イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

11.イスラエル到着

2006年08月20日 | Weblog
【写真:テルアビブのベングリオン空港】

 さて、気がついた時はテルアビブのベングリオン空港です。昔はロッド空港と言っていました。聖書にルダ(使徒9:38参照)と書かれているところです。時差のため再び時刻が変わって、荷物を確認し終わった頃は明け方の4時過ぎ。4~5時間はぐっすり眠ったようで気分は最高、空気も優しく感じられました。

 地元のガイドは倉田さんという若い男性、運転手はダビデさん。この国はダビデという名前が多いのでしょうか、毎回ダビデさんという人でした。
「天のお父さまぁー、また来ましたぁー。祝福してくださぁーい」
 両手を広げて大きく深呼吸しながら、夜明けの空に向かって心で叫びました。昨年8月、12月と続けて来て、少しは霊験あらたかに?なった私、今回もなけなしのお金をはたいて来てしまったのです。職場の忙しい時期、強引に休暇を取りましたので、帰国したらおそらく首でしょうが、それならそれでいい。

 全員の荷物をそれぞれ確認し、それをバスのお腹に積み込むダビデさん。これから11日間、この聖なる地で、泉さん、倉田さん、ダビデさんと共に一家20人のファミリーとして生活するのです。はたしてどうなることやら、今のところ全く見当がつきません。この予想もできない未知の世界に、私たちは今、突入してしまったのです。たとえ何が起ろうとも、大きな犠牲を払ってはるばる日本から来たんですもの、必ず主がお守りくださるに違いありません。
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10. テルアビブ行きへ搭乗

2006年08月20日 | Weblog
「ジャパニーズ、プリーズ」
 若くて美人だが、真剣なのでしょう。無表情のまま機械的に照合しています。サンキューという声も事務的です。隣はといえば太ったオバサン。美人ではないが、楽しそうに、にこやかです。どうでもいいようなものですが、私、にっこりオバサンの方に並び変えました。にっこりオバサンはパスポートを返しながら、
「ハバ、ナイスデー!」
なんて言ってくれちゃって・・・・。その時、私の心から国境が消え去ったのです。微笑みは万国共通なんですね。
 ま、とにかく3つの難関を通り抜けて、ようやく出発ゲートの待合室に落着きました。しかし、私の身体は完全に睡眠時間帯に入っています。脳みそがパンパンに膨れ上がって全く思考力がありません。今さら遅いのに、こんなんだったら4本も映画を見るんじゃなかった、無理にでも眠っておくべきだったと、頭のどこかで思いながら、ぐらりぐらりと左右に揺れる身体、うつろな目・・・・・。
「アテンション、プリーズ、xxxxxx」
 搭乗案内が安眠を妨害します。
「新田さん、もう出発よ。準備して!」
 児玉さんの声に立ち上がります。ロンドン発22時、英国航空660便。タラップを上がる足は、持病がうずき始めました。睡眠と食事と身体にかかる重量、このバランスが崩れるとすぐ襲ってくる厄介な病気、全く油断ができません。今は睡眠不足によるものだから、ただ眠りさえすれば・・・・・
「あ~、天にまします父よ。どうぞ安眠の時間を・・・・・ムニャムニャ」

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9. ロンドン・搭乗前の手荷物検査

2006年08月19日 | Weblog
 今度は、ボディーチェックを終えた人から順に手荷物だけを受け取り、もう1ヶ所、最後の関所を通らなければなりません。パスポートを提示して、コンピューターとの照合が待っています。
「これって、何となく裁きの法廷に立っているような気がしません?」
私が言うと誰かがすかさず応答します。
「救いの段階を一つ一つ、クリアしているような?」
「そう、手荷物検査が星の栄光、ボディーチェックが月の栄光、そして最後にここをクリアすると、日の栄光行きに乗れるみたいな・・・・そんな気がしません?」(第一コリント15:40~41参照)
「あ~ら、そこまで考えなかったわ。でも面白い発想ね」

 なんだかんだと言ってるうちに、順番が回ってきました。森田さんが最初です。彼がパスポートを提示すると、
「ジャパニーズxxxxxxxx!」
「えっ、なに? 日本人の名前、ないって? おいおいそんな~」
 日の栄光行きに待ったがかかりました。少々ざわめくと、後ろの方から小室さんが尋ねます。
「どうした?」
 すると皆な口々に、
「われわれの名前、まだ出てないんだって。添乗員どこへ行った?」
「泉さんはどこへ行った?」
「その手続きじゃないの? あ、来た来た」
 不思議そうな顔をしている泉さんに、パスポートを持った手を振りながら、森田さんと小室さんが叫びます。ここは男の出番。
「お~い、泉さ~ん。おれらの名前がないってさ」
「コンピューターに入ってないって!」
 軽くうなずいて再び出て行った泉さん。それからしばらくして、ようやくコンピューターの係りから呼ばれました。
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8. ロンドン出発

2006年08月19日 | Weblog
【写真:ロンドンのヒースロー空港】


 睡魔に襲われたせいか、待ち時間もあっという間に過ぎ、いよいよイギリス出国です。テルアビブもそうですが、ここロンドンでも出国時はなかなか厳しい印象を受けました。グループ旅行の人たちは案外スムーズに進んでいますが、それでもスーツケースから手荷物まで、全部開けてかき回されるのは、決していい気持ちではありません。が、考えようによってはその分、安全性が高くなる訳ですから、全員発想を変えてジャパニーズスマイルです。

 持ち物検査の次は、毎回苦手なボディチェック。胸から腰を通って膝まで、スーッ、スーッと撫で回されると、くすぐったくて思わず肩をすぼめ、ケケケと笑ってクルッと向きを変えてしまう私。白手袋の検査官(女性)もガハハハ~と豪快に笑います。互いにケケケ、ガハハと身をよじりながら、3回でやっとOKになった時はさすがにホッとしました。今思い出しても、くすぐったくておかしくて・・・・・
 あれはね、遠慮して撫でるからいけないんですよ。軽く叩くようにすればいいと思うんですが、しかし他の皆さんは何ともなかったということです。
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7. 成田からロンドンヘ

2006年08月18日 | Weblog
 さて、夜型でいつもの就寝時間が午前1時という私、機内の映画を4本見終わってもまだ眠れません。さすがに体を持て余して、立ったり座ったりの繰り返しです。時々ビデオカメラを持って、不良少女のように仲間探しに出かけては、夜の巷を散歩?して気を紛らわせました。
 イヤホンをつけてラジオを聴いている人もいますが、ほとんどの人はぐっすり寝入っているようです。時間はまだ夜の11時。目が冴えてどうしようもありません。普段、立って走り回る仕事だけに、長時間じっとしているのがとても辛く感じます。

 こんな時はトイレに行くのが一番ですね。狭いけれども、機内ではトイレが一番明るく、唯一自由になれる場所。非常に機能的に作られているし、ただ見ているだけで頭がよくなったような気がするから何とも不思議です。

(東京で小さな家を建てるなら、こんなコンパクトなトイレがいいな)
などと思いながら、お祈りしたり、英会話の勉強をしたり、はたまた賛美歌を歌ったりする私でした。それでどうかといいますと、ますます目が冴えて・・・・気持ち良さそうに眠っている仲間たちを片っ端から突っついて、「悔い改めよ、天国は近づいた」なんて、起して歩きたい衝動にかられるのでした。もちろん、実際そんなことしたら袋叩きにあうか、精神異常者にされるでしょうから自粛しましたが・・・・。
 
 やがてロンドンのヒースロー空港に到着。現地時間18時30分。足がむくんで靴がパンパンです。乗った時と同じく、機内の通路がまた人、人、人・・・・。
「サンキュー」
「お疲れさまでした」
 乗務員に見送られて、またあの長い廊下を渡り、くねくね歩いてバスターミナルに出ました。乗り換えのためイスラエル行きの空港に移動するのです。

 久々に外の空気をいっぱい吸い込みながら、ふと、荷物は大丈夫かな?と思いました。悪名高きヒースロー空港です。スーツケースの鍵を壊されて、貴重品を抜き取られたという話を、しばしば聞かされていましたから。
さてバスに揺られて5分? イスラエル行きの待合室です。ここで2時間という待ち時間を与えられて、皆さんはショッピングを楽しんでいましたが、私はちょうどその頃になって猛烈な睡魔に襲われ、買い物どころではありません。うつろな目をしてただぼーっとしていました。
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6. 成田・出発前の機内で

2006年08月18日 | Weblog
 シベリア上空を通っておよそ12時間半の飛行予定。アナウンスは英語と日本語です。途中、富士山とテームズ川の案内がありましたが、席が席だけに思うように移動できず、見ることができませんでした。
「ところで西さん、水着を持ってきました?」
訊ねると
「ええ、それがね、娘が貸してくれはる言うて、家に持ってきたんやけど派手でなあ。なんぼなんでもこの年寄りでっしゃろ、着れまへんがな」
と言うので、
「あら、いいんじゃないですか、死海でちょっとだけですもの」
と慰めたつもりでした。ところが、次のセリフを聞いてびっくり。

「そいでなあ、自分で縫ってきましたんえ」
「え? 水着を?・・・縫ったんですか?」
「ちょっといただいたジャージーの布がありましてなあ、このブレザーも、このズボンも、このショルダーバッグもなあ、急いでやっと間に合わせたんえ」
 私、開いた口がポカンとしたまま、目がぱちぱち。
「西さん、私、信じられないわ。水着まで縫ってしまうなんて・・・・」
 
 ああ何と、今日のように日本が発展した陰には、彼女のような人たちがいたからだと、改めて真の意味でのウーマンパワーを感じました。そして、もっと物を大切にし、知恵を働かせて生きることが、元気で長生きする秘訣ではないかと、もうすでに開眼し始めた私です。人間、何が勉強になるかって、その人の生き様に触れることが一番ですよね。(7へつづく)
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5. 成田・いよいよ搭乗

2006年08月17日 | Weblog
「アテンション、プリーズ。アテンションプリーズ」
 いよいよ搭乗です。13時55分発、英国航空008便。搭乗券の半ピラを受け取り、控え室と機内を結ぶあの廊下を渡りました。入り口でスチュワーデスに席の方向を教わり、右へ左へ流れて行きます。この時ばかりは、仲間がどこへ行ったかなんて考えていられません。自分の席を探すのに夢中です。あっという間に通路にあふれる人、人、人・・・・
「あった、あった、わたし、ここやな。新田さんもここと違う?」
70代の西さんです。映画のスクリーンの真ん前、少し前が広くて余裕があります。
「そうだわ。よかったあ、西さんとご一緒で・・・・どうぞよろしく」
 頭を下げると、
「こちらこそ、いろいろ教えていただかんと、よう分からしまへん。けど、おかげさんで、このトシになってやなあ、聖地に行けるなんて、ほんまに夢みたいやわ」
 本当に嬉しそうです。
「あら、そんなにおっしゃってくださると、私も何かいいことしたみたいで嬉しくなっちゃうわねえ」
 もう会話が弾んでいます。
「ほんまにそう思ってますねん。新田さんには何べんお礼を言っても言い足りないさかいなあ。誘ってくれてほんまに嬉しゅうおますねん」
「いえいえ、まだこれからですよ。無事に帰ってきたら、その時は何べんでも言ってもらいますから」
 そんな会話をしながら手荷物をごそごそやっていると、鈴木さん(男性)が西さんの隣の席に着きました。このようにして私たちの旅は、ビジネスクラスでゆったりと、いとも優雅に始まったのでした。
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4.成田・搭乗ゲートの待合室で

2006年08月17日 | Weblog
 久し振りに自分のパスポートを手にして撫で回す人、匂いをかぐ人、中身を点検する人、みなそれぞれに人となりを表していました。
「ええと、それではですね、荷物を確認していただいて、あちらに回ってください。X線を通してそのまま預けますので、身の回りの物や貴重品は手荷物の中に入れてください」

 やがて出国手続きを済ませ、搭乗ゲートの控え室でゆっくりします。ホッとしたのか、おむすびを出す人、サンドイッチを出す人、栗を出す人ありで、知らない人同士がすぐ仲良しになりました。さすが人生の達人です。私などは遅れずに来るだけで精一杯だったというのに・・・・・でも考えてみれば、確かにまだ誰も昼食を済ませていません。ほんの少しずつでも、食べ物を分け合うことによって、総勢17人にイエスの愛が広がりました。といっても、ここはまだ成田です。

 しばらくして面白いことに気がつきました。小田家の正美ちゃんを筆頭に、10代から80代まで、1代も欠けることなく揃っているではありませんか。言ってみれば、「ゆりかごから墓場まで」鎖のごとく繋がって参加しているのです。
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3. 成田・南ウイング集合

2006年08月17日 | Weblog
 さて、3度目のイスラエルは1992年10月12日(月)に始まりました。南ウイングの4階、Gカウンター前の集合時間は11時50分。すでに宅配便で送っておいたスーツケースを引き取ってカウンター前に行きますと、もう何人か集まっています。 参加者の名前を確認している添乗員に挨拶を済ませ、スーツケースにネームタッグをつけたところで一安心。一人二人と馴染みの顔が増えてきました。小室夫婦、柳田夫婦、児玉さん、藤井さん。

「あのー、西さんがねぇ、QLライナーに荷物を引き出しに行ったまま戻って来ないんだけど・・・・迷子になってるんじゃないかしら」
 大阪の西さんを、昨夜泊めてあげた児玉さん(69才)が心配そうにしています。さっそく若手の私が探すことにして、近道を北ウイングに急ぎますと、まだ荷物を引き出していませんでした。70代とはいえ元気いっぱいの様子です。長年の夢が叶った喜びでしょう。

 二人で荷物を引きながらカウンター前に戻りますと、知らない顔ぶれが増えています。鈴木さん(男性)、小田家族3人、早川夫婦、森田夫婦、そして角田さん。それに私を入れて総勢17人の参加者で俄然(ガゼン)賑わいました。
「皆さん、ちょっとこちらにおいでください。私、添乗員の泉と申します。これから11日間ですね、みなさんのお世話をさせていただきますので、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「それではですね、お預かりしていたパスポートをお返ししますが、中に挟んであるカードをなくさないように気をつけてください。いいですね。ええと、○○さん、XXさん・・・・・」

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2.プロローグ

2006年08月16日 | Weblog
【写真:ガリラヤ湖】

 文明という、ある意味では毒を飲まされている私たち、もう一度原点に戻って、自分を洗い流して見る必要があるのではないだろうか。自分はどこから来て、これからどこへ行こうとしているのか、もう一度それを見つめるために・・・。

 恵まれて1991年の夏と冬、1992年の秋と続けてイスラエルに飛んだ私。3度目の旅を終えて思うことは、ある意味で信仰は染物のようなものだということ。一旦染めた布地は必ず川で洗い流すでしょう。そうすると、余分な色が落ちて本当の色が出てきますね。
 
 信仰も同じように思いました。この辺にぶら下がっている自分の知識を、試練という川で洗い流さなければ、本当の信仰は見えて来ないような気がするのです。つまり、いっぱい学んだけれども、実践によって身についた本物の知識はどれだけか、またその知識によってどれだけ知恵を得たか、試練という川に入って初めて分かるのではないかと。

 時々、何ともいえない優しさと同時に、どこか一本凛として、甘えない心を持っている人にお目にかかることがありますが、そういう人は老若男女を問わず、考え方、生き方、あるいは物事の受け止め方が違うのだろうと思っていました。今回の旅で、その謎が解けたような思いです。

 主の導きを得て、試練という人生の荒野を越え、試練という人生の大河を渡り切った時、人は初めて神と共に住めるのかもしれません。今そのように新しい視野に立って考え、残りの人生を悔いのないものにしようと努力し始めました。

 ユダの荒野を走り、チンの荒野にたたずみ、またガリラヤ湖を横断し、さらに死海で浮きながら、思うことはただ一つ、ここでは神無しには生きていけないということです。命に代えてもなお信じられる、絶対的な何かが必要なのです。それゆえ、戦いの根底にあるものは常に自分たちの神であり、それに基づいた、曖昧さを許さない民族の習慣や絆ではないかと痛感するのです。
 
 しかしながら、アラブ民族とユダヤ民族の交錯する中で、「自分のルーツ、いや日本人のルーツはここにあり」、そんな気持ちを強くして帰国したのでした。

                         






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イスラエル旅行記 序

2006年08月16日 | Weblog

【写真:ゲッセマネの園】

 これから私の旅行記を公開します。

リュウマチの痛みに堪えかねて、とうとう四回も

イスラエルに飛んでしまいました。

もちろん貯金は限りなくゼロに近くなりましたが、

なぜかイスラエルにいる間は、

全く痛みを感じないという不思議を体験して、

現在はほぼ完治しています。

 毎日普通に生活できることへの感謝を込めて、

もう一度イエスの国を辿って見たいと思い、

ブログに参加することにしました。

これからよろしくね。夏子

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