居酒屋こうちゃん

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ビートルズは引き継がれるんですねー!

2010-03-10 22:06:52 | アート・文化

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今日は久しぶりにビートルズのレコードを引っ張り出しました。

レコード、アナログのドーナッツ盤のレコードです。

子供の頃なけなしの小使いを貯めて買ったレコード。

なつかしい思い出が蘇ります。

今日久しぶりに姪っ子からメールがありロンドンから帰国したらしい、多感な中学生時代の姪っ子にビートルズを教えたのはこの叔父さんで大変責任を感じています。

嬉しい事に姪っ子はビートルズのファンになったためかどうかは分りませんが?

京都大学大学院卒業後、外務省に勤務の後、今、イギリスのロンドンに住んで世界を股に国々を飛び回り仕事に活躍しています。

今日連絡あり大阪に帰って来ています。

姪っ子はビートルズの生誕地のイギリスでもう10年住んいるんですが幸せでしょうね!

でも僕がビートルズを教えなければ彼女の人生も変わっていたかも知れないので責任重大かも?(笑)

ちょっと大袈裟か~(笑)
今日もビールが美味い!

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絵画は癒されるなー!

2009-09-14 22:53:43 | アート・文化

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自宅リビングにあるセザンヌの静物画「青い花瓶」とピカソの裸婦画(もちろんレプリカ)を眺めながら晩酌していると癒されるなー。フランス画家、ポール・セザンヌは当初は僕の好きなモネやルノワール等と共に印象派のグループの一員として活動していましたが、1880年代から独自の作風を確立したのでポスト印象派の画家の一人に数えられ、「近代絵画の父」として知られる。後進への手紙の中で「自然を円筒、球、円錐として捉えなさい」と書き、この言葉がのちのキュビスムに大きな影響を与えたんだそうです。同じポスト印象派の画家としてはゴッホやゴーギャン等がいるんですねー。



僕も絵の心得は少しはあるつもりでして収納に眠ってる油絵の道具を持ち出そう~!(どこの収納かなー?はて?探し回らないと!)(笑)



なんてことをねー思い付きました!



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久し振りにギターを弾こう!

2009-08-18 22:10:39 | アート・文化

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久し振りに(3年ぶりかなー?)ギターを引っ張り出したんです。

大学生時代に軽音楽部でサイドギター、リードボーカルでバンドを組んでましたので(当時のエレキギターは故障で分解してしまいお亡くなりに~)YAMAHAのフォークギターもありました。

在学中ににスナックで弾き語りもしましたが、やはりバンド仲間とロック、ジャズ演奏を再開したいなー!

よし、仲間に連絡して集まろうかなー。

年を経た旧友とジャムセッションの再開です~。

ワクワクするなー!

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モディリアーニは”せつないなー”

2008-06-23 15:24:50 | アート・文化

_5 来月7月1日から2ヶ月大阪中ノ島の国立国際美術館で



モディリアーニ展が始まるなー!

よーし!観に行こう!あの長い首と、アーモンド形の瞳、

の個性ある独特の女性画は以前から好きだなー。

座るエビュテルヌの肖像(グッケンハイム美術館(NY)所蔵・1918年)Ny1918_3



でも、モディリアーニの人生を辿るとせつない思いになるのは僕だけでしょうか?



アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ

1884年、イタリア・リヴォルノにセファルデイ・ユダヤ系(15世紀頃にスペインに定住したユダヤ人)のイタリア人として生まれ通称モディー

自宅でモディー出生のまさにその時、父親が事業の失敗で破産し出産の最中の自宅に税吏官が家財差し押さえの紙を張りに来ていたということです、まるでその後の人生を暗示するがごとく。

また幼少期から病弱で10代には肺結核に侵されており

14歳で中学を中退、ベニスアカデミーで

絵の勉強し、22歳でパリに移住し当初は

彫刻家を目指したが、病気、資金、

諸事情で絵画に転向ピカソ、ユトリロ等と

交友し1917年に33歳の時、生涯の妻と

なる19歳の画学生のジャンヌ・エビュテルヌと出会い、内縁関係に!翌年、長女ジャンヌをもうけている。モディリアーニの写真が残っているがなかなかのハンサムで、モンパルナスの貴公子と呼ばれ、たいへん女性にもてたらしい!

結婚生活は3年しかなかったけれど濃厚な3年だったんだろうなー!

当初はその実力を見抜く人は少なく、パブでお客のスケッチを書いても5フラン(100円)も貰えず、極貧の生活の中でそれでも妻ジャンヌは従順に従って

いたのです 、本当にけなげですねー。

作品の中に妻ジャンヌの肖像画、裸婦画も多く残されている。1919年にやっとロンドンの展示会でエコールドパリ(パリ派)の画家として実力が認められたのに、わずかその5ヵ月後の1920年1月24日に極貧のままそれまでの肺結核、大量飲酒、薬物依存により結核性髄膜炎で35歳の若さで死去、その時お腹に9ヶ月の第2子を宿していた妻ジャンヌもその2日後の1月26日、自宅の窓から飛び降り自殺!  22歳の若さでなんという悲劇!



相思相愛、あの世で再会したんでしょうね!でもジャンヌの遺族の反対の為(モディリアーニがユダヤ人だからか?)

10年間は一緒の墓に入れてもらえなかったんです。でも せつないなー、大抵の画家が生前には極貧状態で、その死後その絵画が億単位で取引される!収入をもう少し平準化出来たら命も助かったかも?

でも ジャンヌの気持ちを思うと せつないなー。