切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《日本学術会議に関する問題は、任命拒否の理由を明らかにすればいいだけの話》

2020-10-21 23:07:00 | 社会



 菅政権発足そうそうこの問題がずっと長引いている。いつまでたっても理由の説明なし。菅首相の言い方はいつも同じ。「日本学術会議には10億円の国費が使われている。彼らは準公務員の立場にあるからその立場で行動してもらわなければならない。」と言うことの繰り返し。おまけに何を血迷ったのか、先日は105名の入れ替えに関わって6人を排除した99人分の名簿を見てもいない、などといった。そんなはずはないだろう。彼が強調して言う10億円の国費が使われているのに、名簿を見てもいないとは誰がそんなことを信じると言うのか。さらに官房長官なども同じ言い方をする。そして6人の排除の理由を言わないのは「個人の問題に関わることなので言えない」だって。

 国民に本心を言えばただでさえこの問題で反発が強まっているのに、さらに轟々たる非難の声が上がるのが分かり切っているから言わないんだろう。そしてこれからも同じような問題が予想されるだけに、その時のために備えて具体的な理由は言わないでおくことにする、となっているんだろう。ますます国民の不信感は強まるだけだ。

 メディアの報道によって明らかなように、排除された6人は国会の意見陳述や様々な場での発言が、政府の主張と相容れない、あるいは批判的であるというのが理由である事は、もはや誰しもが思っている事だ。そんなことは国民の大半がわかっている。当然内閣を構成する議員たちも官僚たちもみんなわかっているはずだ。

 この問題の重要なところは「日本学術会議」が戦後間もなく、どういう理由でどういう経過をたどって発足したのか、そして日本の人文科学理系科学において、必要なあり方や政策について提言していく役割がある。その背景には太平洋戦争以前から科学者たちが戦争の武器開発などに利用され、ほとんど無批判的に従った大きな反省があるのだ。だからこそ戦後日本の科学者たちは文系理系含めて、戦争にあるいは武器開発につながる研究はしないとの信念の元で活動している。そこに学術会議の大きな存在意義があるのだ。

 しかし安倍政権を通して、改革と言う名の元のご都合主義的改悪につながる研究はしないとの信念のもとで活動している。そこに学術会議の大きな存在意義があるのだ。しかし安倍政権を通して改革と言う名の元のご都合主義的改悪に突き進み政府にとって、都合の悪いものはやめて都合の良いものだけを推し進める。あるいは発足させると言う政策をとってきた。その手法があまりにも強引でしかも公文書改ざんなども含めた、犯罪的なやり方をしてきただけに、多くの国民は政治への不信感を募らせ、私のような癌治療中の爺いまでもが立腹せざるをえない有様となっているのだ。

 安倍晋三氏が辞職して元官房長官の菅氏が新たな総理大臣となり、直後の内閣支持率は異常なほどの高さとなった。これは図らずも安倍内閣に辟易して諦めていたところの反映だと思われる。菅内閣になって国民のために政治をやってくれるとの期待感が高まったのだ。

 ところがいざ始まってみると、早速菅政権はつまずく。後は言い訳の連発。しかも10億円10億円と強調する。おまけにどこから出た話かは知らないが、学術会議の会員になれば4000万円の年金がもらえる、などと言う明確なデマなのか勘違いなのかわからないが、そんなとんでもない話まで出る。当然年金など何もない。会議に1日出席して約20,000円と言う会議であり、しょっちゅうあるわけではなく時々だから、会員の人たちは学術会議による収入はせいぜい年間100,000から200,000円といったところだろう。こうして首相や官房長官だけではなく、どこからどういう風な話かわからないにしても、学術会議を貶めるような話がSNS上で炎上したり、あるいは保守系国会議員からも似たような話がSNSで発信されたりする。いわば政権は、そして自民公明の権力は学術会議をまるで敵視しているかのような状況に至っている。



 今日もベトナム、インドネシアに訪問していた菅首相はこの件に触れて、またしても同じような内容の繰り返し。そしてついにはこの問題をきっかけに、学術会議のあり方や内容について再検討を始める、改革の対象とする、と言い始めた。これは一体何を意味するのか。簡単に想像がつく。

 一方行政改革担当大臣の河野洋平氏は、聖域なき改革実行するとのことで、今はハンコが対象になっているが、この学術会議なんかも当然含めて改革と言う名の大改悪を始める事は目に見えている。この日本学術会議についても単にお金の問題ではなく、特に「人選」について何らかの基準が内閣によって作られ、法制化されることになるだろう。

 先日内閣に設置された「成長戦略会議」には内閣が人選したのか首相と官房長官が人選したのか知らないが、三浦瑠麗氏や竹中平蔵氏など保守右派のジャーナリストたち、商工産業界のお偉いさんたちがずらりと並ぶ。この人選は誰がしたのかはおおよそ見当はつくものの、政権にとって都合の良いメンバーばかりが選ばれているようだ。このような状況の中ではディスカッションして、討論の中で様々な意見を戦わせると言う場面はほとんどないだろうと見当がつく。誰かが提案したり意見をしたりすると皆さん揃って「そうですね」といった風に、平和的に事態は進み政権にとって都合の良い政策が提言されることになる。

 日本学術会議の排除されたメンバーの問題に戻って考えてみると、その理由を明らかにしない。ただ一方的な都合で排除されたと言う事実だけが国民の前に提示されて、不信感を全国に広める。こんなことしてて日本には「民主主義」と言うものが本当にあるのかどうか、疑わざるを得ない。いや既に日本に民主主義と言うものが言葉として、形骸化したものがあるだけだと私は思っている。

 むしろ時間がかかっても、排除理由を明確にして、そこから政権側の言い分や抗議する人たちの言い分を戦わせて、そこから解決策を導き出すと言うのが民主主義の基本的なあり方なのだ。

 今回の件では新たに官僚のトップと言われる警察公安畑出身の官僚が動いたとされている。79歳。テレビで見る限りかなりしゃきっとした姿勢だ。公安と言うのは何をやってきたのか。警察と違って公安はかなり秘密の部分が多く、その職も内容もほとんど明らかにされていないが、反権力反政権の動向を調査することが主要任務らしい。しかも各個々人についても尾行や発言等のチェックも含めて、どのような思想の持ち主かといったことを調査する機関でもある。まして対象者が学者や著名人であれば影響力も大きいので、そのような人物が政権の政策内容に少しでも関わるような場に出てくるのならば、絶対阻止と言うことになるだろう。いわば戦前戦中における特別高等警察みたいなものだ。したがって学術会議に反政府的な考えを持つ者が入ってはならないのだ。

 そして今や政権は、「問題点のすり替え」を行っている。つまり排除された6人の排除理由と言う問題をどこかにやってしまって、「学術会議のあり方」に焦点を無理矢理合わそうとしているのだ。極めて姑息であり卑怯であり、なんともちっちゃな心意気しかないような政権としか言いようがない。野党がこの問題をどこまで追求できるのか。同じような答弁が繰り返されるのを聞いているだけで終わるのか。もしそんなことであれば安倍政権時代の森友加計問題について、犯罪的な内容を追求しきれなかったことを生かすことすらできない。本当に情けない国日本となってしまったものだ。

 国会や内閣、政権と言うのは国民に大きな責任を負って仕事をしているはずだ。「説明責任」も当然その中に入る。とにかくトップの顔と名前が変わっただけで中身は本質的には何も変わらない。またまたため息・・・

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