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八房大明神
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八房大明神はJR山陰線円町駅から東へ約1km ほどのところにある。幹線道路に面した中規模病院の裏側にあたる。ビルや建物に挟まれた狭い敷地に、赤い鳥居と祠があり、鳥居の額にはおそらく祭神と思われる「 白永辨天・白龍辨財天・八房大明神」と言う三神の名称が記されていた。それ以外にはまったく何の情報もなく、一切不明。そもそもいつからこの地にあったのか、あるいは他の地にあったものが何らかの理由でここに落ち着いたのか、いつ頃の創建なのかも全くわからない。
名前を頼りに調べてみる。八房、白永、白龍についても特に有力な根拠になるものは見つけられなかった。一応名称は「八房大明神」なので、明神さんが中心となっていることになる。明神というのは元々は様々な神に対する尊称であり、平安時代の書物に初めて現れる。そうしたところから神社神道の神を表すものであり、日本独自の呼称ということになる。
ともに名前が並べられている弁天や弁財天というのは、古代インドにおける水の女神サラスバディーという美しい女性の神が、古代仏教に取り込まれそ、れが中国や朝鮮半島を通して日本にもたらされたものだ。しかし平安時代における神仏習合の考え方から、同時に神道にも取り込まれ、こうして仏教及び神道ともに関連のあるものとなった。神道から見ればやはり神だし、仏教から見れば神というものはもともと存在しない。あくまでもお寺の鎮守社の中に存在する神道の神ということになる。
こうして弁天、あるいは弁財天というのは神社だけでなく、お寺にも広く存在する神となった。元々インドにおける神としての扱いとはかなり違った、日本独自の形態となったといえる。いわゆる七福神の中にもこの弁財天は入っている。当時から水の神ということで、池や川辺、海辺といったような場所に多く祀られていた。また川辺に祀られていたものは川の流れの音が美しく響くので、そこから音楽の女神であり、また同時に芸事の神としても信仰されるようになったとされている。
この場所の周辺にはそのような水に関わるような場所は何もない。そういった意味ではここに弁天さんがある理由がないということになる。やはり何らかの理由で他の場所にあったものがここに移されたのか、あるいは平安の昔、この辺りに沼地みたいなものがあったのか、あるいは川の流れがこのすぐ近くにあったのか。そういった可能性なども考えようと思えば考えられることになる。
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