ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

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フォークランド紛争から何を学ぶか?

2019年09月09日 18時27分10秒 | 勉強

第二次世界大戦後にイギリスが本格的に行った戦争が2件あります。一つはスエズ動乱(スエズ戦争、第二次中東戦争とも呼ばれる)であり、もう一つは「フォークランド紛争」です。アルゼンチンのフォークランド諸島の領有をめぐってイギリスとアルゼンチンとの武力紛争が「フォークランド紛争」と言われるものである。

その紛争は1982年に起こった。本国からはるか離れたその地にイギリスは大規模な戦闘部隊を送りアルゼンチン軍を撃破して、自国の権益の確保に成功したのです。詳しいいきさつはウィキペデアなどに譲ることにして、イギリスがそのときにとった行動の根底にあったものは何かを本日は考えてみたい。

その前に少しだけイギリスの対外政策のおさらいをしてみましょう。
第二次世界大戦の前半でイギリスはドイツからの攻撃に苦しめられていた。チャーチルはアメリカがヨーロッパ戦線に参戦して、ドイツなどの枢軸国への共同戦線をとることを望んでいた。しかし当時のアメリカは「孤立主義(モンロー主義)」を掲げており、自国が武力攻撃されなければヨーロッパでの戦争に参戦する気はなかったのである。ところが日本の真珠湾攻撃を契機にヨーロッパでの戦争にアメリカも参戦することになった。チャーチルは日本軍の真珠湾攻撃を知ったとき、小躍りして喜んだと言われている。それ以降、連合国はまずイタリアを降伏させ次にはドイツと日本に勝ったのである。
またイギリスはアメリカでの原爆開発を後押しすることを積極的に行っている。チューブ・アロイズ と呼ばれる計画がそれである。イギリスは自国が有する原爆開発に関する技術資料と共に科学者をマンハッタン計画に送り込んでいるのである。チャーチルのそのときの考えはナチスドイツに負けないためには何をすれば良いのかの一点だったように思われる。ヨーロッパ大陸の諸国がナチスドイツに蹂躙されるのを見てイギリスはあんな風にはなりたくない、と思う心情は理解できる。「大英帝国の誇り」が許さなかったのだ。

話を「フォークランド紛争」に戻せば、イギリス本国から遠く離れたアルゼンチンまで自国軍を派遣して自国の権益の確保を目指したのである。遠く離れたアルゼンチンの島がイギリスにとっての失いたくない橋頭保であったのだろうか、と言う疑問が湧いてくる。フォークランド諸島がイギリスの利益になる島であるのならそれは何であろうか。ひとつ考えられるのは海洋資源があげられるだろう。排他的経済水域の確保は多大な経済的利益を得ることがある。フォークランド諸島周辺には利用可能な水産資源があるかもしれない。でもイギリスにとっての最も大きな利益は「そこがイギリス領であったこと」であろう。どんなに小さな島であってもそこが「自国領」である限り、「領土を侵害する」ものには断固たる措置をとるという「意地」をみる事が出来る。
このようにイギリスは自国のためになることならなりふり構わぬ政策をとってきている。さすが地球上でかって最も多くの植民地を有した「大英帝国」である。昨今のイギリスのEU離脱を見てもそんなことを感じるのである。
さて日本と英国は「日英同盟」の間柄であったことがあった。かたやヨーロッパの島国でありそして日本はアジアの島国なのだけれども、その対外姿勢には大きな違いがあるように思われる。



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