ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

「非常識」がヒトの生活を変えてきた?

2018年09月03日 16時54分56秒 | 歴史と風土
私は家人からよく言われる言葉があります。
「あんたって非常識ね、そんなことは常識で判断しなさいよ」と。
自分では「非常識人」ではないと思っているのですが、よそから見ると常識人ではないと見られることがあるのでしょう。そんな時、若い時には腹も立ったのですが、今では聞き流すようにしています。ですから、また同じことを言われるのでしょう。

さて、ここで「常識にとらわれていた人」と「常識にとらわれていなかった人」のどちらが人類の文明の発展に寄与したのかを考えてみます。
発明家のエジソンを思い起こしましょう。エジソンは変人だったと言われています。子供のころの学校では「なぜ?」を連発する問題児であり先生を困らせた挙句、3か月で小学校を放校になったと言われている。ですが、彼の発明した数々のモノはその後の私たちの生活には役立つって来ているのです。
「常識にとらわれた考え方」から抜け出したからこそ、いろんな発明や発見が出来て、ひいてはそれが文明の発展に寄与して来たのではないでしょうか。

さて、現代人の祖先はホモサピエンスです。
ホモサピエンスに先立って存在していたネアンデルタール人などの「旧人」とホモサピエンスとの大きな違いは何だったのでしょうか?ホモサピエンスが生き残り、ネアンデルタール人が滅びたのはどうしてなんでしょうか?
温暖な地域で生まれた彼らが寒冷地を含めて地球のあらゆるところに進出できたのはなぜなんでしょうか?寒さを防ぐ方法を思いついたからとも言われています。人口が増えて行くのに対処する有効な食料摂取の方策を見つけ出したからとも言われています。種の存続が問われる危機的な状況を乗り切る知恵と勇気を持ち合わせていたと考えることが出来ます。
ホモサピエンスが、進取の気概をそれまでの旧人より多く持っていたことが大きかったのでしょう。

環境の変化に対してネアンデルタール人は「保守的」でありホモサピエンスは「革新的」であったためでしょう。「常識」という観点から見るとネアンデルタール人は「常識人」で「ホモサピエンス」は「非常識人」だったことになります。


ここで少し話題を変えましょう。
飲み屋さんでのお客さん同士や店の人との会話を聞いていると、そのほとんどの内容がきのうや数日前に、テレビのワイドショーで流されていたことと変わらないのに気づかされます。
「うーん?」と首をかしげざることがしばしばです。テレビの解説者の誰それの意見なのだが、と言うように前置きしてモノを言う人など、飲み屋さんではいないのです。
情報番組で流されていることが、さも飲み屋に来るお客本人の意見であるかのように、皆さんが話をしているのです。
おいおい、今話した内容はきみが現地に行って聞いてきたことなのか、きみが直接当人に会って聞いたことなのか、と言いたくなります。

情報が垂れ流しにされ、その情報の中身を検証する手段を持たないという事は恐ろしいことではないでしょうか。
検証する手段を持たない側がそれを鵜呑みにすることがどのような結果を生み出したのかは歴史が教えてくれます。「大本営発表」が大ウソのかたまりであり、そのことを戦後に「一億総ざんげ」したことなど、もはや覚えている人は少数になってきています。

情報を受け取る側と発信する側との結びつきは、流される情報が多くなるほど、希薄になっているように思われます。
ですから、市民の一般人は今すぐテレビのワイドショーなどの「常識的番組」を見るのはやめましょう。
そして、小中学校時代の社会の教科書でも開いて、そこに書かれていることが真実であったのか、教科書に書かれなかったことがほかにもあったのではないかと、自分の眼と手と脳で検証することを始めてみましょう。
そうすると「世界は違って見えてくる」かもしれません。


現代人の我々はあらゆることに好奇心を持っています。この好奇心は先祖であるホモサピエンスから受け継いだ遺伝子なのかもしれません。先祖から受け継いだ遺伝子を有効に使いたいものです。

「非常識」がヒトの生活を変えてきた?

そんなわけで、きょうの記事のタイトルはいささか挑戦的なタイトルにしたわけです。

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