山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

京都・東山 紅葉三景 3

2017年12月29日 | 寺院・旧跡を訪ねて

2017年11月28日(火)「ねね」の高台寺、青蓮院門跡、そして最後に永観堂へと紅葉鑑賞へ。最後は「モミジの永観堂」です。

 永観堂:総門・中門へ  



南禅寺から哲学の道へ続く道は「鹿ヶ谷通り」と呼ばれている。桜の季節と紅葉の時期は、人々で大変混雑する道となっています。永観堂の白壁が見えてくると紅色の風景が増してくる。こちらの気分もいやが上にも紅葉(高揚)してきます。入口にあたる総門に着くと、人々でごった返している。

総門から拝観受付のある中門までの参道の紅葉も素晴らしい。長さ100m位の広い参道ですが、人、人、人で溢れかえっている。中門までは拝観料無しで自由に歩ける。背伸びして塀越しに境内の庭園の一部をものぞき鑑賞できます。境内に入らなくても、南禅寺を訪れたついでにちょっと寄ってみる価値はあります。

この中門で拝観料を払う。この時期は「特別拝観 秋の寺宝展」(2017年11月7日~12月6日)開催中で、拝観料は大人1000円(通常は600円)。拝観時間は:9:00~17:00(受付終了は16:00)となっています。

数年前、ここを訪れたが拝観料:千円を見て引き返したのを思い出した。今回は、例え五千円であろうと入る覚悟で来ました。

 永観堂:歴史と境内図  



仁寿3年(853)、弘法大師空海の弟子・真紹僧都(しんじょう 797-873)が都における真言密教の道場の建立を志し、歌人・文人であった故・藤原関雄の故居を買い取って寺院建立の敷地に当てたことが始まり。10年後の貞観5年(863)に清和天皇から寺院建立の勅許を得、同時に「禅林寺」の寺名を賜る。

その後、禅林寺中興の祖とされる第七世永観律師(ようかんりっし、1033-1111)の時に寺は大きく発展する。浄土の教えに感動した永観はやがて熱烈な阿弥陀信者となり、人々に念仏を勧め自らも日課一万遍の念仏を欠かさなかった。そして境内に薬王院という施療院を建て、窮乏の人達を救いその薬食の一助にと梅林を育てて「悲田梅」と名づけて果実を施す等、慈善事業を行いました。そうした偉業のため、禅林寺はいつしか「永観堂(えいかんどう)」と呼ばれるようになり、現代まで続いている。
鎌倉時代に禅林寺12世住職となった静遍僧都(じょうへんそうず、1166年-1224年)は、浄土宗の開祖・法然上人の教えに感銘し、禅林寺を浄土宗の寺とします。
応仁の乱の戦火で伽藍のほとんどを焼失するが、安土桃山時代以降少しずつ復興していく。

現在、正式名は「無量寿院禅林寺」で、浄土宗西山禅林寺派総本山。秋になると「もみじの永観堂」として人々に思い出されるお寺です。皆「永観堂」と呼んでいるが、寺名でもなく、永観堂というお堂があるわけでもありません。正式な寺名は「禅林寺」。いつの頃か”永観堂”と親しまれてきたのが、今では正式名の如くまかり通っている。お寺さんも「永観堂禅林寺」と称するようになっています。

 永観堂:紅葉の境内へ  



永観堂の境内は、大きく分けて二つの部分に分かれています。山側(東側)に諸堂宇が配置され、反対側(西側)には放生池を中心としたお庭が広がる。その間に、二つの領域を分けるように写真の小径が通る。石畳の小径で、左右には紅の絨毯が敷き詰められています。

”ワー、凄い!”という声が飛び交っている。あまり感動することのない俺も、ついつぶやいてしまった。寺院の多い京都には紅葉の名所と云われる箇所が沢山あります。しかし「秋はモミジの永観堂」と云われるだけあって、ここは”ワー、凄い!”。

永観堂は、金閣寺・銀閣寺のようにトコロテン式に押し出される拝観コースが決まっているわけではない。何処を歩こうが自由なのです。しかし漠然と散策するだけでは意味が無いので、拝観順序を決めます。まず多宝塔へ寄り、次に廊下で繋がっている諸堂宇を見て周る。最後に、放生池周辺のお庭を楽しむということにしました。

 永観堂:多宝塔  



「多宝塔入口」の矢印に従って横道に入ると、すぐ渡り廊下が見えてくる。こうした廊下で諸堂宇が結ばれているのです。多宝塔へは、廊下の下を潜って石階段を登って行く。

廊下の下を潜ると、すぐ岩壁が迫っている。その急斜面にへばりつくようにカエデの木が伸びている。これが平安時代の古今和歌集に「おく山の岩がき紅葉散りぬべし照る日の光 見る時なくて」と詠まれ、永観堂七不思議に数えられている「岩垣もみじ」なのでしょうか。
この岩壁に添って、多宝塔への石階段が設けられている。

石階段はかなり急ですが、手すりが設けられているので年配者でも大丈夫でしょう。
多宝塔は昭和3年(1928)建立の比較的新しい建物で、上が円形、下が方形の二重の塔となっている。

多宝塔内部は公開されておらず入ることはできない。なのに何故ここまで登ってくるのか?。それはこの景観です。若王寺山の中腹に位置し、永観堂で最も高い場所にあるので、紅く燃え上がる永観堂全体を俯瞰でき、その先に京都の街並みを一望することができるのです。永観堂きっての絶景スポットといっていいでしょう。

 永観堂:大玄関から古方丈・釈迦堂・唐門  



多宝塔から降り、大玄関に向う。大玄関を入口にして諸堂は渡り廊下で結ばれている。大玄関で履物を脱ぎビニール袋に入れ持参し、各お堂を廻ります。大玄関には受付があり、御朱印の受付もここでやっています。
なお大玄関から各お堂を巡るのに特別な料金はかかりません。自由に何度でも出入りできます。

大玄関を入ると、古方丈、瑞紫殿(ずいしでん)、釈迦堂に囲まれた中庭を眺めることができる。池を中心にした美しい築山泉水庭園で、この時期紅と緑のコラボレーションが見事で、いつまでも見入っていたいがそうもいかない。

永観堂の方丈にあたる釈迦堂は、本格的な書院造として寛永4年(1627)に建立された。六つの間があり、正面中央の間に釈迦如来像が祀られている。
釈迦堂西側の前庭に唐門(勅使門)が見える。名前のとおり天皇とその勅使を迎える門で、文化8年(1811)に再建されたもの(表の説明板では文政13年(1830)再建、となっている)。現在は住職が逝去した時のみ使われるという。門を入った所に、白砂を小判形に盛って市松模様をあしらった盛砂(もりずな)がある。傍の説明板には「清めの砂で勅使の方がこの門を入られ、砂の上を歩いて身を清められた。又昔は夜の月明かりをこの盛砂にうけて、あかり取り、として利用されたという」とあります。

 永観堂:御影堂  



釈迦堂から阿弥陀堂まで、曲がりくねっているが一本の渡り廊下でつながれている。特別に規制は無く、自由に行き来してよいのだが、この時期、人の流れは大玄関・釈迦堂→御影堂→阿弥陀堂へと流れているので、その流れに逆らってバックすることはなかなかできない。流されてゆくままです。流されていても、何処からでも紅葉を鑑賞できる。そこが永観堂のすごいところだ。

御影堂正面の庭。御影堂は、大正元年(1912)建立の総ケヤキ造の仏堂。永観堂で一番大きなお堂で、浄土宗の開祖・法然上人を祀っている。

御影堂南側より、一段高所にある阿弥陀堂を見上げる。どこもかしこみ紅色に染まっている。これだけ紅葉を見てきたので、そろそろ飽きそうですが、そうはならない。まだまだ続きます。

上の写真の廊下から、逆に見下ろした景観。右が御影堂です。

 臥龍廊(がりゅうろう)・三鈷(さんこ)の松・水琴窟  



御影堂から階段廊下を上り阿弥陀堂へ向う。木製階段は短く、変化に富んでいるので楽しい。階段前に見える一本松が、永観堂七不思議の一つに数えられている「三鈷(さんこ)の松」と呼ばれるもの。
通常の松葉は2本ですが、この松の葉先は3本に分かれており珍しいそうです。法具に、「智慧・慈悲・まごころ」を表す法具の「三鈷杵(さんこしょ)」というのがあり、「三鈷の松」の名はそれに由来しているようです。

後日知ったのだが、「三鈷の松」を持っているとお金が貯まるそうです。そして中門隣の売店でタダで貰えるとか。大いに悔やみました。なお写真を拡大してみたが、3本だというのがもうひとつハッキリしなかった。



階段途中で、廊下は左右に分かれる。左側は、開山堂へ続く「臥龍廊(がりゅうろう)」と呼ばれる階段廊下です。廊下のうねりが龍に似ていることから名付けられた。現在、立入禁止になっている。午前に訪れた高台寺にも同じような「臥龍廊」があり、そこも通行不可にされていた。

分岐廊下を右へ曲がるとすぐ「水琴窟」と案内された井戸がある。耳を近づけたが何も聴こえなかった。後で永観堂サイトをみると
「みかえり阿弥陀さまにご参拝の折に静かに水を注いで水滴が奏でる澄んだ音をお楽しみください。
 下の「水琴窟の音」をクリックすると音色をお楽しみいただけます。
  ・水琴窟の音1(Sound of Suikinkutsu 1) (約1分 MP3 サイズ204KB)
  ・水琴窟の音2(Sound of Suikinkutsu 2) (約1分 MP3 サイズ189KB)」
とある。竹網の間から水滴を落さなければ音は出ないのですネ。クリックして音1、音2 を聴いてみました。音量を小さくし音2 を聴くと雰囲気は出ています。音1 は鐘の音のよう・・・。

水琴窟の前にエレベータがみえる。御影堂脇からわずかな高さだが、階段を避けこの場所まで運んでくれる。神社仏閣でエレベータを初めて見ました。場所柄、不似合いな設置物だと思われるが、年老いた方・体の不自由な方なども阿弥陀さまを拝みたいという人は沢山おられます。こうした投資は賞賛に値すると思う(明日は我が身・・・(-.-))。

 永観堂:阿弥陀堂  


渡り廊下終端の阿弥陀堂は、多宝塔を除き一番高い場所にあるので、ここからの紅葉も見ごたえがあります。この阿弥陀堂には、有名な「みかえり阿弥陀」が祀られているが、残念ながら堂内は写真撮影できません。その分、外の景色で・・・。

阿弥陀堂に祀られている本尊の阿弥陀如来像(国重要文化財)は平安時代末期の作で、像高77.6cmと小さな仏さま。この仏様は、左肩越しに後ろを振り向いている独特の姿していることから「みかえり阿弥陀」として有名です。ですから正面から拝するよりは、須弥檀の右側に回ると厨子の右側が開けられており、振り向かれたお顔を拝することができる。
「みかえり阿弥陀」の由来は次のような伝承によるそうです。
永保2年(1082)、永観堂の中興の祖・永観律師50歳の頃、念仏を唱えながらひたすら阿弥陀像の周りを歩く厳しい修行をしていると、目の前の須弥檀からなんと阿弥陀さんが降り立ったといいます。驚き立ち止まった永観律師の方を振り返り「永観、おそし」と声をかけたそうです。そして見返った姿のまま檀へと戻り、今なおその姿勢をとどめ続けていると伝えられている。そいしていつしか「みかえり阿弥陀」と呼ばれるようになった。

阿弥陀堂の正面です。阿弥陀堂は禅林寺(永観堂)の本尊が祀られているので、阿弥陀堂が本堂にあたる。入母屋造り本瓦葺きのこの阿弥陀堂は、慶長2年(1597)に大坂の四天王寺に建立された曼荼羅堂を、豊臣秀頼により慶長12年(1607)に移築されたもの。虹梁と柱には美しい彩色が施され、堂内も色鮮やかで天井には「百花」が描かれている。
阿弥陀堂の正面の階段を降り、ビニール袋から取り出した靴を履く。ここが永観堂の諸堂巡拝の出口になる。

阿弥陀堂前の石の階段を降り、放生池を中心とした庭へ。この石段も、色鮮やかな紅葉のトンネルとなっており、撮影ポイントの一つです。

 永観堂:放生池上の参道  



境内中央を横切る石畳参道に戻ります。永観堂にはイロハモミジを中心に約三千本もの紅葉があり、人々を楽しませてくれる。関西のみならず全国から多くの観光客やって来るそうです。土日祭日は大混雑になるという。写真を撮るのに苦労するのが、いかに顔が入らないようにするか。しかし次から次へと入ってくるので、顔無しで撮るのは無理のようです。

紅く染まるのは樹木だけではありません。足元の地面にも、鮮やかに色づいた落ち葉が広がり、真っ赤な絨毯を敷き詰めたようになっている。上も下も紅色に染め上げられた永観堂の境内です。平安時代から紅葉の名所として知られていたようですが、ここまで完成するには多くの庭師さん達の努力があったものと思われます。

 永観堂:放生池(ほうじょういけ)  



永観堂の西半分は、放生池を中心とした庭園となっている。今、写真を撮っているこの庭園に入る橋を「極楽橋」といいます。この小さな橋も撮影スポットの一つで、場所を確保するのに一苦労する。ここからの景観は、まさに極楽往生の世界のようです。
放生池の中の弁天島に弁天社の祠が建っている。江戸時代の女流歌人で尼僧の大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)の寄進により、1866年に建立されたものという。錦雲橋という太鼓橋でつながっているが、通行止めになっていました。

放生池の水面に映し出される「逆さもみじ」も風情がある。楓の木が水紋にゆがみ、これもまた味わいがあります。雨の日はどう変化するのか興味あります。



庭園から見上げる多宝塔も見もの。特に放生池越しの多宝塔の姿は撮影ポイントの一つになっている。紅い花に囲まれた祭壇上の仏様のように見えます。





















 永観堂:お茶屋・幼稚園・楓橋から出口へ  



放生池の傍にお茶屋さんがある。その名も「みかえり茶屋」とか。赤毛せんのまかれた長床机が沢山並べられている。ほぼ満席状態です。永観堂の境内で、ゆっくり休憩できるのはここだけです。今まで休み無しに歩いてきたので、この茶屋で一服することに。空きを探して座っていると、可愛いお茶子さんが注文をとりに来ます。ぜんざいを頂きながら多宝塔を拝観、と思ったが松が邪魔してよく見えなかった。でもこうして座って、紅葉に包まれた池やお堂の屋根を眺めているだけでも幸せを感じます。

放生池の南の端、幼稚園周辺も紅葉が美しい。園児が羨ましいですね。見飽きたって・・・。

お茶屋さんの裏にあるのが楓橋。放生池から小川が流れている。小川と小橋、紅葉と落ち葉、この周辺も風情のある場所です。
この辺りにはプロ風のカメラマンが多い。私を含め素人は、堂とか池とか具象的なものを撮りたがるが、プロは光とか影とか色を求めているようです。
右の建物は、境内図には図書館となっている。僧侶の?、園児の?、僧侶と園児が席を並べているのを想像すると微笑ましいですね。
放生池の横に、なんの説明も無くポツンと与謝野晶子の歌碑が建っています。明治33年秋、晶子は与謝野鉄幹と恋のライバル・山川登美子と三人でここ永観堂を訪れている。翌年には鉄幹と二人だけで再訪した。晶子は恋のライバルに勝ったのです。

出口の中門を出たところ。4時前、昼の部の入場受付終了の時間が近づいている。それでも多くの人が列をなしています。5時にいったん人を出して閉門し、5時半に夜の部(ライトアップショー)の開演。劇場の昼夜入替制と同じ。
私は基本的にライトアップなるものが嫌いです。自然なものは自然な環境で見るもので、人工的に加工された美を見ても感動しない。ところが最近やたらライトアップが増えている。する側にとってはオイシイのでしょうか。

最後に私の少ない体験の中から紅葉ベスト5を。
1位:京都・嵯峨野の化野念仏寺(無数の無縁仏を被うあの紅葉は忘れられない)
2位:ここ
3位:奈良・桜井の談山神社
4位:京都・高雄の神護寺
5位:京都・大原・三千院


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