ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

ハイテクとローテクの間(アイダ)

2018年01月06日 10時17分12秒 | ひまつぶし
現代世界の科学技術は目まぐるしく進展しているように見えます。
コンピューターや軍事技術の世界では、これまでにない進化をしているように見えます。

一方、家庭の主婦が食事を作るなどは、炊飯器の進歩などはありますが、やはり人が台所に立ち食材を調理してお皿に盛りつける行為などを見るとそんなにはハイテク化されているとは思われません。
家庭内にあるパソコンやテレビの録画機器は一昔前に比べると格段の進歩を遂げて来ているように見えます。

特に感心するのは今どきの録画機器の機能の多さです。
新番組を自動で探し出して、その番組を録画するのかしないのかを使用者に選択させる機能まであります。
少し前までは新聞などの番組欄で録画したい番組を使用者がひとつづつ選んでいた時代とは大違いです。
数週間先の番組まで機器が自動で録画の予約をしてくれるのは今や当たり前なのです。

この「新番組を探し出す」機能の仕組みはわかりません。
確かに便利な仕組みだあるように思えるのですが、実際はどうなんでしょうか。

探し出すまでは器械がやってくれますが、その番組が気に入らなければ録画をしないという選択は使用者にあります。
これって、便利なように思えるのですが本当にそうでしょうか。
録画機を操作することをその器械から強制されているとは思いませんか。

このようにハイテク機器はそれを使用する時に、機械から人に対して動作を強制されていると、感じることがあるのです。
パソコンに届くメールなどにも似たようなことがあります。
ネットで何かを購入した事があれば、その後それに関連した商品の購入を勧めるメールが、頻繁に送られてきます。
購入者の好みを誰かが知っているかのようなのです。
それだけなら、実害ではないのですが、その内、購入品が仮に恋人へのプレゼントだったりした場合、その相手まで特定されてしまうかも知れません。


さて、録画機器の話に戻ります。
本当にハイテクならば、使用者の意図をくみ取り、使用者が望む動作を器械自身が行ってくれても良さそうな訳です。
そこまでしてしまうと、人間は何もすることがありませんので、能動的な行動をすることをしなくなるかもしれません。

ハイテクは、ほどほどにしておくのが、人間のためには良いと思います。
ローテクでは生活に不便をきたし、ハイテクが進み過ぎると、人はバカになって行くだろうし、その中間の「ミドル・テク」が良いのだと思うのです。








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