2013年9月21日(土)、奈良・飛鳥(明日香)の古寺・史跡・遺跡を巡ってきました。
今はのどかな田園風景が広がる真神原。「入鹿の首塚」から南方を見渡した風景です。西側には飛鳥川を挟み「甘樫丘」が。東側には飛鳥寺、前方には伝飛鳥板葺宮(飛鳥浄御原宮)・橘寺・川原寺があります。
その昔、狼の徘徊する湿原野と恐れられたここ真神原も、半島からの渡来人や蘇我氏などの力によって古代ヤマトの都の中心地として拓かれていった。この原には、宮殿はもとより、庭園・苑池・来客をもてなす饗宴施設、そして朝廷に仕える多くの宮廷人達の住居が立ち並んだという。日本の原初を切り開き、数々の歴史ドラマを繰り広げた舞台です。
この真神原南東の丘陵地に石舞台古墳がある。
お墓の主、蘇我馬子が安らかに眠っているようです。多くの古墳は、宮内庁殿によって「天皇家の安眠と静穏を妨げない」という大義名分のもと近寄ることさえ許されない。その天皇家さえ差配したという馬子は、見世物として見物料(250円)を徴収する観光のシンボルとされている。
そうした天皇陵の一つに植山古墳があります。近鉄岡寺駅と甘樫丘との中間に位置する。その昔、推古天皇が夭折した嫡子・竹田皇子のために造ったお墓。そして自分も「息子の竹田皇子と合葬してほしい」と遺言されたそうです。この古墳の中には、大きな横穴式石室が二つ寄り添うように並んでいるという。そして石棺には阿蘇山大噴火の時、火砕流が冷え固まってできたピンク色の石が使われていた。
その後、二人とも河内(大阪府太子町)磯長の山田高塚古墳に移葬されたと思われる。もはや「安眠と静穏を妨げなくなった」という訳か、巨大なビニールシートで覆い発掘調査中のようだ。これが我が国で唯一発掘調査された天皇陵だそうです。
宮内庁さま、歴史に光を!!
詳しい内容をホームページに掲載しました。