勉強とは個人的なもの???

北欧の友人と話していたら
その学習観を知る上で非常に興味深いことがでてきた。

それは、
友人の中国人が「勉強とは個人的なもの」と
考えているということに彼女は驚いてたのだ。
「おかしいと思わない?」という感じで。

彼女が言うには、勉強というのは
みんなで行なう「協働的なもの」だというイメージが強いらしい。
なるほど、日本の学校ではあまり見られない光景かも知れない。

考えてみると確かに、
日本でもそのようなイメージを暗黙に
持っていることが多いのではないだろうか。
勉強とはコツコツと机に向かって
一人で行なうものというイメージを。

ここで確認しておきたいのは
その勉強法が重要でないと言っているのではない。
学びを考える時に、そうした勉強法が「すべて」と
考えていないだろうかということである。


与えられたことを記憶するだけであれば
1人でした方が効率がいいかも知れない。
しかし、
何か新しい別の考え方に気づいたり、
異なる意見の中から新しいものを創り出すということは
個人ワークよりグループワークに方が格段に効果的だ。

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1990年代以降の教育学、および関連諸科学では、
『学びとはけっして個人の頭の中に
知識やスキルを伝達することではない』
という認識が急速に広がった。(中略)
一言で言えば、
学習とは「伝達」ではなく、「変容」である。
(「ダイアローグ 対話する組織」中原淳・長岡健)

エンゲストロームが「学習活動=拡張による学習」と呼んでいる活動は、
集合体や社会で自明とされている前提(活動の前提)の
文化的―歴史的基盤を問い直し、
新しい前提を創出していく活動のことである。
(「コミュニティのグループ・ダイナミックス」杉万俊夫編著)
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言われたことを正確にこなす力を求められた産業社会から
新しいものを創り出す力が求められる知識創造社会になり、
「学習」という行為や「学力」重要なポイントが変わってきた。
それをまだ、旧社会の学習観に捉われていないだろうか。

学力低下といわれるが
そもそも「学力」とは何かということを
理解していないことが多い。
しかし、
知識量だけでは何もできないということに
反論する人はいないのではないであろう。
となると、
他に重要な要素があるということは
理解しているはずなのである。


北欧の友人が言うように
「勉強」ということに対するイメージが
これほど違う。

まさに「学び」とは「協働的」なものというイメージを持っており、
つまり、Collaborativeなものであり、
さらにいうとCreativeなものである。
それは、いま世界で言われている学力の方向性である。
その社会通念が個人に及ぼす影響は計り知れない。


知識を暗記すること、やりかたを覚えることは重要だ。
しかし、知識創造社会を迎えた現在において
それをどう活用し、知の創造していくかということが重要視されている。
それが、グローバル化する社会において求められるコンピテンシーである。

日本の稚拙な報道や本などに囲まれ
その文脈の中で井の中の蛙となっている危険性があることを
改めて北欧人が気づかせてくれた。

やはり、北欧から学ぶことはまだまだ大いにありそうだ。


ダイアローグ 対話する組織

中原 淳,長岡 健

ダイヤモンド社




コミュニティのグループ・ダイナミックス (学術選書―心の宇宙 (005))



京都大学学術出版会


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