油屋種吉の独り言

オリジナルの小説や随筆をのせます。

苔むす墓石  その37

2020-04-07 21:17:10 | 小説
 年のわりに法師の歩みは速く、両手で重い
鞄を持った宇一は、ちょっと油断すると、大
きく引き離されてしまった。
 「ず、すみません。坊さま。もう少しゆっ
くり歩いていただけないでしょうか」
 泣く声に似た宇一の声が聞こえたのだろう。
 法師は立ちどまると、右手に持った杖を一
度、ガシャンと地面に突き立てた。
 「そんなことでは、今夜中にお堂に着くこ
とはできぬぞ。持っているものなど捨て去っ
てしまうことだ」
 「そ、それはできません。ここには大事な
ものがつまっておりますものですから」
 「大事なものとは?」
 「そ、それは言えません。私物なら置いて
ゆくこともできますが」
 「他人のものだと申すのじゃな」
 「はい。友だちの衣服が入っています」
 宇一は法師に対して、違和感を抱いた。
 (こんなにうるさい人だったろうか)
 「どおれ、どれ」
 法師はきびすを返し、宇一がたたずんでい
る場所に歩いて来る。
 半分くらい近づいたところで、彼は急に立
ちどまった。
 「お、お手前は気づかぬか。何も?」
 そう言い終わらないうちに、法師は地面に
がくりとひざを折り、う、ううんと唸ったき
り、しばらく苦し気にせき込んだ。
 「和尚さま、どうされました?あなたがご
病気にでもなられたら、わたしはいったいど
うすればいいのでしょう」
 「ごっほん、ごほん。こんなに息ができぬ
くらいになったのは初めてじゃ。なあむあみ
だあぶつ、なむあみだあぶつ」
 ふいに彼はお経を唱え始めた。
 彼の声が木霊となって、谷間に響きわたる。
 いつの間にか、ふたりは山中にいた。
 広かった川幅はいつしか、渓流のそれにとっ
て代わっている。
 山を下っていく流れが、高い木々のこずえ
の間をさしこんでくる月の光をうけ、きらめ
いていた。
 「そこもとの持っているものを」
 法師はやっとの思いでそれだけ言うと、に
くにくし気に首を横にふった。
 「これ、この旅行かばんのことですか」
 「ああ」
 「これがどうかしましたか」
 次の言葉がのどから出にくいのか、法師は
しきりに左手でのどをさする。
 宇一は旅行鞄を両手で引きずりながら、彼
のもとに近づいて行った。
 「よせ、よせと言うのに。それ以上わしに
近寄るんじゃない。わっわわわ」
 わけのわからない声をあげると、法師は最
寄りの木々の間に入りこみ、歩きまわった。
 その挙句、太い木の幹に彼の頭をぶつけそ
うになった。
 「このかばんが具合がわるいんでございま
すね」
 「そ、そうじゃ」
 「その理由をお明かしください。そうすれ
ばわたしも納得がいきます」
 「それはできぬ」
 法師の咳は、ますますひどくなる。
 「これを捨てろとおっしゃるのですね」
 法師は黙っている。
 うんと首をたてにふりたいと思うが、それ
はできなかった。
 捨てなさい、と命じたとたん、自分がどの
ような運命にさらされるか、わかっていた。
 彼はわざと話題を変えた。
 「めざすお堂はもうすぐじゃ。法師ともあ
ろうものが取り乱してしまい面目ない。なん
でもお手前の好きなようになされ」
 (法師は自分にとって大切な人。ここは未知
の世界。とにかく彼なくして自分は生きてい
く自信がない)
 宇一はそう思い、彼が指さす方角に先頭に
なって歩いた。
 くぬぎやならの林をぬけたところで、小屋
のような建物がひとつあるのに気づき、
 「あれ、でしょうか。法師さま?」
 と尋ねた。
 「そうじゃ間違いない。今宵はもう遅い。
ここで、夜露をしのぐことにしようぞ」
 「はい、わかりました」
 これ以上、この旅行かばんのことについて
法師に話すことはできない。
 宇一は、そのかばんを、法師に気づかれな
いようにお堂の床下に入れ、観音開きの戸を
開け、堂内に入りこんだ法師の後につづいた。
 法師はよろめく足どりで仏像の前にすわり
こむと、
 「やれやれじゃ。ここまで来ればな。お手
前もさぞかし腹が空いたことじゃろう。大き
いにぎりめしがひとつある。これをふたりし
て食べようぞ」
 「ありがとうございます」
 よほど腹が減っていたのか、宇一は夢中で
食べた。
 「これこれ、まだ食べ残しがあるぞ。その
まま寝込んでしまっては大変なことになるぞ」  
 宇一は、法師の言葉を、すべて聞かないう
ちに深い眠りに落ちてしまった。
 翌朝早く、鳥の鳴く声で宇一はめざめた。
 だが、堂内に法師の姿がない。
 宇一は扉を開け、外にでた。
 「法師さま、もうし、ほうしさま」
 大声で呼びかけたが、返事がない。
 宇一は必死で彼を探しはじめた。
 
  

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MAY  その46

2020-04-05 17:18:28 | 小説
 それから数日経ったある日。
 モンクの家の台所の壁にかかった時計の針
は、午後五時を少しまわっている。
 秋の日は短かった。
 「いいわね。メイんちは。こんなふうに食
事できるんだから」 
 夕餉の献立の用意をしながら、ジェーンが
うつむき加減でぽつりと言うと、わきで、鍋
に入ったじゃがいものいくつかに、一本のわ
り箸を突きたて、芋のゆで加減をみていたメ
イが困ったような表情をうかべた。
 「ええっ?ああ、そんなことね。そりゃま
あ、みんな大変なのは知ってるわよ」
 ジェーンは、メイの横顔をちらと見てから
すぐにまた、とりの卵をわり、ぬるりとした
中身を手早くボールに入れた。
 「まったくひどいやつらだよね。何もかも
こわしまくってね」
 メイの言葉に、ジェーンは黙った。
 何か気の利いた応え方がないものか、とメ
イは頭をはたらかせる。
 あいつらの弱点、わたしたち、実は知って
るんだ、とも言えない。
 誰かのために命がけで挑むこと。それが彼
らをおびえさせるんだ。
 そんなふうに言いたいところだが、あまり
にかっこ良すぎる。うふふふっとジェーンに
笑われるのが落ちだ。
 アルコールランプやろうそくの明かりの下
での夕餉の準備である。
 ジェーンが包丁で手を切るようなことにで
もなれば大変だと思い、メイは言葉遣いひと
つにも気をつかった。
 「結局、あいつらは気まぐれなのよ。あれ
はこわそう、それは残そうって。地球に住む
人の気持ちをなんだと思ってるのかしら」
 「いいわね。メイは」
 ジェーンはもう一度言った。
 「うん、こわされないで良かったわ。だか
らこうしてあなたたちを受け入れられたんじゃ
ないの。もうその話辞めようよ、ねっ。こう
やって、わたしたちがもめるの、あいつらきっ
と待ってるのかも」
 「ああそうか。それがねらいなのかも。わ
かったわ、メイ。ごめんね。つまんないこと
いってさ」
 「いいのよ。その代わりといっちゃ変だけ
ど。ジェーンってお料理じょうずでしょ。だ
から今日の夕飯あなたに頼んだの。お願いだ
からこれからたまにみんなにおいしいもの作っ
てあげてね。メリカおばさんにわたし、いい
友だちもったでしょって、ううんと自慢した
んだから」
 「ええいいわよ。腕によりをかけてね」
 メイとジェーンの友情の火は、メイの機転
の利いた一言で、いっそう燃えさかった。
 ボールに入った卵をかきまぜ、四角で平た
いフライパンに流しこみ、きつね色に焼きあ
げる。
 ジェーンはそれを六回繰り返した。
 六人分の卵焼きである。
 彼女はそれぞれの卵のあいだに、丸くて黒
いものをこまかく刻んだものをいくつか、い
れるのを忘れなかった。
 それはゴンが森の中で見つけたもの。
 メイはそれがいったい何なのか、ずっと解
らないでいた。
 「ジェーン。それっていったい何なの。な
んでそんなの、卵焼きに入れちゃうのか、わ
たし、わかんないわ」
 「これね。トリュフっていうの。これでも
きのこなの。なんかの拍子に、きのこの菌が
地面にもぐっちゃったんだって。強い匂いを
放つのは見つけてもらいたいためみたい」
 「へえ、おどろいた。あったまいいわね」
 「そうよね。香りがいいから、たまごやき
のほっとした匂いが嫌いな人にもちょうどい
いのよ」
 じゃがいもがゆであがり、メイはサラダ作
りを始めた。
 主食はごはんである。
 「ほら、ジルとミル。おまえたちも手伝う
んだよ。食べさせていただくんだからね。ご
はんをよそって」
 「はあい」
 椅子に腰かけ、編み物に精を出していたメ
リカが、ここで口をはさんだ。
 「さあさ急いで。モンクおじさんがもうじ
き帰って来るからね」
 メリカのひざにのっかっていた猫のぽっけ
が、彼女の膝から床に飛び下りた。
 「わかってるわ、メリカおばさん、おばさ
んは食べるだけの人なんだからね。ちょっと
静かにね」
 「わかってるよ。なんだか手持ちぶたさで
さ、あはははっ」
 メイはジェーンのほうに向きなおると、
 「気にしないでね、ジェーン。モンクおじ
さんは優しいし、だいじょうぶなんだからゆっ
くりやってね」
 「うん。ありがとう」 
 着替えをするのに時間がかかるのか、この
家の主人、モンクはなかなか台所にあらわれ
なかった。
 「ジェーンちゃんって、料理ができるのね。
メイの勧めで、あなたに台所をまかせて、お
ばさん、きょうはほんとに楽しちゃった」
 メリカが笑顔で言う。
 「いいえ、できることはなんだってやりま
すから。どうぞ遠慮なく言いつけてください」
 ジェーンは、まじめな顔で応えた。
 「おそくなってごめんよ。ちょっとシャワ
ーを浴びていてね。おおっ、これじゃうちの
台所はまるで花園だな。いろんな花がいっぺ
んに咲いたようだ。かわいい子ばかりだな」
 モンクは交通指導の棒振り仕事。
 いろんな人とまじわるせいか、木こりをやっ
ていた頃より、ずっと口の利き方が上手だ。
 まっ黒な顔に、白い歯がきわだつ。
 ラフな衣服に着替えた彼はにこにこしなが
ら台所に入ってきた。
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ちょっと、前橋まで。  (2)

2020-04-03 13:42:36 | 旅行
 「うちのほうとずいぶん景色がちがうわね。
Hちゃん、あれなんて名前の山か知ってる?」
 「知らない」
 「初めてみるのって、なんかうれしいわね」
 「うん。そうだね」
 前方奥に広がる連山を、お客ふたりはのん
きに眺めている。
 彼らの気楽な会話をよそに、にわかじこみ
の運転手であるわたしの神経は、今やマック
ス寸前。
 スタッドレスタイヤの音が、わたしを戸惑
わせる。
 ハンドルをにぎる手は、汗まみれ。
 バックミラーを見る余裕さえないありさま。 
 わたしはろくに前など見ていず、彼らが堪
能した景色は、わたしの脳裡をちらっとかす
める程度のものである。
 あちこち白いものをかぶっていたことはわ
かった。
 それは、わたしに、冬の高山の一場面を思
い起させた。
 つい最近、所用ありて、日光連山がまじか
に見てきた。
 ごつごつした岩肌、切り立った絶壁。
 遠目にはやさしく見えるが、実際、冬山は
人を近づけない厳しさをそなえていて、うん
と離れた谷間にいても、まるで冷蔵庫のなか
の空気にひたっている感があった。
 杉や檜を育てる低い山ばかり見慣れたわた
しには衝撃なのに違いない。
 わが車の前方に見えた山々。
 名をあげれば、赤城山から榛名山、そして
妙義山などなど。
 軽井沢にいたる我が国屈指の山系である。
 びゅううん。
 わたしの感傷をあざわらうように、いきな
り後続のランクルがわたしの車の前に飛び出
してきて、ぐうんと加速していく。
 わたしの車をぬくとき、ランクルはあまり
車間距離をとらなかった。
 ひぇえっ、ぶつかる、と、わたしは叫びだ
しそうになった。
 だが、大騒ぎするわけにはいかない。
 わたしは残り少なくなった歯をぐっとかみ
しめ、自分の感情をおさえた。
 (ゆっくり走ると、高速道路がいかにレー
ス場になっているかということだな)
 そう思った。
 「お父さん、もうすぐ前橋南だよ。よく見
ててね。あと三百メートル」
 「わかった」
 せがれは幼いころ、わたしの運転する車の
助手席にはすわらず、立ったままでまわりを
見ていた。
 前方の信号機に注意したり、まわりに危険
ないかどうか、確かめてくれた。
 人の癖というのは、あまり変わらないもの
らしい。
 わたしはほっとした気分でスピードを落と
し、ゲートに向かった。
 今度は間違いをおかさないぞ、と、いささ
か気負いながら停車。
 車から降りて、ブースの中の男の人に四百
八十円を支払うと、ゆったりした気分で一般
道に入って行った。
 「ごくろうさま。わたしじゃとても運転で
きなかったわ。さすが男ね」
 かみさんがやんわりと言う。
 喜んでいいものやら、とわたしは複雑な思
いで目的地にむかった。
 

 
  
 
 
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苔むす墓石  その36

2020-04-01 16:20:57 | 小説
 土手の上であの少年を叱った男は、宇一
が這い上がってくるのを待った。
 「ほらもう少し。ここまで来ればないい
こともあるから。世の中、わるいことばか
りじゃないから」
 蝶に扮した妖精がささやくように、彼は
声を変え、宇一に優しく語りかける。
 「さあもう少しじゃよ。がんばりなされ」
 ふいに頭の上に野太い声が降ってきて、宇
一はびくりとした。
 「はあ、はいっ」
 一瞬、宇一は両手で草をつかんだまま、動
けなくなった。
 涙がいまだに宇一のほほをつたう。
 ぶざまな醜態を他人に見せたくはない。
 「何をしておる。しっかりしなされ。わた
しはあやしいものではない。あんたのことは
知っている」
 「ど、どなたでしょう?わたしはあなたの
ことは知らないと思いますが」
 突然男の両手がしゅっと伸びてきて、宇一
の両の二の腕をつかんだ。
 「ほら、とにかくここまで上がって」
 男は自分の両腕にありったけの力をこめて
宇一を土手の上にひっぱりあげた。
 男の来ている着物の袖が、はらりと宇一の
頭にかかった。
 「ふうっ、まさか若いお人じゃ。われひと
りじゃ、なかなかこうはいくまいて。きっと
お釈迦さまが手伝ってくださったんじゃろう」
 「おしゃかさま?」
 宇一は、ふと空を見あげた。
 今まで空をおおっていた雲が、見る間に東
に流れて行く。
 宵の明星だろう。
 雲の切れ間に、いちばん星があらわれ、き
らめきだした。
 宇一は嬉しかった。
 「そんなに感激してもらっちゃ、わしも助
けたかいがあるってもんじゃ」
 「ああ、はい。久しぶりに人のぬくもりを
感じました」
 「いいんだいいんだ。男だってな、泣いたっ
ていいんだ。戦国時代のお武家さまだってな。
戦いの最中にな、喜怒哀楽をはっきり顔に出
したんじゃよ。悲しい時には悲しいようにな」
 「そうなんですか」
 宇一は涙声でいった。
 まるでこの世界は、泉鏡花さんの作品世界
に近い。
 それでも宇一は、芥川龍之介の作品の中の
蜘蛛の糸の一場面を思い出していた。
 「そうそう、それでいいんじゃ。にこにこ
してな。いつだってな、冷静でな、落ち着い
ていさえすればな。助かる。助けてもらえる」
 「はい」
 宇一はきっぱりといった。
 「おぼえていなさるじゃろう。かれこれ半
刻前だったか、わしは平山家の墓前で拝んで
おったろ」
 「ええっ、はい。そ、それじゃ、あなたは
あのときのお坊さま?」
 「そうじゃ」
 「し、しかし、よくぞここにおいでなさっ
たものですね。でもどうやって?」
 「どうやってもこうやっても。わしにはお
前さんがいっとることがよくわからんが」
 「わからなくてもいです。わたしにはあな
たがここにおられることが奇跡なんです。と
ても有難いんです」
 宇一は一気にしゃべった。
 平山ゆかりとともに訪れた墓地でのシーン
をくわしく思い出そうとした。
 「なんじゃ、その顔は?うう、ん?お手前
はわしを、まるで幽霊のように思っとるな」
 お坊さまは、宇一の顔の前に自分の顔をぐっ
と突き出し笑った。
 こつんと彼の笠が、宇一の額にあたった。
 「おう、これは失礼」
 「いいえ、いいえ」
 宇一は、これまでの不可解な出来事に戸惑
いながらも、お坊さまと会ったことをばねに
して、なんとか自分を立て直そうと努めた。
 「とにかく夜が更ける。今は今宵の宿を決
めねばならぬ。どうだわしといっしょに来る
か。近くのお堂で一夜を明かしてみようぞ」
 「あっ、はい。願ってもないことです」
 宇一はこの辺りの地理は全然わからない。
 お坊さまの袖をしっかりつかみ、彼のあと
について行くことにした。
 
 
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