です。遠くにかすかに東山がのぞく。かって東山の峰が借景にして採られていたが、現在は樹木が大きくなり目立たなくなっている。
北池に沿って左(北側)へ歩くと六枚の切り石二列の「六枚橋」が架かる。橋の左手の入江は「阿古瀬淵(あこせがふち)」と呼ばれています。
橋を渡った先に、明治8年(1875)に建立された紀貫之の邸宅跡を示す石碑が建っている。この辺りに「古今和歌集」を編纂した平安時代初期の歌人・紀貫之の邸があったと伝わっています。入江の名の「阿古瀬」とは、紀貫之の幼名「阿古久曾(あこくそ)」にちなんだものだたいわれている。
北池の北側の散策路。京都の寺院などの多くは、回遊式庭園といっても建物内から眺めるだけのものが多い。仙洞御所の庭園は、建物が無いこともあるが、広い園内を回遊して楽しめる庭園です。しかもガイドさんの案内付きで、しかも無料で(税金?)。
左手の土堤上に紅い鎮守社が見える。伊勢神宮、下賀茂神社、上賀茂神社、石清水八幡宮、春日大社を祀っているそうです。
北池の南側を眺めると、中央に掘割があり、南池とつなげられている。掘割の右が紅葉山、左が鷺の森です。
北池の東側に回り込と、やや反り気味でテスリ付きの土橋がある。かって長さ5mの橋を1本の橋脚で支えていたが、危険なので現在は2本になっている。さらに行くと石橋がある。幅が狭くテスリも無いので、写真に夢中になっていると落っこちそうになる。
この辺り、北池の南東隅で入江が入り組んでいる。樹木と池を見ながら曲路を気持ちよく散策できます。「雌滝(めたき)」と呼ばれている小さな滝があります。ガイドさんに紹介されなければ、ただの水の流れだと見逃してしまいそうです。
鷺の森に入り、北池を眺める。
反対側の南方向を眺めると、これから周回する南池が広がる。中央に見えるのが藤棚に覆われた「八つ橋」。
鷺の森の先に「紅葉橋」が架かる。土橋で、丸竹のテスリが付く。これは北池と南池をつなぐため間を割って造られた掘割にかけらてた橋。舟遊びで両池を往来するために運河を造ったのでしょう。
紅葉橋の遠景。橋の右が鷺の森で、左が紅葉山。名前から想像すると、紅葉シーズンには素晴らしい景観となることでしょう。ついガイドさんに「紅葉時期も無料ですか?」と尋ねてしまった。「仙洞御所はいつでも無料ですヨ」とのご返事(宮内庁管理の皇室財産なので税金?)
仙洞御所 2(南池周辺)
南池西岸を少し下ると、藤棚に覆われた橋がある。南池を横断し、池の中央にある中島へつながる。元は木造橋だったが、明治時代中頃に八枚の御影石を稲妻形につないだ石橋に架け替えられた。そのため「八つ橋」と呼ぶ。4本の藤もその時植えられ、西半分は下り藤、東半分が上がり藤だそうです。
八つ橋から池の北東を見ると、自然石と切り石を組んだ護岸をもつ出島がある。左の写真は、出島の左端を拡大したもの。高さ2mほどの滝から水が落下している。北池の雌滝に対して「雄滝(おだき)」と呼ぶ。滝の右前方にある大きい平石は「草紙洗(そうしあらい)の石」と呼ばれ,六歌仙の小野小町と大友黒主が、歌合わせで対峙した逸話を題材にした謡曲「草紙洗小町」にちなんだ石だそうです。
八つ橋から南を見ればさらに南池が広がっている。西岸は小石を敷き詰めた州浜がのび、左には中島が見えます。
中島にはかって釣り殿があったが、今は礎石だけが残されている。丸く平たい笠で三本足の雪見燈籠は、黄門さんこと水戸光圀の献上によるものだそうです。
中島から反り橋を渡り対岸へ。周辺の景観に見とれていると、この橋でも落っこちそう。
南池の南端には小さな「葭島(よしじま)」が浮かぶ。かって島の周囲に葦(葭)が生えていたことからくる名称。
池に沿った散策路にはカエデの木が多く、紅葉に彩られた絶景が眼に浮かんできます。
南池の南にでると西岸一帯に、平べったくて丸い小石をびっしりと敷き詰めた「州浜」が広がる。池の中にまで敷き詰められ、石の数はなんと約12万個。小田原藩主・大久保忠真が領民に集めさせ光格天皇に献上した。石1個につき米1升と交換したことから「一升石」と呼ばれている。一個一個真綿で包み、船で大阪から京都に運んだという。
州浜に沿った道は「桜の馬場」と呼ばれ、桜並木となっていた。ガイドさんによると、台風で倒され、今は6本しか残っていないそうです。
仙洞御所 3(醒花亭・又新亭)
南池の南端に、池を一望できるように北面して茶室「醒花亭(せいかてい)」が建つ。数度の火災にあい、現在のものは江戸時代後期、1808年に後桜町天皇により再建されたもの。仙洞御所内でもっとも古い建物になる。柿葺き平屋の数奇屋造の建物で、腰高障子がはまる。醒花亭の「醒花」は李白の詩から取られたもので,室内東側の鴨居の上に拓本の額として掲げられている。額の字は中国明の時代の郭子章の筆である。
また茶室東側の小高い丘の上に「悠然台(ゆうぜんだい)」という物見台が置かれていた。仙洞御所で最も高い場所で、観月や祇園祭の山鉾巡行を眺めたそうです。
茶室の前には手水鉢と加藤清正の献上品と言われている朝鮮灯籠がある。手水鉢にはひび割れを防ぐため小石が敷き詰められているが、天皇行幸のおりには除かれ、清水が満たされるそうです。
醒花亭斜め前の小高い土盛は、殻を伏せたサザエに似ていることから「さざえ山」と呼ばれている。頂上には石垣で囲われた遺構が残され、7世紀の古墳跡のようです。
さざえ山とは道を挟んだ西側に緑の植え込みが見られる。これは深さ4m、長さ7m、幅4mの地下構造物で、「お冷やし」と呼ばれる氷室です。洛北の氷室より運び込まれた氷を夏場に貯蔵し、氷水、食物の冷蔵などに使っていた。
ガイドさんの案内が無いので尋ねると、覗き込んで落っこちる方がいるので紹介していないそうです。
真っすぐ北へ進むと赤垣で囲まれた小さな社がある。万葉の歌人・柿本人麻呂を祀っている「柿本社(かきのもとのやしろ)」です。火災が頻発したことから、零元上皇(1654-1732)が「人麻呂(ひとまろ)」は「火止まる」につうじるとして勧請したという。
州浜沿いの苑路に戻り、北へ向かう。手前の小石が原、エメラルドグリーンの南池、奥の緑の森、葭島が浮かび左には中島が見える。紅葉に彩られたらどんな風景になるんだろう。池は、紅葉の映りがよくなるように浅くしているそうです。
北方を眺めれば、藤に覆われた八つ橋を手前に、奥に紅葉橋と左の紅葉山、さらにその左が蘇鉄が植えられ燈籠が立てられている蘇鉄山です。
この写真の左には樹木が茂る広々とした林がある。このなかにかって仙洞御所の殿舎が池に面して建ち並んでいとという。それらの殿舎は整理され、現在は1棟も残されていない。
仙洞御所への入口近くまで戻ってきました。そこには四つ目垣で囲まれ茶室「又新亭(ゆうしんてい)」が佇んでいる。明治17年(1884年)、近衛家(今出川御門)の寄進により、その邸宅より移されたもの。茅葺と柿葺の屋根をもち、大きな丸窓に半切れの竹桟が特色です。名は裏千家宗旦の「又隠(ゆういん)の席」に因る。
茶室の南離れには「待合御腰掛」があり、ここから蘇鉄山、紅葉山を観覧できるようになっている。
茶室真ん前の池岸には船着き場が設けられている。ここから舟遊びにでかけ北池から南池へと優雅なひと時を過ごしたのでしょう。中島に釣殿があったことからすると、釣りも楽しまれたことと思う。
約1時間の見学でした。緑と池に囲まれ清々しい広い庭園を案内付きで回遊できるなんて素晴らしい。しかも無料で。紅葉シーズンならなお感動が得られることでしょう。
お疲れさま、と皇宮警察官が北門を開けてくれます。
ホームページもどうぞ