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花を手向け24年を思う  大学慰霊碑で献花式

2019-01-17 14:10:12 | ニュース
阪神・淡路大震災から24年。青空から穏やかな日差しが降り注ぐなか、1月17日午後、六甲台第1キャンパスの慰霊碑前で遺族や武田廣学長が参列して慰霊献花式が行われた。


(写真:花を手に慰霊碑に向かう武田廣学長 2019年1月17日12時31分撮影)

震災から24年を迎えた、2019年1月17日。六甲台本館前の「兵庫県南部地震神戸大犠牲者慰霊碑」の前では、午後0時30分から献花式が始まり、武田学長と大学幹部、遺族や友人、教職員らが順に花を手向けた。

1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震で、神戸大では、学生39人(うち留学生7人)、職員2人と、名誉教授1人、生協職員2人が犠牲になった。

また、学生5人(うち留学生1人)、研究員1人が亡くなった海事科学部(当時神戸商船大)でも、深江キャンパス構内の「神戸商船大犠牲者慰霊碑」の前で、午後0時30分から教職員と制服姿の学生らが献花した。


《参列した家族や友人のメッセージ》

献花式には、震災で亡くなった学生の家族や、いまは40代半ばになった友人らの姿もあった。24年たって初めて、手を合わせに来たという夫婦や、震災を学ぶ高校生の姿もあった。

▽戸梶道夫さん=当時経営・2年=の父、幸夫さん
 成人式で帰省して神戸の下宿先に戻った直後に被災した。奇しくも自身の学生時代と同じくバトミントン部に所属し、2回生から下宿をはじめたところだった。毎年この日は神戸に来ている。過去を変えることはできないが、もう少ししっかりした建物に下宿させられなかったか、成人式後あと一日実家に居させていれば、と何年経ってもやはり無念さがある。

▽竸基弘さん=当時自然科学研究科・博士課程=の母・恵美子さん(71)
電機メーカーに勤務する基弘さんの同じ学科の友人・奈良崎武さん(47)と慰霊碑に来た。奈良崎さんはあのとき、息子の遺体を見つけてくれた。社会人として立派に活躍して、息子の成長を見ているようだ。

▽高見秀樹さん=当時経済・3年=の後輩・国司和丸さん(1997年卒)
応援団で団長だった高見さんのひとつ下の学年だった。きょうは当時の団員だった男性、女性とともに3人で来た。1月17日の朝は毎年、高見さんが亡くなったアパート「盛華園」の近くの友田公園で、当時の団員たちと手を合わせてから、この碑を訪れることにしている。いつも、自分の一年を報告していて、きょうは、新しい団員が入って応援団が活動を再開したことを報告した。

▽清水倫行さん=当時工・4年=の友人・杉島史朗さん(46)
京都で学習塾を経営していて、きょうは妻と初めてここに手を合わせに来た。清水さんと同じ学部で、1年生の時は同じクラス。名簿でひとつ前だったので、大学に入って初めて声をかけたのが清水さんだった。下宿で麻雀したり、カラオケに行ったりする仲だったが、学年が上がると疎遠になった。24年たって振り返ると、自分はこの年齢まで生きているのに彼はいない。今になって、震災で彼が亡くなったことを実感している。

▽加藤貴光さん=当時法・2年=の母・律子さんと交流している盈進高等学校(広島)3年・国清彩さん
 高校の部活動・ヒューマンライツ部の活動の一環として加藤さんの母・律子さんと交流しており、その縁で今回初めて献花式に来た。律子さんとヒューマンライツ部は東日本大震災をきっかけに交流を始め、家族のように付き合っている。前日に神戸入りし朝の1.17のつどいにも参加した。律子さんの思いに身を馳せるとともに、震災を直接知らない世代として、このことを引き継いでいく立場の重さを実感した。



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