ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

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葛飾北斎はサブカルの代表者であった?

2019年04月22日 21時50分29秒 | 美術 アート
上記の表題は何のことと思われた方もおられたと思います。
江戸期の浮世絵でなじみのある作家を一人を挙げよと言われれば多くの人は葛飾北斎の名を挙げると思われます。それほど北斎は私たちにとってはなじみのある作家です。美術の教科書やポスターなどで富岳三十六景と富岳百景を目にしたことのない人はいないほどですね。
きょうは北斎をはじめとする江戸期の「浮世絵」について考えてみたいと思います。
ここで断っておきますが「浮世絵」は「錦絵」の一つの分野に付けられた名で、主に役者絵や花魁などの世間の風俗現象(これを浮世と呼ぶ)を題材にしたものを言い、それ以外の風景画や静物画は「錦絵」と呼ぶのが正しいと思いますが、ここではそれらを総称するものとしての「浮世絵」と呼ぶ通説に従います。

浮世絵が江戸時代の中期以降において爆発的に広まったのにはどのような背景があったのでしょうか。
当時の浮世絵の制作過程を振り返ってみましょう。浮世絵と言う絵画は版画と言う印刷技術により発展しました。その製作過程は原画を描く絵師とそれを版木に彫刻する彫師とそれに彩色を施す摺り師との三者の分業によって成り立っていました。そしてそれらを統括するものとして版元があったのです。
版元は売れそうな題材を企画して絵師にそれを注文します。出来上がった原画を元に彫師は原画の色分けに従い数種の版木を彫ります。摺り師は原画の色分けに従い数回に分けて一枚の紙にそれを印刷します。
役者絵であればある芝居を見た人はお気に入りの役者さんを描いた絵を記念として手に入れたいと思いますね。富士山を見たことのある人は富士山を違った視点から描いた絵をほしがったことがあったかもしれません。
版元はそれらの消費者の消費動向を分析し何が今度は売れるであろうかと企画を立てます。

話は変わりますが、私の近所に小料理屋さんがあります。そこで使われている箸袋に富嶽三十六景の絵柄が使われているのです。これです。
今ではこの箸袋に使われている画像は刷られたものをスキャンして絵柄にしたコピー品なのですが、江戸ではお上りさんが郷里に持ち帰る江戸土産に使われたのでした。それは現物の「刷り物」でしたので郷里に持ち帰れば、さぞかし自慢できたことでしょう。そんなわけで浮世絵は江戸っ子のみならず田舎住まいの庶民にとっても文化の香りのするモノだったのでしょう。
そのようにして浮世絵は江戸を訪れた庶民の「江戸土産」として地方に持ち帰れられて日本全土に普及していきました。「浮世絵」は美術的絵画としての価値よりも「江戸土産」だったのです。
「浮世絵」は今で言えば東京土産に「東京ばなな」や「虎屋の羊羹」を私たちが買い求めるのと同じといえるでしょう。
今で言えばアイドルグループのDVDを買い求めるのとおなじ様に当時の庶民は「富嶽三十六景の刷り物」を求めたのでしょう。
そんな意味では北斎らの「浮世絵」は町人階層に好まれたサブカルチャーだったのかもしれません。






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