切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

藤の花 勧修寺 京都市山科区・・・ここはいつも期待に応えてくれます

2019-05-20 22:46:30 | 撮影

勧修寺



『勧修寺
 真言宗山階派の大本山で、平安中期の九〇〇年に醍醐天皇の母・藤原胤子を弔うために、胤
子の母の実家である宮道家邸宅を寺に改めたのが始まりといわれる。
 天皇の祖父に当たる藤原高藤の諡号をとって勧修寺と名付けられ、のちに醍醐天皇の勅願寺
となった。
 代々法親王が入寺する門跡寺院として栄えたが、文明二年(一四七〇)に兵火で焼失し、江戸
時代に徳川家と皇室の援助により再興された。本堂は、霊元天皇より仮内侍所を、書院(重要
文化財)と宸殿は、明正天皇より、旧殿を賜って造られたといわれ、本堂内部に本尊・千手観音
像を祀っている。
 書院前の庭にある大きな傘を持っ燈籠は、水戸黄門で知られる水戸光圀の寄進と伝えられ、
「勧修寺型燈籠」と呼ばれている。その周りには樹齢約七百年と伝えられるハイビャクシンが植
えられている。
 氷室池を中心とした優美な池泉回遊式の庭園は、平安時代の作庭と伝えられ、夏の睡蓮や蓮
で有名である。
 京都市
 (駒札より)



 勧修寺は真言宗に属する寺院で、昌泰3年(900)に創建されたと伝え、鎌倉時代に後伏見天皇の皇子寛胤法親皇が16世として入寺されてからは門跡寺院となった。江戸時代には徳川家綱・綱吉の帰依を受け、伽藍の整備が進められた。
 現在、境内南寄りに氷室池が大きく広がり、その北に書院、宸殿、本堂が並んでいる。
 晝院は、延宝元年(1673)より建てられた後西院御所の旧殿を、貞享3年(1686)に下賜されたものである。平面は門跡の御座の間であった御座所、対面所であった広間を中心に小室や鞘の間、広縁が配され、なかでも御座所の西桜棚は有名である。この建物は院御所の建築遺構として貴重であり、重要文化財に指定されている。
 宸殿は、延宝4年造営の明正院御所御対面所を、元禄10年(1697)に下賜されたものである。内部は南端に上段の一の間を配してその北に二の間、三の間を続け、一の間には幅2間の床と1間の棚、そして付書院を備えた書院造の構成になっており、院御所当時の姿を良く伝えている。
 本堂は、寛文2年(1662)造営の仮皇居内侍所仮殿の旧材を用いて、同12年に潅頂道場として建築されたものである。
 宸殿は院御所の建築遺構として貴重であり、また本堂は江戸時代中期における伽藍整備の一連のもので、ともに昭和60年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。
 京都市
 (立て札より)



『京都市山科 勧 修 寺

 勧修寺は昌泰三年(西暦900年)に醍醐天皇が創建され、千有余年の歴史があります。
 庭園は「勧修寺氷池園」と呼ばれ、「氷室の池」を中心に造園されていて、且つ周囲の山を借景し、即ち庭の中に前方の山を取込んで庭の風景が造られ、広大な自然美を楽しむ「池泉
庭園」です。古く平安時代には、毎年一月二日にこの池に張る氷を宮中に献上し、その氷の厚さに依ってその歳の五穀豊凶を占ったと言われ、京都でも指折の古池になっています。
 書院の前庭にある灯篭は水戸光圀公の寄進で、「勧修寺型灯篭」と言い、『水戸黄門さま』らしいユーモラスなスタイルを以って有名なものです。又この灯篭を覆うように生えている
植樹「ハイビヤクシン」は、「ひの木科」の常緑潅木で樹令は750年と言われ、我が国無双の名木として名高いものです。
(パンフレットより)



[京都市指定・登録文化財]
『寝殿:真言宗の寺院。宸殿は延宝4年(1676)造営の明正院御所御対面所を元禄10年(1697)に移築したもので,上段の一の間は書院造の構成をる。本堂は寛文2年(1662)造営の仮皇居内侍所仮殿の旧材を用いて,同12年に潅頂道場として建築されたものである。』
『本堂:天台宗の門跡寺院。本堂(寛文6年・1666)は徳川家綱の援助による。全体に漆塗や彩色,彫刻が施されており,唐門・仁王門とともに日光東照宮の諸建築に通じる雰囲気をもつ。境内の東寄りには17世紀後期造営の宸殿や使者の間・玄関など門跡の住居施設が並ぶ。
(京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課 公開資料より)

 
 山科区の勧修寺へ行く。
 今までに何度ここを訪れたことか。多過ぎて回数も分からない。今回の目的は「藤の花」の撮影だ。大概は藤棚が作られて、そこにブドウのようにぶら下がって咲く花だが、そういった意味での手入れの多さから、藤棚が見られる名所というのはほとんどない。ネットなどでも調べたが、掲載されていた寺はほんの少しだった。
 トップに来ていたのは宇治市の平等院。確かに藤棚の規模は他よりも少し大きめだ。去年か一昨年にこれをすでに撮影している。どこの寺だったか忘れてしまったが、ネット情報にも載ってないお寺で藤棚を見たことがある。もちろん撮影した。このブログにも掲載したはずなので、どこかにあるはずだ。
 勧修寺はその意味では単に桜や紅葉だけではなく、一年を通して様々な綺麗な風景を見せてくれる。まさしく「困ったときの勧修寺」といった感じだ。
    
 いつものように境内に車を入れて庭園の入り口で安価な拝観料を払う。この日はたまたま文化財の特別公開日だった。そのこともあってバスツアーの団体さんも含め、かなり人が来ていた。私自身は以前に堂内に入って全部見学しているので、この日はパス。重要文化財の書院の中にも入ることができる。文化財の主なものは見事な襖絵だ。私自身は襖絵にはさほど興味がわかず、どうしても様々な様式美を見せる仏像ということになる。まぁしかしこの日はあくまでも庭園の花々が目的。
 庭園全体は桜もすっかり終わって、瑞々しい緑の色がこれまた見事だ。庭園を回る時はいつも同じ順路を巡って歩く。シーズンごとに同じポイントで撮影しても、雰囲気が違うので相応に楽しむことができる。本堂や寝殿なども文化財指定を受けているので、それらの建物を背景に入れながら緑の葉を入れて撮ると、写真全体が豊かな雰囲気になる。
         
 植物には全く疎いので、著名な花以外は名前は知っていても、どの花がどの名前なのかがほとんど分からない。一年中真っ赤な葉を咲かせている木があるが、これは多分楓ではないかと思っている。庭園のあちこちにまた別の花も咲いており、そして広い池の中にも水芭蕉なのか蓮なのかよくわからないが、綺麗な花が水面から出ている。池をぐるっと回ったところで藤棚が見えてきた。
 藤棚の大きさははっきり言って小さい。それでもネット上には藤の花の名所として掲載されている。薄紫の花が密集して垂れ下がっており、棚が小さいとはいえども、やはり藤の花らしい独特の美しさが感じられる。やはり皆さん庭園に来た人は、この藤棚を取り囲んで盛んに写真を撮っている。人が写り込まないように撮るということに気を遣っているが、その場面を待っていたのではかなり時間の無駄となるので、少しは仕方ないと思う。こうして一番の目的である藤の花を撮ることができて、一定の満足感を得ることができた。
         
 勧修寺は先にも言ったように、年間を通して外れがないと言うか、ゆったりと心を落ち着けて過ごす事ができるなかなかいい場所でもあり、庭園内を自由に歩き回れて、ベンチや芝の上に座ってじっくり池と背後の木々を見つめるのも、とても良いのではないかと思える。

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