切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《1964年10月10日 第18回東京オリンピック大会》

2020-10-10 23:51:00 | 社会




 1010日は1964年(昭和39年)東京オリンピック開会を迎えた日だ。

 実際には東京オリンピックはもっと以前に計画されていたが、日中戦争の激化とともに東京オリンピックは中止となり、1945年の敗戦から約20年、ようやく日本としては悲願の東京オリンピックが実現したと言うことになる。この1年前、日本とアメリカの間で世界初の通信衛星を介した長距離のテレビ実況中継が実現した。そして記念すべきその当日に、アメリカ合衆国大統領John F. Kennedyが暗殺された。そういった意味では64年の東京オリンピックと言うのは、いろんな意味で曰く付きとも言えるオリンピックであっただろう。

 当時私自身は中学生。通っていた中学校は京都市内でも12を争うほどの大荒れの学校で、今から思うとよくぞあのような学校で3年間を送ったのかと改めて驚くほどだ。もちろんそれ相応の明確な理由はあった。学校の名誉のために言っておくが、ずっと後になって教育実習に行ったときにはすっかり様子が変わっており、落ち着いた学校になっていた。その後も何かの事件で母校が出てきたと言う事は無い。先生方もよく努力されたんだろう。

 さて東京オリンピックを迎えると言うことで、貧乏な我が家にも確かこの頃だったか、かろうじてテレビと言うものがやってきた。当時は感じなかったが、今考えるとあれほどの貧乏状態の中でどうやってテレビと言うものが買えたのか、不思議でたまらない。既に世の中ではカラー放送が始まっていたが、購入したのはもちろん14型のブラウン管型白黒テレビだ。14型と言えば今の標準のノートパソコンの画面よりも小さい。ちょっと調べてみたが、この頃白黒テレビの値段は大体70,000円前後。もちろん当時の価格であり今現在の貨幣価値では、これの78倍位にはなっているだろう。おそらく月賦で買ったものと思われる。当時はローンと言わずに月賦と言っていた。

 もちろん東京オリンピックだからといって学校が休みになるわけではなく、実況中継で見た記憶はほとんどない。おそらく昼間に予選などが行われ、晩に決勝が行われると言う形だったと思う。いずれにしろ家のテレビでオリンピックを見た記憶がほとんどない、と言うのは一体どういうことなんだろうか。

 ずっと後年になってから、テレビの特集番組で東京オリンピックを扱ったものとか、東京オリンピック記録映画を見た記憶の方が強かったのかよく分からないが、そんなものかもしれない。うっすらと覚えてるのは開会式の日が確か休日で、日本選手団が最後にきっちりとした隊列を組んで入場してきたことだ。他の外国選手団は一応隊列らしきものを組んでいるが、腕振りなどあるいは足の動きなど全然揃っていない。日本だけがそういった意味ではすごく目立っていた。あと記憶にあるのは、開会宣言を昭和天皇が行って「東京オリンピアード」と言う表現を使ったことだ。なぜオリンピックと言わずにわざわざオリンピアードと言ったのか、意味はわからなかった。

 日本での大会と言うことで、初めて柔道が競技種目に入ったが、当然次々に金メダルを取った。しかしテレビで見た記憶は全くと言っていいほどない。競技で覚えているのは女子バレーボールの日紡貝塚のメンバー中心のチームが決勝でソ連を破って金メダルを取ったと言うことだ。それ以外のところは少なくともテレビについては記憶がない。



 後日というか後年というか、これもよく覚えてないが、オリンピックの公式記録映画としてオリンピック委員会は、世界的に有名な市川崑監督に依頼し記録映画を撮ってもらった。題名も「東京オリンピック」と言うもので、もちろん映画なのでカラーだった。しかもこの映画の演出が過去のオリンピック映画のものとは随分違ったようで、私自身もかなり強烈な印象を持って見たことを覚えている。市川崑監督がどこに焦点を当てたのか。明らかに競技における勝ち負け、金メダルといったものではなく、有名であれ無名であれ、参加している選手個々人の「人間」に当てていたのだ。もちろん日本が金メダル16個取ったと言うことで、いくつかの金メダルシーンが撮られてはいたが、圧倒的に印象に残っているのは男子マラソンにおけるアベベの走行シーン。前回ローマ大会で裸足で金メダルに輝いたアべべがオリンピック2連覇を目指して、今回はシューズを履いていたがただひたすら黙々と走るシーンを、スローモーションで捉え口から出るよだれがゆっくりと流れていくシーンなどを見ていると、1人の走る哲学者かのような、これはもう競技と言うよりは1つの美学とも言える、極めて訴求力の強いシーンとなったのだ。



 やはりこの映画を見たために、テレビの実況中継の印象はすっかり吹っ飛んでしまったのかもしれない。それほど市川崑の演出の凄さに驚かされたものだ。後に私自身1人の映画ファンとなるが、この映画がそのきっかけを作ったものかもしれない。今でも映画の各シーンを強烈に覚えている。ところが政府が依頼しておきながら、完成したこの映画を当時の政権の大臣たちが見て激怒したと言う。即命令が出て、こんなものは公式記録映画ではない、改めて東京オリンピックの公式記録映画を作り直せ、と命令といってもいいような事態になったのだ。なぜなのか。理由は極めて幼稚なこと。大臣たち曰く「日本選手が金メダルを取って活躍しているシーンが少ないではないか。」この余りもの幼稚さに、当時の私ですら驚いた。今で言うまさに老害。年寄りの大臣たちが集まって「日本大活躍、日本すごい、日本復興した」といったレベルで期待していたものが、市川崑作品には見られなかったと言うのだ。

 その後改めて公式記録映画なるものが作られたが、それはこれも記憶がおぼろだが、学校で見せられた?ような記憶がある。全く印象に残っていない。ただ1つの場面すら覚えていない。要するに日本が大活躍して金メダルたくさんとった。そこにばかり焦点が当てられて、そんな事は終わった事実としてみんなが知っている。そんなことを改めてただニュース映像みたいなものを並べてつなげたものを見たって何の感動もない。したがって記憶にも残らなかった。今現在でも思い出せと言われても全く思い出せない。逆に市川崑の作品は先にも言ったように、今も鮮明に覚えている。もちろんこれは後にビデオに録画して見たと言うこともあるが、2つの作品の出来栄えの差は比べるのも恥ずかしい位の、いわば比べる以前の問題なのだ。



 まぁともかくいろんなゴタゴタを残して東京オリンピックは終わった。日本は敗戦から約20年、世界に復興をアピールするチャンスだと言うことで、東京中心にインフラ整備のレベルの高さを世界に示すべく、莫大なお金をかけてあらゆるものを整備した。日本最初の本格的な高速道路は東京から離れるが、名神高速道路だ。東海道新幹線はオリンピックの10日前に開通。そして東京は地下鉄の建設と首都高速道路の建設に全力を注ぎ、国費を導入して突貫工事でオリンピックに間に合わせた。世界からやってくる人たちに、復興日本の凄さを見せるのが最大の目的だ。そして粗相なくオリンピックを成功させることも世界に見せつける。つまり日本のナショナリズムを最大限に発揮して、全国民一人残らずオリンピックに協力させ、オリンピックに喜び、過去最大の金メダル数を世界に見せつけた。

 もちろん中学生だった私は、当時こんなことを考えていたわけではない。もっと後になってから振り返って、このようなことがふつふつと脳の中に浮かび出てきたと言うことだ。1968年のメキシコオリンピック。テレビで見た記憶はほとんどない。覚えてるのはサッカーが銅メダルの快挙と言う場面。しかしそれ以上にショッキングだったのは男子100メートル決勝で、アメリカ人選手2名が表彰台に立った。そしてアメリカ国歌が演奏される時に2人の選手は国旗に向かって拳を突き上げた。もちろんアメリカだけではなく、国内外から大きな非難が寄せられることになる。拳を上げた2人の選手と言うのはともに黒人だった。言うまでもなく彼らは、アメリカ国内における黒人差別への抗議の意思を、世界が見ている中で見せつけたのだ。逆に言えばアメリカにおける黒人差別は1968年当時になっても悲惨なものだったと言う証だ。これ以降もオリンピックでは様々な問題が起こる。ミュンヘンではテロリストたちが選手村を襲撃し、多数の選手が殺害された。社会主義圏では違法薬物が問題視されるなどなど。オリンピックそのものが疑惑の場となっていく。

 私自身も大人になり社会人になり、オリンピックと言うものを単純に楽しいものだなんて目で見る事は、全くなくなっていたというか、中学生の頃から何か冷めていたように思う。

 来年は延期になった東京オリンピックが開催される予定だ。新型コロナがどうあれIOCは開催すると断言した。今や私は「オリンピックそのものに実施する意味は無い」と思っている。あらゆる競技を集めて1つの都市で密集してやることに、一体何の意味があるのか。「平和の祭典」などと言う言葉は残念ながら、虚無的にしか聞こえない。平和ではなく各国の思惑とナショナリズムが渦巻く中で、莫大な国費を使って行われているのが実態だ。不正問題も多々あると言われている。金持ちの国しか開催できないようなオリンピックに意味はない。各競技ごとに世界大会があるのだからそれでやればいい。その世界大会で金メダル銀メダル銅メダルが出るのだから、何ら問題は無いはずだ。でもオリンピック選手に選ばれた人たちは必ず同じことを言う。「オリンピックは特別な場だ。」当事者であればそういう思いにもなるんだろうが、一般人にはどうにもこうにも響いてこない。1人のオリンピック選手を育てるのに個人の努力だけで達成されるものではなく、今ではオリンピック選手を輩出するのに特別なサポート体制が取られ、これまた莫大な国費が投入されている。かつてはアマチュアが出場するものであったが、今やプロ選手も出られる。それをあえてドリームチームなどと言って嬉しがっているような様子を見るたびに、私自身はいっそう冷めてしまう。

 来年の東京オリンピックは招致委員会が裏金を使い嘘のアピールをして、開催を奪い取ったものだ。最初からしらけている。日本では最高の競技シーズンと言う嘘をついて、実際には猛暑日の連続の状態なので、マラソンや競歩は北海道ですると言うから、論理的に破綻しているのだ。とにかく金は東京都民の金でやってくれ。それ以外の国民の税金は使うな。私が声を大にして言いたいのはその点だ。

 それにしても1964年の東京オリンピックから比べると、オリンピックそのものもずいぶん汚れたものになってしまったのは、必然的だったのかもしれない。

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