少し前に、自分がとっている毎日新聞の投稿欄で、興味深い投稿がありました。
その内容は「ご近所づきあいが深すぎるから、仲たがいが起こる。だから自分は、ご近所づきあいは希薄でいいと思う。」というようなもので‥‥
投稿したのはまだ若い方だったと思いますが、自分はご近所づきあいが希薄な方がいいなんてことは考えもしなかったので、とても考えさせられました。
いろいろ考えた結果。
やっぱり自分は、ご近所づきあいを深めたいと思いました。
たしかに、関わりすぎてその人のイヤな部分が見えてきて、トラブルにつながるという事件もあります。
ですが、それだけを見てご近所づきあいに消極的になるというのは、ご近所づきあいの素晴らしさに目を向けていないのではないでしょうか。
自分の家の場合、隣の家の方が畑をもっていて、よく採れたての野菜をいただいています。
代わりに我が家は、いただきものなどをおすそ分けするのですが、これがまた非常に気持ちのいい関係なんですよね。
「今度は何がもらえるのかな」という期待と、「今度は何をあげようかな」と思案する楽しみ(まぁあげるのは親なんですけどね)が入り混じっていて、とてもやめられないわけです(笑)
まぁこれは特異な例だと思うのですが、そうでなくても「地域の連帯感」「郷土への愛」というのは、ご近所づきあいなくしては感じることが難しいものだと思います。
また、防犯のことを考えてみても、ご近所づきあいがあった方が犯罪に巻き込まれた場合も安心ですよね。
田舎では外出中も家に鍵をかけないのが割と当たり前ですが、それは近所の人がちゃんと見張ってくれているという連携のなせる業なんだと思います。
要するに、たしかにご近所づきあいのもつれからくるトラブルに巻き込まれることはありませんが、その分、他の形態の犯罪に巻き込まれる可能性が高くなってしまうわけです。
例えば、最近話題のごみ屋敷は、その最たる例ですね。
あの問題は、ご近所づきあいがしっかりと構築されていなかったからこそ、「迷惑になるからごみは片付けよう」という考えが生まれてこなかったのではないでしょうか。
近所に対する無関心が、「ごみを散らかしても大丈夫」という不遜な態度を生んでしまったんだと、自分は思います。
やっぱりいいと思いますよ、ご近所づきあい(*´▽`*)
とりあえず、会ったらあいさつなり立ち話するだけで、幸せな気分になれるのではないでしょうか。
さて、今回は「ご近所づきあい」で検索して出てきたブログ様の中から、興味深かったブログ様に対してトラックバックをさせていただきました。
「東京は下町千住の快適リフォーム日誌」様は、リフォーム詐欺に対してもご近所の力での抑止効果があるとおっしゃっています。
なるほどたしかに、言われてみれば大納得ですよね♪
「適当」様では、アメリカの話も交えながら、ご近所の関係性について語っていらっしゃいます。
「友達ご近所化計画」とは‥‥逆転の発想ってやつですね(*´▽`*)
「今日も今日とて」様は、ご近所での葬儀のときの体験を通じて、ご近所づきあいの大切さを実感なさったようです。
たしかに、自分が一家の代表という立場に立つと、いろいろ大変なこともあるんでしょうね‥‥
自分もそれはある程度覚悟しなければと思いました(^^;