ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

水素燃料電池自動車の開発は「コンコルド効果」なのか?

2019年03月28日 15時01分38秒 | なぜ?どうして?

 

排出されるものが水と熱だけであるとされる技術に「水素燃料電池」があります。その技術を自動車の動力に使うのが「燃料電池車」です。

水素を酸素と化学反応させてそこから電力をとりだして電気モーターを駆動させ車輪を動かして移動するという動力機械が燃料電池車ですね。排出物が水だけなのでとてもクリーンな乗り物と一般に思われています。

 
所で一般にあるエネルギーを得るのに幾つかの手段があるときには「効率の良い」方法を採ることが産業では優先されます。この点から「燃料電池車」の普及の見通しを素人なりに考えてみましょう。
 
今の技術で自動車の動力機構で普及している仕組みにはガソリンエンジンなどの内燃機関自動車、電力を動力とする電気自動車、そしてその二つを組み合わせたハイブリッド車があります。そして燃料電池車は第四の動力として期待されているのですが、電気自動車などに比べると一向に普及の兆しが見えてきません。それは何故なんでしょうか。車両価格が高額であることなどが普及を妨げている要因であるとされています。ですがそれだけなのでしょうか。確かに排出物が水だけなのでクリーンな自動車のように思われますが、ここで考えなければならないのは、目先の排出物のクリーンさだけに目を奪われてはならないという事です。それは最終的にはその自動車を動かすのにどれだけの資源が使われるのかの視点で考えなければならないという事です。
水素燃料電池車はまずエネルギー源としての水素を必要とします。この水素を造り出すのに何を原資とするのかを考えてみましょう。水素を得る方法として私たちがすぐ思い浮かべるのは水の電気分解による方法です。これは設備も大掛かりなものは必要では無く簡便な方法と思われますが、欠点があります。それは水素の製造には多量の電力を必要とすることです。他の水素製造技術として炭化水素化合物から水素を取り出す化学技術が考えられますがそれにはプラント設備が要ることになります。また、燃料の液体水素を自動車に搭載するのには高圧に耐える耐圧容器が必要になります。その製造コストは既存の自動車の燃料タンクの比ではありません。 さらに運用にかかわるインフラも整えればなりません。水素ステーションが各地になければ安心してお出かけする気にはなりません。
さて、このような課題がある燃料電池車ですが、政府主導の下、産業界はその普及を目指して取り組みを開始しています。技術の革新には多くの困難が付きまとうのはやむを得ないでしょうが、燃料電池車の開発と普及には見通しがついているとは言い難い状況であるように見えます。
ここでそのような先進技術がとん挫した例を思い出します。
それは夢の航空機と言われたコンコルドです。
コンコルドは飛行速度が音速の2倍にも達する商用旅客機として計画開発が行われました。多くの困難に関わらずヨーロッパとアメリカをそれまでの半分の時間で結んだことは画期的な事でした。ですがコンコルドはまもなく飛べない怪鳥となってしまいました。
その原因は経済的に引き合わない事でした。いくら早く飛べたからと言ってもそれに見合う経済効果をあげることが出来なかったのです。民間旅客機には安全にそして安く飛べることが必要条件だったのです。
 
さて、ここで話を燃料電池車に戻しましょう。
燃料電池車は排出物が水のみのクリーンな自動車なのは間違いないでしょうが、それの製造と運用に掛かるコストが莫大なものになるのなら、いまの電気自動車より多くのメリットがあるとは思えません。
「技術の経済性」を考慮に入れない技術はコンコルドの例を見るまでもなく社会には受け入れられないことになってしまいます。
 
「これまで掛かった労力と費用が無駄になるので、このプロジェクトは進めなければならない」とそれにかかわる人たちが思うのであればそれは「コンコルド効果」と揶揄されてもしょうがありませんね。
但しトヨタミライが車として駄目であると言ってるのではありません。
経済的に引き合う技術により燃料電池車が製造・運用できるのであればそれに越したことはありません。
 
 
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