木村長人(きむらながと)。皆さんとつくる地域の政治。

1964年(昭和39年)千葉生まれ。元江戸川区議(4期)。無所属。

南相馬市役所の庄子様からの手記

2011-03-19 23:26:01 | 地方自治
 東日本大震災による死者・行方不明者の合計は19日午後9時の時点で、1万9188人になってしまいました(警察庁)。未曾有の天変地異をもたらした今回の東日本大震災は、主だったところでも北は青森県から南は千葉県にまで、実に多くの町に被害を及ぼしました。福島県南相馬市もそうした数多い被災地の中の一つです。市の一部が福島第一原子力発電所の事故による避難地域にもかかり、いわき市とならび福島県の中でも特に大きな被害を受けた南相馬市ですが、その厳しい状況下にもかかわらず多くの市民が、今、災害に負けずに生き延び、必死に厳しい避難生活と復興とに向け戦っています。

 そんな中、南相馬市の市民生活部市民課の庄子まゆみさんから、地震に見舞われ、さらに津波が襲ってきた経過、また発災後1週間、市職員として命がけで市民の救援に奔走されてきたことを綴った手記が、自治体学会のメーリングリストに送られてきました。震災後しばらく通信インフラも寸断されてしまっていたようで、自治体学会事務局の井上さんと日大の沼尾さんが庄子さんからメールを受け取り、3月17日の22時44分から50分の間にそれぞれ転送されたものです。

 「市議会」「議場」「市庁舎」といった庄子さんの記述は自治体議員である自分にとっては、日常の一こまとして非常に馴染みのあるものであり、その発災時の描写は具体性をもって私の目に浮かんできました。発災後の1週間、厳しい状況下で必死に被災した市民の救援にあたる姿は読む者の胸に迫るものがあります。今回、庄司さんご本人の了解を得、現地からの生々しい体験と状況を綴った手記を、いっさい加工せずに、そのまま転載することにいたしました。一人でも多くの方に被災地からの直接の声が届くことを願って、掲載いたします。被災地のために、今回、直接被災しなかった私たちには何ができるのかについても、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

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自治体学会の皆さま

庄子@南相馬市役所です。
いろいろご心配をおかけしました。
なんとか、生きています。

11日(金)14:46、市議会3月定例会の一般質問で、市庁舎4階議場に待機していたところ、突然地鳴りがして、それはもう大きなたて揺れ、そして横揺れ、立っていることはできなかったのですが、私の前に防火扉が開いてそれを押し返すのに精一杯でした。
あの時間は、どのくらいだったのでしょうか?
今、思い出せません。
それから大きな地震が繰り返し繰り返し、やっとの思いで、市庁舎外にでました。
余震の中庁舎に戻ると、机の上はかろうじてPCが残って、あとは書類や本が床に山のように落ちていました。
机の上に置いたコーヒーのカップは床に落ち、コーヒーは飛び散り、それはすごいことになっていました。
それでも、ずっと揺れ続けており、時折くる大きな揺れのたびに、庁舎を出たり入ったり。
そのうち、14:50津波の第1波が来ました。
建設部等の現場担当者は、すぐパトロールに出動していきました。
その津波は、予想以上に速く高く、そしてそれ以上の第2波が来て、沿岸から2キロの家や田畑は、押し流され何も残ってないそうです。
現場パトロールに行った職員は、亡くなりまた見つかっていない人もいます。
また、多くの市民も一瞬にしてのまれました。
私の市民課の職員2名も家を失い、家族は行方不明のままです。
このときから、電話やネットも不通になり、どこにも連絡手段がなくなりました。

津波の災害対策がその時からから始まりました。
情けない話なのですが、床に落ちた地域防災計画を取り出し、自分の役割を確認した次第でした。
津波の影響を受けた他市町村の市民も本市の避難所に多く集まり、避難所の設営、防災無線で毛布や食糧の提供を求め、あっという間に市民が市役所に持ってきてくれました。

その後、福島原子力発電所の事故です。
こちらは、もう市民も行政もパニックでした。
実は、ここからの記憶は、今あんまりありません。
今日で地震から7日が経ちますが、毎日、今日が何月何日の何曜日で、今が何時で、今日の天気が何だったのか、全然わかりませんでした。
ただただ、目の前の市民の対応に無我夢中でした。

そのうち、原発事故の放射能から避難する市民、事業所が出てきて、市内への物流は止まりました。
南相馬市へ支援はしたいが、隣の町まで迎えにきてくれということになり、少ないガソリンで受け取りに行くとう次第でした。
昨日から市民を新潟県をはじめ、飯田市、杉並区、宮城県丸森町等のご支援により、小千谷市、飯田市、丸森町へ受け入れていただいています。

これまで私は、食糧品の調達などやってきましたが、今後は市民課の業務を戻り、津波で亡くなった方のご遺体が地震や燃料不足で安置されたままなので、避難されたご遺族にご連絡して火葬する手続きを進めなくてはなりません。
津波の被害者捜索は、福島県警と自衛隊が実施しています。

幸い私の家族と築50年の家は無事でした。
お電話やこのMLで励ましをいただいた皆様、ありがとうございました。
このMLは、沼尾先生が転送してくださいました。
毎日緊張の連続でしたが、お電話やこのMLに、ふーと、力が抜け、涙がでました。
職員も限界にきており、壊れている職員もいます。
中川先生が書かれているように、私も興奮が持続しているようです。

これからまだまだ先が長そうです。
皆様の励ましに感謝します。

 庄子 まゆみ SHOJI Mayumi
 南相馬市役所市民生活部市民課

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 以上が庄子まゆみさんからの手記です。

 本日受け取りました庄子さんからのメールには、今、市庁舎では暖房の使用が禁じられており、寒くて、仕事をするにしても震えが止まらないそうです。まちに残ろうと考える市民がいる一方で、医療機関やスーパーはまちから撤退しており、こうした状況下で市民生活を支え続けることの難しさに直面し、市職員の方々もジレンマに悩まされているとのことでした。



江戸川区議会議員 木村ながと
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