1月の2日から3日にかけてみる夢を「初夢」と言っていますが、皆さんはどんな夢を見たでしょうか。
わたくしも何かの夢を見たように思うのですが、眼を覚ました途端にそれは記憶にははっきりとは残ってはいませんでした。
さて、今日の話題は人が持つ能力の中で、とりわけ特異な力と思われている「夢を見る」ことです。
他の動物も「夢を見る」ことができるだろうとする研究者もいるようですが、彼らが見た夢を検証する方法がない限りではそれは推測の域を出ていません。
人間の脳が夢を見るメカニズムの研究を述べることが、ここでのテーマではないので、興味を持たれた方は自身でお考え下さい。
ともあれ、ここでは人が夢を見ることが出来る動物であることを前提にします。
人が考え出した技術の中で近年、すざましい発達を遂げて来ているものにコンピューターとロボットの技術があります。
身近なところでは勤め人の給与の計算や将棋や碁やチェスの対局では人間の能力を上回る能力を発揮していることなどです。
今のスーパーコンピューターは天気予報のように膨大なデーターを短時間に計算して将来を予測する力では、人間の力をはるかに上回るものを持っているのです。
1月2日のBS放送で「最後の講義」という番組を観ながら私は思ったことがあります。
「最後の講義」とは人が最後に残しておきたいメッセージを講義として行うという試みなのです。
その番組内でアンドロイド工学の世界的権威とされている石黒浩氏が講義をしました。
そこでの講義の内容は、彼独自の歴史観、文明観が垣間見られた衝撃的な内容でした。
人間は将来は、アンドロイドになってしまうであろう、とも発言されていました。
にわかには信じがたい文明観なのですが、今はそのことには立ち入らない事にします。
「定義された仕事において、人はロボットには勝てない」と石黒浩教授は言う。
ここで、わたしたちが注意を向けなければならないのは「定義された仕事」という事の内容なのです。
限られた領域内ではAIは自律的な判断が可能になっているのは将棋の対局でAIの方が勝利している事でもわかります。
ロボットはそのような「定義された仕事」においては優れた能力を持っています。
ですがロボットは自らの経験にはない事柄で自律的思考や夢を見るのでしょうか?
このことはSF映画でスタンリー・キューブリックは「2001年宇宙の旅」で私たちに問いかけました。
わたくしはどんなに技術が発達しても、「夢を見ること」がひとに残された最後の砦であるように思われたのです。
夢を見ることが「定義された仕事」とは思いたくはないのです。
わたくしも何かの夢を見たように思うのですが、眼を覚ました途端にそれは記憶にははっきりとは残ってはいませんでした。
さて、今日の話題は人が持つ能力の中で、とりわけ特異な力と思われている「夢を見る」ことです。
他の動物も「夢を見る」ことができるだろうとする研究者もいるようですが、彼らが見た夢を検証する方法がない限りではそれは推測の域を出ていません。
人間の脳が夢を見るメカニズムの研究を述べることが、ここでのテーマではないので、興味を持たれた方は自身でお考え下さい。
ともあれ、ここでは人が夢を見ることが出来る動物であることを前提にします。
人が考え出した技術の中で近年、すざましい発達を遂げて来ているものにコンピューターとロボットの技術があります。
身近なところでは勤め人の給与の計算や将棋や碁やチェスの対局では人間の能力を上回る能力を発揮していることなどです。
今のスーパーコンピューターは天気予報のように膨大なデーターを短時間に計算して将来を予測する力では、人間の力をはるかに上回るものを持っているのです。
1月2日のBS放送で「最後の講義」という番組を観ながら私は思ったことがあります。
「最後の講義」とは人が最後に残しておきたいメッセージを講義として行うという試みなのです。
その番組内でアンドロイド工学の世界的権威とされている石黒浩氏が講義をしました。
そこでの講義の内容は、彼独自の歴史観、文明観が垣間見られた衝撃的な内容でした。
人間は将来は、アンドロイドになってしまうであろう、とも発言されていました。
にわかには信じがたい文明観なのですが、今はそのことには立ち入らない事にします。
「定義された仕事において、人はロボットには勝てない」と石黒浩教授は言う。
ここで、わたしたちが注意を向けなければならないのは「定義された仕事」という事の内容なのです。
限られた領域内ではAIは自律的な判断が可能になっているのは将棋の対局でAIの方が勝利している事でもわかります。
ロボットはそのような「定義された仕事」においては優れた能力を持っています。
ですがロボットは自らの経験にはない事柄で自律的思考や夢を見るのでしょうか?
このことはSF映画でスタンリー・キューブリックは「2001年宇宙の旅」で私たちに問いかけました。
わたくしはどんなに技術が発達しても、「夢を見ること」がひとに残された最後の砦であるように思われたのです。
夢を見ることが「定義された仕事」とは思いたくはないのです。
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