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モディリアーニは”せつないなー”

2008-06-23 15:24:50 | アート・文化

_5 来月7月1日から2ヶ月大阪中ノ島の国立国際美術館で



モディリアーニ展が始まるなー!

よーし!観に行こう!あの長い首と、アーモンド形の瞳、

の個性ある独特の女性画は以前から好きだなー。

座るエビュテルヌの肖像(グッケンハイム美術館(NY)所蔵・1918年)Ny1918_3



でも、モディリアーニの人生を辿るとせつない思いになるのは僕だけでしょうか?



アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ

1884年、イタリア・リヴォルノにセファルデイ・ユダヤ系(15世紀頃にスペインに定住したユダヤ人)のイタリア人として生まれ通称モディー

自宅でモディー出生のまさにその時、父親が事業の失敗で破産し出産の最中の自宅に税吏官が家財差し押さえの紙を張りに来ていたということです、まるでその後の人生を暗示するがごとく。

また幼少期から病弱で10代には肺結核に侵されており

14歳で中学を中退、ベニスアカデミーで

絵の勉強し、22歳でパリに移住し当初は

彫刻家を目指したが、病気、資金、

諸事情で絵画に転向ピカソ、ユトリロ等と

交友し1917年に33歳の時、生涯の妻と

なる19歳の画学生のジャンヌ・エビュテルヌと出会い、内縁関係に!翌年、長女ジャンヌをもうけている。モディリアーニの写真が残っているがなかなかのハンサムで、モンパルナスの貴公子と呼ばれ、たいへん女性にもてたらしい!

結婚生活は3年しかなかったけれど濃厚な3年だったんだろうなー!

当初はその実力を見抜く人は少なく、パブでお客のスケッチを書いても5フラン(100円)も貰えず、極貧の生活の中でそれでも妻ジャンヌは従順に従って

いたのです 、本当にけなげですねー。

作品の中に妻ジャンヌの肖像画、裸婦画も多く残されている。1919年にやっとロンドンの展示会でエコールドパリ(パリ派)の画家として実力が認められたのに、わずかその5ヵ月後の1920年1月24日に極貧のままそれまでの肺結核、大量飲酒、薬物依存により結核性髄膜炎で35歳の若さで死去、その時お腹に9ヶ月の第2子を宿していた妻ジャンヌもその2日後の1月26日、自宅の窓から飛び降り自殺!  22歳の若さでなんという悲劇!



相思相愛、あの世で再会したんでしょうね!でもジャンヌの遺族の反対の為(モディリアーニがユダヤ人だからか?)

10年間は一緒の墓に入れてもらえなかったんです。でも せつないなー、大抵の画家が生前には極貧状態で、その死後その絵画が億単位で取引される!収入をもう少し平準化出来たら命も助かったかも?

でも ジャンヌの気持ちを思うと せつないなー。



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