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■■■2001年12月3日を振り返る■■■
2001年12月3日 (月)
昨夜はぴ~ちが落ち着いて眠りについてから
私も眠ってしまった。
朝、目覚めるとぴ~ちが、コタツの外に出ていた。
「おはよう、ぴ~ち」 っと声をかけると
ほとんど喋る事のなかったぴ~ちがいつものハスキーボイスで
「ひゃ~」 っと返事してくれた!
なんか表情も穏やかで良くなったのかと思ってぴ~ちの体を調べた。
でもやっぱり歯茎は白っぽいし、立たせるとしんどそうだった。
今日は、棚卸しで仕事を休みにくかったのと
これから本格的になるであろうぴ~ちの看病の為に
仕事を休職(ダメなら退職)の相談をする為
病院で看ててもらい、出勤することにした。
体重は変わらず5.7kg。
病院で、ぴ~ちは診察台の上で久々に大きな声で抵抗の雄叫びをあげた。
前回の血液検査の結果、やはり貧血が進み
腫れていた腎臓の影響か腎機能の数値もはねあがっていた。
貧血でふわふわしてるけど
恐らく痛みはないだろうとの事でそれが少し救いだった。
赤血球を作れないので、兄弟であるなちからの輸血や
強制的に食事を体に入れる為のチューブを付ける事など
残された対処療法を説明された。
どれも「治療」ではなく、「延命」の為の処置だった。
辛くて、ぴ~ちを撫でながらうつむいて話をきいていた。
「 なちちゃんからの輸血にしても一時しのぎで
その血が足りなければ、他から猫ちゃんを集めて来て・・・」っと
話す先生の言葉がぐっと詰まった。
先生の顔は見れなかったけど先生も辛いんだ。
心で泣いてくれている・・・。
それが伝わってきて、こらえてた涙が溢れだし
初めて病院で泣いてしまった。
とにかく今出来ることをお願いして9時半頃
病院でぴ~ちと別れた。
出勤して間もなく、携帯が鳴った。
血液検査の結果、予想外に悪いので
説明した以外の治療もするという内容だった。
連絡を受けてからは仕事どころぢゃなく
帰らせてもらおうと思ったその時、 また電話が鳴った。
「予感」がした。
再び、受けた報告はぴ~ちの最期を知らせるものだった。
先生はとてもゆっくり話し、私はその場で泣き崩れた。
そしてすぐぴ~ちを迎えに行った。
バイクで向かう道中も涙が止まらず、
ヘルメットの中でしゃくりあげて泣いていた。
病院へ着くと、ぴ~ちは白い綺麗な箱の中で眠っていた。
腕に緊急治療した留置のテーピングをされてたけど
まだ温かくて、眠ってるようだった。
一度、嘔吐があったけど、最期は苦しまずに
保温ボックスの中で旅立ったそうだ。
苦しまずに・・・
例えそれが先生の優しい嘘でも
騙されておきたかった。
10年以上もぴ~ちを診てくれた先生は
「長いつきあいだったなぁ、ぴーたん。よく頑張った!」っと
ぴ~ちの頭を撫で回し、頬を寄せて別れを言った。
会社に休職依頼する前に旅立つなんて、、、
これ以上心配かけたくなかったから
ぴ~ちは少し早く天国へ行ったんだって友達に言われた。
なんて親孝行な奴なんだ! っと思ったけど
こんなに哀しませるなんてやっぱり親不孝だぞ!
家に着いて、まだ毛が生え揃ってない術後のお尻が寒くないように
貰ったブランケットでくるみ
ずっとずっとず~っとぴ~ちを抱いていた。
なちもぴ~ちを舐めて挨拶をしていた。
チャームポイントの青い寄り目はもう開かない。
ハスキーボイスももう聴けない。
走ると揺れるお腹の肉も、
ご飯を食べる時のはぐはぐって声も
声より大きなゴロゴロも
ジャンプに失敗してずっこける瞬間ももう想い出になってしまうのか。
いつも仲良しだったぴ~ち&なち
9月24日に、足の異常が見つかり
病理検査の為の肉球切除手術
その後のシッポと右足切断手術。
注射と薬とサプリメント。
通院の恐怖と腫瘍の痛み。
カラーを付けた不自由な生活。
我が子ながら、ぴ~ちは本当によく頑張った。
支えるつもりが、いつも支えられていた。
病院で送ってしまったのは
ただ一つの心残りと言えるのかも知れないが
いつだってめいっぱい愛した事で、悔いはない。
溢れる愛と、想い出をくれたぴ~ちに
どんなに感謝してもおいつかない。
感謝の気持ちとお礼を何度も何度も何度も伝えた。
哀しくて仕方ないけど、まだ大事な勤めが残ってる。
ちゃんとぴ~ちを天国へ送る準備をしてあげなきゃ☆
涙と鼻水をたらしながら・・・
痩せてもまだ大きなぴ~ちが窮屈にならないように
CDラジカセの箱を改造して
花模様の包装紙を貼り
ブランケットを敷いて
これでどう?っとぴ~ちに聞いてみた。
まるでいつもの昼寝をしてるように眠ってる。
今にもアンモニャイト姿にとぐろを巻いて
大きなゴロゴロが聴こえてきそう。
心配し、励ましてくれた人達にも報告しなきゃと思ったけど
涙で字が見えなくてなかなかキーが打てなかった。
短い言葉で旅立ちの報告と感謝の気持ちを記した。
ずいぶん時間が過ぎ、温かくてぐんにゃりしてたぴ~ちも
私の腕の中で、冷たくなっていった。
本当に死んでしもたんか・・・。
夜、ぴ~ちに会いに妹や友人達が来てくれた。
ガンとは思えない穏やかで、綺麗なぴ~ちに驚いてた。
実際、ぴ~ちは凄く毛艶も良く
つるつるした触り心地で
本当にガンで苦しんだとは思えない程だった。
そして優しく撫でながら、ぴ~ちの冥福を祈ってくれた。
遠くて来れない人達からも、メールや電話で御悔やみをいただいた。
ヤマブシタケの相談員さんからもぴ~ちの様子を尋ねる電話があり
天使になったと話すととても残念がってくれた。
ネットに繋ぐと、沢山のメールやカキコミがあった。
どのメッセージにも胸があつくなり
涙でなかなか読めなかった。
みんなの言葉をぴ~ちに伝え
こんなに愛してもらって
愛に包まれて旅立つぴ~ちを幸せに思うし、誇りに思う。
夜、ベッドで自分の隣にぴ~ちを寝かせ
撫でながら横になった。
その時、シーツの下がガサガサ鳴った。
「そっか、昨日吐いた時に、新聞敷いたんやっけ」
シーツに赤い小さな血の染みが見えた。
「あぁ、シッポから血が出たときのか。。。」
あぁ、まだぴ~ちが居る・・・
今朝、窓から入る朝日を浴びて
ぴ~ちがとても穏やかな表情をしていた。
病院へ行く前、なぜか写真を撮ろうと思い、何枚か撮った。
最期の写真になってしまった。
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2011年11月24日(木)に想う
ぴ~ちの体があんなに早く天使になる準備をしてたなんて・・・。
通院用キャリーに入れる時に「嫌にゃ~」って感じで泣いたんだけど
もしかしたらぴ~ちは自分の体の事分かってたのかぁ。
旅立ちが近いこと。
病院へはもう行きたくないって言ってたのかなぁ。
あの日以来、毎年迎える「棚卸し」が憂鬱でトラウマになってしまった。
右足肉球の異常が発覚してから2ヶ月と少し。
闘病記を振り返ると、辛い想い出がいっぱい詰まり
あの時と同じように決断しなければならないように錯覚し
思い出して書くだけども不安や恐怖に包まれ
そしてぴ~ちが恋しくてたまらなくて
毎回書きながら泣いていた。
ぴ~ちの闘病記は思い出すと辛い記憶ではあるけど
決して忘れられない、 忘れたくない大切な記憶でもある。
ぴ~ちの軌跡は10年経った今でも
私の心の中でセピア色になることなく
未だカラーで鮮明に残っているのを実感した。
時が巡り巡っていつか再びぴ~ちと出会えるなら、、、
また同じ運命が待ってるとしても、、、
それでもやっぱりぴ~ちにめぐり逢いたい。
今も変わらず大好きなぴ~ち
次回からの《肉きうDiary》は、その後のDiaryを綴ります。