油屋種吉の独り言

オリジナルの小説や随筆をのせます。

MAY  その48

2020-04-16 19:05:54 | 小説
 ジェーンは必死だった。
 もしもメイの家で滞在できなければ、当面
どこへ行く当てもない。
 メイの家に来るまで、あちらこちらと頼っ
てみた。
 だが結局、すべてやんわり断られた。
 「ほんとジェーンちゃん、困るよね。でも
うちも困ってるのよ。置いてやりたいのはや
まやまだけど、うちの者の面倒をみるだけで
精いっぱいなの。ごめんね」
 断る言葉づかいはていねいだが、ジェーン
たちをなんとかしてやろうという熱意のある
家庭は、まったくなかった。
 頼るべき母はリュウマチで入院中。
 父がかなりの俸給を国からいただいている
おかげで母の医療費の心配はいらないものの、
その他のことはすべてジェーンのかぼそい肩
にかかっていた。
 それに、家族の一員である猫のぽっけ。 
 ジェーンは彼女のあつかいに心をくだいた。
 ふつう、猫は他人の家庭で過ごすにはむり
がある。
 しかし、どうしたことか、ぽっけはジェー
ンにつき従った。
 家猫は、ほとんど虎と変わらず、野性味あ
ふれる動物。
 ぽっけは自分の本能にあらがってまで、自
分といっしょにいるのだろうか。
 ジェーンの小さな頭脳は、さまざまな心配
りであふれんばかり。
 ふいにジェーンの眼に涙があふれ、ほほを
つたって流れはじめた。
 「見な、おまえさんがわるいんだよ。ジェ
ーンちゃんが泣いてるじゃないか」
 メリカがモンクにつめ寄る。
 メリカの言葉が、まるでジェーンの我慢の
みずうみをせき止めているダムを決壊させて
しまったよう。
 ついにジェーンは声を上げて、泣き始めた。
 「ああ、ああ、ジェーンちゃん、そんなに
泣かないでおくれ。おれは、そんなつもりで
言ったんじゃない。ただ、めずらしいものを
作ってくれてるんで、嬉しかったんだよ」
 モンクが立ち上がり、当惑した表情で、両
手を横にあげ、メリカがいるほうを見た。
 「だったら、黙って見てたら良かったんだ。
ジェーンちゃんにとっちゃ、ここはよそんち
だろ。あんまり言われると誰だって気持ちが
ちじんじゃうじゃないか。いい歳してそんな
こともわからなかったのかい」
 「ばかだな、おれは」
 「今に始まったことじゃないでしょ」
 突然、メイがふたりの間にわって入った。
 「もういいから、おじさん、おばさん。そ
んなにもめるんじゃ、わたし、この家をジェ
ーンといっしょに出ていくから」
 「ええっ、家を出る?」
 一瞬、メリカはどこを見つめていいか、わ
からなくなった。
 彼女の視線が、台所の中空をさまよう。
 メイも泣き声になり、
 「わたしだってさ、ほんとはほんとは」
 続きをいおうとするのだが、容易にメイの
口をついて出てこない。
 「それ以上言ったらだめっ。メイ、黙って
なさい。わたしたち、ちょっと席を外すから
ね。あんた、ちょっとおいで」
 「あいよ」
 モンクは結局、ビールを一滴も飲まずに台
所をあとにしようとした。
 みゃあああ。
 ふいに、ぽっけの鳴き声がした。
 「あっ、ジェーンちゃんちの猫だわ。今ま
でどこにいたのかしら」
 メイは、その場の雰囲気を明るくしようと
わざと大きな声をだした。
 メイは、ジェーン背後から、彼女の肩を右
手で抱くようにすると、
 「ジェーンちゃん、だいじょうぶだから泣
かないで」
 「う、ううん」
 ジェーンの足もとで、ぽっけが彼女の足に
まとわりついて離れないのを見て、メリカは、
 「あんたがわるいんだからね。見な、猫だっ
て気をつかうんだから」
 モンクはいくどもうなずき、
 「わかったよ。おとなしくしてるから、み
んなの輪の中に入れておくれ」
 と、おずおずと言う。
 メイは一段と声をはりあげた。
 「さあさあ、ジェーンが心を込めて作った
オムレツができあがったわ。みんなでおいし
くいただきましょう」
 
 
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ちょっと、前橋まで。  (4)

2020-04-14 16:49:23 | 旅行
 「あのう、ほんとにすみませんね。お忙し
いところ。この近くにどこか和食をいただけ
るお店はないでしょうか」
 かぶっている帽子を取らずに、彼女の警戒
心をほぐそうと、わたしはしゃべり続ける。
 「和食、ですか?そうですわねえ」
 その女店員さんは、初めてわたしを見た時
に抱いたいやな気持ちを、カウンターの端に
かざってある、ハウス育ちの紫陽花をちらと
見たり、大通りを通る車に注意を向けたりす
ることで、すぐにまぎらしてしまった。
 「いいですよお教えします。ちょっと待っ
ててください」
 笑顔をとりもどした彼女は、店の奥へとき
びすを返す際、後ろ向きで小さく息を吐いた。
 それまで緊張していたわたしも、一瞬、ほっ
とした気分になる。
 ほんのしばらく、店内にはわたしひとり。
 この時を楽しまないではいられない手はな
いとばかりに、あちこち歩きまわる。
 根っからのまんじゅう大好き人間。
 わたしはショーケースの中のいく種類もの
まんじゅうを、はじからはじまでなめるよう
に見ていく。
 値段はわが町より、二、三十円高い。
 そのことは明らかに、経済的な格差を表し
ていて、前橋の方々の収入がわが町より数段
うわまわっているのがわかる。
 (ええい、そんなことはどうでもいい、何
よりも、味の問題だ)
 わたしはその場にしゃがみこんで、ついつ
い、舌なめずり。
 「ええっと、味見は?ちょっとでいいから
口にしたいな」
 と、こころの中で言う。
 酒には弱いが、甘いものには目がないわた
しである。
 大福もちにぜんざい、それにあんみつなど
など、なんでもござれだ。
 ええっと試食品はないか、と見まわしてみ
ると、平たくて白い餅が一枚、ラップをかけ
られた状態で、小皿の上に横たわっている。
 (ふふうん、あれがこの店の売れ筋ナンバ
ーワンか)
 どうやら酒まんじゅうらしい。
 ふいに店の奥より、人の来る気配。
 それまで自分が発していた、よこしまなオ
ーラを、ほんのいっときできれいにしなくて
はと身がまえてしまう。
 くだんの女店員さん、メモ紙とペンを持っ
てこられ、和食店への道すじをていねいに教
えてくださった。
 よせばいいのに、わたしは彼女の振る舞い
を、わきからじっと見つめてしまった。
 もの書きとは、なんといやらしい性分であ
ることか、と、自分ながらつくづくいやにな
ってしまう。
 「はい、どうぞ。このとおりに行けば、だ
いじょうぶです。間違いなく和食のお店にた
どりつけます」 
 「ありがとうございます。恩にきます」 
 わたしはメモを受け取りながら、かぶって
いた帽子をとり、きちんと頭を下げた。
 「きれいなお店ですね」
 と、世辞を言うのを忘れない。 
 わたしは、わたしの車が待つ場所に戻りな
がら、くすっと鼻で笑う。
 若い頃よりずいぶん変わったな、と思う。
 一本気で要領がまったくわるかった。
 当然、世渡り下手、苦労の連続だった。
 あの当時、これくらいのおしゃべりができ
ていたら、わたしの人生かなり変わっていた
に違いない、と、考えても仕方のないことを
つぶやいてしまった。
 近頃、時折、洗面所の鏡の前にたつ。
 わが身が他人さまからどのようにみえるか、
知りたいと思うからである。
 こ・こ・ろ・う・ら・は・ら。
 それくらいしなくては、彼とわれとの心の
溝ががどれくらいあるか、見当がつかない。
 長い間天日にさらされ続けたせいか、わが
顔や首すじは、いくつもの傷痕が付いている。
 三十代の頃、初対面の年配の女の人に、あ
なた沖縄の方なんでしょ」といわれた。
 それほどに日焼けした肌だった。
 強い紫外線を浴び続けたせいでしわが深い。
 頭のてっぺんあたりが、かなりうすくなっ
ている。
 ほんとうに、実年齢は残酷きわまりない。
 気持ちは二十歳くらい、と若いつもりだが、
成人式を迎えてから半世紀近い。
 成人式を三回はやってのけた計算。
 さっきの女店員さん。
 おそらく笑いだしたい気持ちを、かろうじ
て抑えながら、応対してくださったのだろう。
 あれこれと妄想してしまうのも、精神的に
良くないことである。
 
 
 
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苔むす墓石  その38

2020-04-13 16:27:32 | 小説
 「お坊さまあ。お坊さまあ、坊さまあっ」
 宇一は大声で法師を呼んだ。
 いくら呼んでも、呼び足りない気がした。
 もし彼が見つからなければ、自分はもはや、
母のいる世界に戻れないんだ。
 そんな想いが強くなる。
 林の中で聞こえていた鳥のさえずりがぱた
りとやんだ。
 狭い渓谷である。
 宇一の声が木霊となって、広葉樹の多い林
のなかを響きわたる。
 しばらく待ったが、法師の返事はない。
 「お、おぼうさまあ、法師さまあっ」
 法師という言葉がふいに、宇一の口から放
たれた。
 坊さまという言葉から、思わず、西行法師
を思い出したからだ。
 西行はもとは、北面の武士。
 ここには彼はちょっとそぐわないと感じた
が、宇一はそんなことはかまわなかった。
 さっきの坊さまが少しでも、自分に注意を
向けてくれればと思った。
 「ほうしさまあ、っ」
 宇一は力なくつぶやき、木の葉の降りつも
り、ふわふわのベッドのような地面にがくり
とひざを折った。
 「なあんだ、おにいさん、こんなところに
いたんだ」
 誰かがそう言って、宇一の背中を、ぽんぽ
んとたたいた。
 (先だっての少年?くそっ、いまいましい
野郎だ。おれが大変な時ばっかり、出てきや
がって、下手げに相手になんてなるもんか)
 宇一はスーツが汚れるものかまわず、ごろ
りと横たわった。
 両手を頭の下でくみ、眼を閉じる。
 「ちぇ、せっかく力を貸してやろうと思っ
てんのにさ」
 「なに言ってる。人の金を盗んでおいてさ。
よくこの場に出てこられたもんだ」
 「ごめん」
 宇一は黙った。
 少年が何かいうまで、じっとしていようと
思う。
 占い師のところに連れて行く。
 その言葉に宇一は今でも魅力を感じている
が、もはや素直に受け取れない。
 損得勘定が得意な彼だ。
 何らかのたくらみを抱いている可能性が大
きい。
 「ほら、これならぼくを信じてくれる気に
なるかな?ちょっと痛いけどね」
 棒状のものが、こつんと宇一の頭に当たる。
 ならやくぬぎにしては、少し硬い。
 「痛いじゃないか。やめろよ。いったいな
んでお前はおれの頭をぶったんだ」
 ふいにむらむらと、少年に対する怒りがわ
いてきて、宇一はいそいで起きあがった。
 少年はすばやく、逃げ去っていき、大きな
ならの木の陰にかくれた。
 「おい、出てきな。なにもひどい目にあわ
そうって魂胆はないから」
 「そうなんだ。その言葉、信じていいね」
 「ああ、おれは男だ。嘘はつかない」
 「わかった」
 宇一は、衣服についた葉っぱや土を払おう
とうつむいた。
 (うんっ、これは?ひょっとして)
 地面に落ちていた棒状のものを見て、宇一
はそれを右手で拾おうとした。
 どんな場合でも、宇一は左手を使いたくな
かった。
 何をしでかすかしれなかった。
 「それって、ただの棒じゃないよ、おにい
さん、何だと思う」
 宇一はその棒を鼻に近づけ、匂いをかいだ。
 そして、ひっ、と驚きの声をあげ、それを
遠くに投げた。
 「あはははっ、びっくりしてら。そんなの
そのお堂の下にいっぱいころがってら」
 「お堂の下にあるんだ?こんなのが?これ、
お前なんだかわかってるのか。骨だぞ、ほね」
 「知ってるさ。そんなのめずらしくもない。
みやこの外れでいっぱい見るから」
 「まあ、それはあとで見るとして。あのね、
ぼく」
 宇一は声音を柔らかなものに変えた。
 「なんだよ、おにいちゃん。気持ちわるい
じゃないか」
 「見なかったか。あの人」
 「あの人ってだれさ?」
 「ほら、ぼくを叱ったろ。おれの財布を盗
んだときにさ」
 「ええっと、誰だったっけな。いっぱい叱
られてるからな、おれは。いちいち覚えてら
れるもんか」
 もう捕まえられてひどいめにあわされるこ
ともない、と思ったのだろう。
 少年が木の陰から出て来て、宇一のいる場
所に歩いて来る。
 宇一は背広の内ポケットをさぐった。
 何か、少年の気に入るものを、彼に与えた
いと思った。
 宇一の指先に硬くて小さいものが当たった。
 その表面を、ゆっくりなぞる。
 「ほら、これ、この辺りじゃ、とってもめ
ずらしいよ。値打ちがあるかしれないぞ」
 「へえ、おれにくれるんだ。そんなの」
 「いらないかい?」
 「いや、いるいる。いるさ。早く、もった
いぶってないで、見せとくれよ」
 その金製のネクタイピンが、宇一の手から
少年の手に渡った。
 「うわっ、きれいだなあ。でもおら、いら
ないよ。こんなの持ってても、ちっとも食べ
るもの、手に入れられないから。こんなのく
れる気があるんだったら、すぐに口に入れら
れるものちょうだい」
 少年は、そのピンを、ぽんと草むらに投げ
入れた。
 「あああ、きみは知らないんだね。かわい
そうに。あれひとつで餅なんていくつももら
えるのにな」
 「ほんと?うそじゃないね」
 「ああ、そうとも。そろそろ、きみの名前、
おれに教えてくれないかな」
 「し・か・とって言うんだ」
 「しかと、か?なんだか、かわいそうな名
前だね」
 「くそっ、そうでもないさ。鹿っているだ
ろ。あれに人って感じつけると」
 「鹿人くんか」
 鹿人は何も応えない。
 両手を草むらの中につっこみ、夢中で、ネ
クタイピンをさがした。
 「あっ、あった。これこれ」
 立ち上がって、宇一の顔が明るかった。
 「良かったね。それずっと持ってるといい
よ。いつか役に立つ日が来るから」
 何を思ったか、彼はしばらく口を閉ざして
いたが、ふいに、
 「あの骨さ。ひょっとして、あのお坊さま
のものかしれないよ」
 と言った。
 「えっ、うそだろ?まだおれのこと、ばか
にしたいのか。今度こそ、ひどいぞ」
 宇一は右手でこぶしをつくり、ひょいと上
にあげた。
 「嘘だと思うんなら、おにいちゃん。お堂
の下を見てみなよ。さっき言ったろ、おれ」
 (あの坊さま、そういえば、やたらに怖がっ
てたな、あの旅行かばんを)
 宇一は急な胸騒ぎを感じ、お堂にかけよる
とそうっと床下をのぞいた。
 そこには、平山ゆかりの旅行かばんがある
はずだった。
  
  
 
 
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MAY  その47

2020-04-11 19:09:26 | 小説
 ジェーンは食卓の上にならべた白くて丸い
六枚のプレートの上に、焼いたばかりのたま
ご焼きをきれいに広げていく。
 トリュフの黒とたまごの黄のコントラスト
がみごと。
 たまご焼きの上に、焚けたばかりのご飯を
のせ、くるりと巻いた。
 「あっなんだっけ。この料理、ええっとえ
えっと?」
 「ああいやだ。あんた、歳はとりたくない
もんだね。しっかりおしな。お・む・れ・つ」
 「あっ、そうだったっけ」
 食卓にならんですわっていたジェーンの妹
たちふたり、ジルとミルが顔を見合わせてほ
ほ笑んだ。
 「さすがはメイのお友だちだ。料理のセン
スがいいな。丸いきのこをこんなふうに使う
なんて」
 ジェーンの背後で、モンクが世辞を言う。
 ジェーンは緊張のせいか、顔が青ざめてし
まい、ふいに手の動きをとめた。
 「ほいほい、お前さん。ちっとは静かに待っ
ていられないのかい。メイだったらかまわな
いけど、この子、うちの大切なお客さまなん
だよ。はっしゃいじゃって、まあ」
 メリカがわきからしゃしゃり出て、モンク
のずぼんのバンドを左手で引っぱった。
 「ああ、そうだったっけ。ばかだなおれも。
だけどな、メリカ。なんで客に夕食を作らせ
るんだ」
 今度は、メイに、八つ当たりをくらわしそ
うなモンク。
 メリカは、まったく、もう、と声を出さず
に口であらわし、天井を見あげた。
 両手を大きく横に広げる。
 「あんた、ほんとに今日はどうかしてるね。
ジェーンがたのんで作ってもらってるんだよ。
少しは黙ってて」
 「そうかい、そうかい。わかんなかったん
だ。かんべん、かんべん」
 モンクはジェーンの正面にまわり、彼女の
表情をうかがう。
 思わず、ジェーンは顔を伏せた。
 「だからさ言ってるだろ。じっとしてなっ
て。女の子の気持ちわかんないんだね。何年
メイと暮らしてるのさ」
 メリカの一喝に、モンクはしょんぼりして
しまった。
 そして、ひとつ、ふうとため息をつき、一
日仕事で疲れ、重くなったからだを、ぱんぱ
んにはれた足で支えながら、ゆっくり自分の
椅子まで歩いた。
 「やれやれ、やっとすわれる。まったく足
のやつ、棒みたいになってやがる」
 モンクはうつむいたまま、小声で言い、椅
子に腰かけると、すぐにテーブルのわきに置
いてあった新聞をひろげた。
 モンクの険悪な雰囲気に気おされ、ジェー
ンの妹たちふたりは暗い表情になった。
 いつでも機転のきくメリカである。
 「お前さん、今日の仕事、大変だったろ?
一日じゅう強い北風が吹いていたから」
 「ああ、まあな」
 モンクはかろうじてあくびが出るのをこら
えた。
 じっとしているとまぶたが重くなりそうに
思えた。
 メリカは食器だなの下にある、かんのんび
らきの戸を開けると、一本のびんを取り出し、
左手で持った。
 そして食器だなの隣にある冷蔵庫のところ
まで歩いて行くと、その便を冷蔵庫の上に置
いた。
 「メリカ、わるいけどさ、おれにいっぱい
もらえるかな」
 モンクが新聞を眺めたままで言った。
 「大丈夫だよ。でもさ、深酒はやめておく
れ。ビールがいいかい、それとも地酒かい?」
 メリカが優し気に答える。
 「おおやっぱりわかってくれてるな。そう
だな何がいいか。からだが熱くてしょうがな
いから、先ずは冷えたビールがいいな」
 「はいよ」
 メリカは、台所の雰囲気を先ほどから読ん
でいたメイの方を向いて、ウインクした。
 「はやく、はやくよ。パパがかわいそうじゃ
ない」
 メイは、モンクが聞き取れないくらいの声
を出し、メリカのほうを見ながらさかんに両
手を横にふる。
 「ほらよ。あんた、きょうもお仕事ごくろ
うさま」
 メリカはモンクの前に、グラス一杯のビー
ルをことりと置いた。
 そのかすかな音に気づき、モンクは開いて
いた新聞をたたんだ。
 「おおっ、どうもありがとう」
 「礼なんて言わないでいいんだから。飲み
たきゃいつだって飲んでいいんだから。あん
たがしょってたってんだよ、このうち」
 仕事帰りのモンクはいつだって頭が痛い。
 慢性的な日射病だ。
 まるで、頭の中を地虫がはいずりまわるよ
うな感覚におそわれる。
 「ジェーンちゃんごめんね。うちの人、き
ょうはちょっとおかしいんだよ」
 「いいえ、だいじょうぶです。おじさん、お
仕事お疲れ様です。すみません。わたしたち
を預かってくださってありがとうございます。
わたし、できること、なんだってやりますか
らどうぞよろしくお願いします」
 ジェーンは現代っ子らしく、自分の想いを
はっきり口にした。
 
 
 
 
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ちょっと、前橋まで。  (3)

2020-04-09 22:25:24 | 旅行
 初めての土地はいかなる人にも、それなり
に新鮮な思いを与えてくれる。
 目的地付近に着いたのは、お昼近く。
 前橋はさすがに広い街だった。
 まだ車中にいるうちに、かみさんはせがれ
とこれからの段取りを決めはじめる。
 「診てもらうのは一時半だから、ちょっと
その前に腹ごしらえしとこうね、Hちゃん」
 「うん」
 「あなた、どこかお店見つけてね。わたし
たち、この辺りでおりて、治療院さん見つけ
てるから」
 「ああ、わかった。そいでさ、どんなもの
が食べたいんだい?」
 「なんだっていいけど、できれば和食がと
れるところがいいわ」
 かみさんの一言で、わたしはあとでひとり、
飲食店をさがすはめになった。
 慣れない土地に入ってから、ずっとわたし
はナビの朱色の旗めざし、慎重に慎重をかさ
ねてきた。
 せまい路地が多く、終始徐行。
 神経質になりすぎ、わたしはひとつ曲がる
角をたがえたことも。
 「あら、こんなところかしら。全然、らし
くない建物ばっかり。ふつうのおうちじゃな
いのよ。ほらほら子どもがいるわよ。気をつ
けて。地図よく見て運転してよね。わかんな
くなったら、せっかく三時間もかけて来たの
がむだになるんだから」
 「ああ、わかった」
 かみさんの文句に逐一反論したい。
 だが、もしそれをやるとどうなるかわかっ
ている。ひとつの文句に対して、十数倍もの
お返しがある。
 よけいに気分がわるくなること請け合いと
わたしはむっつり口を閉ざした。
 車がようやく、利根川の土手の上を走り出
した。
 こちらはわが地方よりずっと暖かいらしく、
向こう岸の桜が見ごろを迎えていた。
 さすがは、坂東太郎の異名をとる川だけの
ことはある。
 川底までゆうに五十メートル、川幅は百メ
ートルくらい。
 こちらの岸に、幅六メートル未満の舗装道
路が造られ、そこをわが愛車は時速八メート
ルくらいで走った。
 道沿いに住宅がたちならぶ。
 「はっきりした看板、出てるよね」
 わたしが問うと、かみさんは、
 「わかるわけないじゃない。初めて来たん
だし」
 と、まったく平気な顔。
 誰に聞いたのか、お医者さまじゃないけど、
いい治療をしてくださるらしいわよ、そこに
行ってみましょうと言い出したのは、あくま
でもかみさんだった。
 だとしても、もしも求める治療院が見つか
らなかったら、彼女はあとあととんでもなく
不機嫌になってしまう。
 「ひょっとして、あれじゃないか。それら
しい看板がかかってるけど」
 おずおずとわたしが言うと、かみさんは後
部座席から身をのりだし、
 「あっそうだわ。波、なんとかなんてちゃ
んと書いてある。良かったわ見つかって」
 と、うきうきした調子で言った。
 二階建てのこじんまりした家。
 玄関先にも、裏の駐車場にも車が一台も止
まっていなかった。
 「車ないね」
 「当たり前よ。きっと食事に行ってらっしゃ
るのよ」
 「そうだろね」
 「何かあったら、いつでも電話してくださ
いねって、奥さまが言ってらっしゃったわ」
 せがれとかみさん。
 ふたりを車からおろし、わたしは手ごろな
飲食店をさがそうと、住宅地の中心部にとっ
て返した。 
 誰かにたずねなくては、と、まずは大通り
に面したまんじゅう屋さんに入った。
 年配の女店員さんがひとり、店の中を行っ
たり来たり。
 「あのう、すみません。ちょっとこのあた
り、わたし、不慣れなもので」
 「はい、だいじょうぶですよ。どうぞ」
 彼女のキップのいいしゃべり口に、わたし
はフレッシュな魅力を感じてしまった。
 それが表情に出たのだろう。
 彼女はちょっと警戒のまなざしをわたしに
向けた。
  
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