油屋種吉の独り言

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苔むす墓石  その39

2020-04-18 22:58:20 | 小説
 お堂といっても、粗末この上ない。
 賽銭箱も鳴りものもなく、願掛けに訪れる
人がひとりもいないように思える。
 だが、正面わきに菜の花が一輪、口の欠け
た花瓶にかざられていた。
 ああ、やはりどなたかここの仏さまを頼っ
てこられているんだな、と、宇一はほっとし
た気持ちになった。
 堂内には、あちこちめっきがはげた仏像が
一体鎮座している。
 しかし屋根がうまくふかれていない。
 そのせいで仏さまの頭に、雨露がぽとぽと
落ちていて、いま少しで穴があきそうな状態
である。
 建物の柱や板も、あちこちそりかえったり
裂けたりしている。
 正面に小さな賽銭箱はあるが鳴り物はない。
 庶民が願掛けに通っても、なんとも頼りな
い感じをもったことだろう。
 宇一は旅行鞄を見つけようと、お堂のわき
にまわりこみ、床下をのぞきこんでみた。
 明かりが差しこんでいて、明るい。
 すべてが白日の下にさらされていた。
 宇一は一瞬、それらが何か、よくわからな
かでいた。
 (道理で、ゆうべ、眠っているとき、やた
らと寒かったわけだ)
 ゆかりの鞄を手に取ろうと、宇一が両手を
のばした。
 いくら両手を横にふっても、その鞄が手に
触れない。
 ふいにむっとした匂いが鼻についた。
 一陣の風が、床下の匂いを、宇一の鼻先に
まで運んだ。
 とたんに宇一は、ぐえっと叫び、吐きそう
になった。
 「ねっ、いやなにおいがするだろ」
 鹿人少年が、宇一の背中に左手をおき、さ
さやくように言った。
 「くさいなんてもんじゃない。こりゃ一体
どうしたことだ。鼻をつまみたくなるほどだ。
くそっ、夕べ、確かに置いたんだよな。旅行
鞄を、さ。この場所に。なのになぜ」
 宇一は、ちょっと前、車にはねられ、道路
わきにしばらく捨て置かれた、たぬきの遺体
をかたずけようとした際のことを思い出した。
 「あれれれっ、それよりおにいちゃん、見
てみなあれれれっ、よ。自分の手を」
 宇一は、あっと小さく叫んだ。
 床下をまさぐっているときに、付着したの
だろう。
 右手も、左手も、大量の赤い液体で汚れて
いる。
 いやいやながら鼻に近づけると、錆びた鉄
の匂いがした。
 朝日が床の下をくまなく照らし出している。
 宇一はわが目を疑った。
 白っぽいものやら、赤黒いもの。
 細長い竹のようなものが、山積みされてい
たのだ。
 宇一はわっと叫んだ。
 彼の右手はすぐさま、宇一の意思どおりひょ
いと床下からのがれ、右脚の布製のずぼんで、
おのれの汚れをふき取りはじめた。
 だが、宇一の左手は、ここでも変わったや
つだった。
 なかなか床下から出てこず、赤い液体のし
み込んだ土が気に入ったのか、さかんに泥遊
びに興じている。
 「なんなんだろうね。おにいちゃんの左手っ
てさ。あんなところで」
 鹿人があきれた顔をしてそう言っても、宇
一はあわてない。
 「どうしてそう思う?」
 「だって、だってえさあ。おにいちゃんの
左手、床下でどろんこ遊びしてるんだもん」
 「あはっ、こ、これはさ。わざとやってる
んだ。小さい頃をさ、ちょっとばかり思い出
してしまってさ」
 「うそだい。あの赤いの、あれだよ。あれ。
まだわかんないの。おら、しょっちゅう見て
るから気になんないけど。ほら、人がけがし
たりしたら、体から噴き出るだろ。くそっい
まいましいから、言うのもいやなんだ」
 「ああわかってるさ。俺だっていやさ。そ
れが何だか知ってるさ。見てな。今すぐ、あ
の左手、引っ込めてみせるから」
 宇一は覚悟を決めた。
 全神経を左手に集中し、なんとかして床下
から、自分の所有物であるはずの左手を引き
ずり出してやろうと思った。
 引いたり、引かれたり。
 綱引きのような事態が、ちょっとの間つづ
いた。
 「なあむあみだあぶつ」
 思わず、宇一がお経をとなえ、えいやっと
気合をいれたら、くだんの左手はあきらめた
らしい。
 宇一の指示どおり、それがごぞごそと床下
からはい出てきた。
 よほどあきらめがわるかったのか、左手は
ぶざまなかっこう。五本の指すべてが地面を
ひっかきながら、まるでアサリ採りの道具の
かっこうで出てきた。
 「わあっ、おもしろいもんだね」
 鹿人少年が驚いて目を丸くした。
 「もっと遊びたかったんだね。まったくも
う、これってさ、ほんとうにおにいちゃんの
手なの?」
 「ああ。そうなんだけどね。変わったやつ
なんだ。主人の言うことをときどき、聞かな
いでさ。勝手なふるまいに及ぶってわけさ」
 左手のいくつかの指が、黒い布切れをひき
ずっている。
 それを見て、宇一はその布切れがあの坊さ
まの袈裟の一部に似ていると思った。
 (すると、さっきの骨はいったい・・・)
 そこまで考えて、宇一は恐ろしくなった。
 
 
 
 
コメント
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