やま建築研究所

私が感じたこと、気になった建築などを書き留めたノートです。

建築の歩き方は、東京都三鷹市「山本有三記念館」です。

2012年04月20日 00時56分02秒 | 建築の歩き方

西荻窪在住の私にとって三鷹は近くて遠い場所。通勤時の通り道ですが、行きも帰りも素通りです。
休みの日も向かうは都心方面、逆は吉祥寺まで。なかなか三鷹には足が向きません。
三鷹市は東京都のほぼ中央にある閑静な住宅街。派手な歓楽街こそありませんが、「日本のディズニー」と言っても過言ではないスタジオジブリの美術館がある街です。
都心から遠すぎず、それでいて畑や雑木林がところどころに残る自然に癒される。バランスのとれた立地は住むにはいいかもしれません。
そんな雰囲気が作品づくりに適していたのか、山本有三や太宰治、武者小路実篤、瀬戸内寂聴などの大御所作家が居を構えました。
そのうちの山本有三氏が住んでいた家が現存し、公開されているとの情報を聞いて、普段は通り過ぎるだけの三鷹駅で下車。玉川上水沿いを歩くこと約12分。
この辺りはお金持ちが多いのか、どれも豪邸級の家が立ち並ぶ界隈。どこが目的地なのか迷いました。
  
                                 近隣の豪邸

道路に面した大きな広場、木々の間からのぞくクラシックな建物のシルエット、どうやらここが目的地のようです。

             北側前庭から

今回のテーマは「山本有三記念館」。蝉時雨が、かまびすしい2011年8月11日に行ってきました。

北入りの玄関なので、まず目にするのは北側外壁面。


北側は水回りや階段を配置することが多いので、小さな窓が不規則に並ぶパターンは昔も今も、高級住宅も一般住宅も同じようです。
折れ線グラフのような屋根と、岩石のような形をした煙突。現代アートのような不思議な組み合わせです。



オリジナリティーあふれる北面とは対照的に、南側正面はほぼシンメトリー。均整とれた形に風格が漂います。


でもこの形、どこかでみたような・・・。

そう、東京都北区にある洋館「旧古河邸」。両サイドに伸びる切妻のツインタワーは、うり二つ。

               旧古河邸

山本有三邸は大正15年竣工。その頃、すでに建っていた古河邸をモチーフにしたのかもしれませんが、設計者は不明とのこと。
もしかしたら、コンドルの弟子の作品かもしれませんな。


庭園までは無料ですが、入館料は300円ナリ。
メルヘンチックな玄関ドアをくぐると、木とレンガに白熱灯の光という暖色系に満たされた、洋館のイメージそのままです。

        玄関

まず目につくのは玄関ホールの暖炉。そういえば今まで見た中でも、明治大正期に建てられた洋館にはたいてい暖炉がありました。
旧岩崎邸も旧古河邸も、玄関ホールをはじめリビングやダイニングなど人が集まる部屋にずっしりと存在してます。
寒さ対策なのか装飾なのか。確かにこれだけ大きな家を温めるには、何カ所も必要でしょうが、機能性だけでもないような気がします。
一般住宅とはかけ離れた大きな家に住む人も当代一流の著名人。いろんな人が集まって、いろんな会話が繰り広げられるだろうし、時には静まり返る時もあるでしょう。
でもそこに炎があるだけで、会話が途切れても間が持つこともある。
火をつけるのも、燃やし続けるのも手間のかかる暖炉ですが、気まずさが漂わないようにとの配慮もあるのではないでしょうか。

         旧山本邸リビングの暖炉

リビングは、パーティーや演奏会など催し物ができそうな大空間。太陽の光に照らされて、フローリングがピカピカと光っています。
床、壁の大部分を木肌が占めていても重苦しい雰囲気がしないのは、天井まわりの漆喰の白が、木の圧迫感を消化しているおかげでしょう。
  
                                  リビング

リビング東隣の小部屋の
テーマはアーチ
といってもいいほど、窓やドア、壁までアーチで飾られています。
南一面にリズミカルに並ぶ窓からは、陽光豊かで冬でも暖かそう。この小さなサンルームにも暖炉はありました。
客が少人数の場合の応接間か、あるいはリビングで催された会合の休憩室のような使い方だったのか、いずれにしても馴染みやすい一室です。オジサンたちのタバコを吸いながらの談笑が目に浮かびます。
  
                                アーチが連続する


東がサンルームのようなラフな部屋である反面、左右対称の位置にある西の部屋は、リビングと連続したフォーマルな対面の場。格式ある内装の中では、たわいもない話でも重々しく感じられそうです。

               西の部屋

外から見ても、東は曲線を使った窓が並ぶ柔らかさがあり、西は大きな四角の直線的な硬さが感じられ、それぞれの用途の違いが表情として表れています。
  
                                                     東側

階段を上がると、行儀よく並んだ色ガラスから、射しこむ光がまぶしい踊り場。



上りきるとドアが連続して並び、2階は私的なフロアのようです。
  
細く長く続く廊下は床や壁や天井、そしてドアさえも白で統一して、まるで病院のように無機質で、木を多用した自然のぬくもり残る1階とはガラッと異なります。

ところが中央の部屋は和室、しかも本格的な真壁です。床の間に下地窓、飾り棚や書院といった和のエッセンスの盛り合わせに、柱は全て面取りされているという芸の細かさ。建具を閉めきると、洋風建築の気配が全くなくなります。
  

この和室は南に面した中央にありますが、外から見ると幾何学模様の洋風ガラスの窓に覆われ、和室の存在を感じさせません。
2階に和室があること、内側からしか和を体感できないこと。このあたりも旧古河邸と共通しています。

    2階中央が和室

山本有三氏が、この家に住んだのは昭和11年から昭和19年までの約8年間。戦争による疎開で一時は三鷹を離れ、戦後戻ってくるも、進駐軍に接収され退去を余儀なくされます。返還後は国語研究所として国に提供し、再び住むことはありませんでした。

高度成長期を経て、周囲は宅地化、都市化が進んでいきます。

在りし日、近所の子供たちのための図書館として開放したこともありました。土地と建物を気前よく東京都に寄付もしました。
欲とは無縁の奉仕が、地域の人や関係者たちの共感を呼び、当初の姿のまま残り続ける奇跡が生まれた
「人間は人生という砥石でごしごしこすられなくちゃ、光るようにはならないんだ」
とは、氏の著作「路傍の石」の言葉。

時代という砥石でこすられた山本邸、今でも往年の輝きを保っています。