切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《菅総理大臣は独裁者となるのか》

2020-10-03 22:16:00 | 社会



 安倍総理大臣が退任して予定通り菅新総理大臣が誕生した。長い間安倍内閣において官房長官を務めてきた彼のことであるから、これまた予想通り「安倍政権の政策を引き継いで云々」と述べた。それにしても不思議なのは、安倍総理が退任すると言うことを発表した後の内閣支持率の異様なまでの高さ。メディアではこれは同情指示等と報道したりしていたが、同時に狡猾な雰囲気がない、いわば好感度の高いと思われる菅新総理に対する期待感の表れでもあるとの報道も目立った。

 そして新総理は様々な場で自分自身の政治家に至る思いを色々と述べたが、これがまた国民の気持ちに訴えかけるような演出になっていて、秋田の田舎で生まれたこと、そこで高校まで卒業し、集団就職で東京の方へ出てきたこと、働いてお金を貯めて大学へ行き、そんな中で政治家を目指すようになった、などと言う非エリートの生い立ちを述べて、国民に訴えかけたわけだ。

 確かに今までの総理大臣と違って(田中角栄の例はあるが)、政治家の裕福な家庭に生まれ世襲の如き、当たり前のように親の政治家の道をそのままたどって、また政治家になるような者とは違うと言う側面を大きくアピールしたのだ。大半の国民は菅新総理の内閣は違うぞ、との期待を持たせるには充分だったのかもしれない。真っ先に政策面で彼が取り組むのは、「コロナ問題」「ゴーツー〇〇」を通して経済復興の政策となる。もちろんこれらは新しいものではなく以前からの継続した取り組みだゴートゥーについては相変わらずあちこちで混乱が続いており、応募の仕方や登録の仕方、登録しても肝心のゴーツー用のグッズが届かない、などなどの問題があちこちで発生している。そんな中、東京都民のゴートゥートラベルも解禁され、特に休日には各地がにぎわいを取り戻しつつあるような状況になっている。

 これを見て多くの国民が「さすが菅新総理大臣」なんて思ったことだろう。新聞広告にもあるいは書店にも、今まで安倍総理大臣を大絶賛する右翼系雑誌が今や「安倍総理大臣どうもありがとう」と言う特集を組んでみたり、新たな菅総理大臣への期待を右翼系の文化人と称する人たちが作文を載せている。なんともかんとも気持ち悪い有り様が展開されようとしている。


 そして今回「日本学術会議」の問題が突然発生した。一部の報道によれば突然ではなく、安倍総理の段階で内密に進められていたことを、菅総理が実施したことのようになっているものの、いずれにしろ菅総理の名前と指示で行われたものだ。

 日本学術会議の名前はずいぶん前から知っていた。人文系理科系の様々な分野から数多くの専門家である大学の先生、研究機関の人々が選ばれて、様々な政策に専門的な立場から分析しアドバイスをする独立機関である。税金によって設けられているものなので、選出された人々はその期間公務員に準ずる扱いとなる。この学術会議が今まで果たしてきた役割はかなり大きいと言われている。今までも新聞やテレビなどの報道で、学術会議が提起した問題について見聞きしたりしている。

 ところが今回、学術会議発足以来初めてと言う推薦者拒否が、菅総理大臣によって行われると言う事態が発生した。百何十名もいると言う大勢の中から、6名だけが菅総理の指示によって排除されたのだ。当然6名は納得できないと言うことでインタビューに応じて、その不当性を訴えただけではなく、様々なジャーナリストや大学機関などが抗議声明を出している。そして菅総理は6名を排除した理由については一切明らかにしようとしない。1つだけ語った事は「法に則ってやっている」だけだ。これでは意味が全くわからない。国民の税金を使って総理大臣の職も保たれているのであり、学術会議も運営されているのだ。該当者たち本人に対して説明するだけではなく、納税者である国民にも説明する責任がある。それをせずに税金を使いながら、裏で姑息な方法で自分たちの思い通り勝手なことをやり始めたのだ。1人の大学教授は「この事は将来にわたって大きな禍根を残すことになる。」と述べた。当然だろう。


 もともと日本学術会議と言うのは、なぜ政府から独立した機関として組織され発足したのか。その理由は戦争前にさかのぼる。日本では日中戦争を通して軍人が政権を握る。その中で特別高等警察が様々な政府に異論を唱える人を弾圧し、逮捕し殺害までした。さらに学者に対しても政府の思い通りにならない学者の説に弾圧を加える。「天皇機関説問題」はその代表的な事件だ。そうしたことの反省に基づいて日本学術会議は発足したはずなのだ。

 にもかかわらずその反省を生かさず、このようなことをすれば、学術会議に参加している学者たちが政権の言うことをよく聞く人たちばかりで固められてしまう第一歩となってしまうのだ。つまり排除された6人は安倍政権のもとで政策として強行採決してきた、安保法制や沖縄問題等に対しても様々な角度から、政府を批判する意見を述べている。

 つまり政府のやることに反する考えを持つ者は邪魔者であると言う発想だ。それらを全て排除して、学術会議が政府の提案した通りに何でもかんでもyesと言えるような組織に作り替えていくことが今回の大きな目的なのだ。

 こんなことをわざわざ言われなくてもわかる、と多くの国民は言うだろう。でも果たしてそうなんだろうか。理屈の上で落ち着いて考えれば確かに誰だってわかると思う。でも日本全体が総右傾化に傾いている状況の中では、このような問題もあまり注目されず、マスメディアが何かワイワイ騒いでいる程度にしか受け止められない現場が広がりつつあるのも一方の実態なのだ。だからこそよく考えたらわかるようなことでも、また多くの良識ある人々が訴えていても、一般市民の立場から訴える声も必要なのだ。マスコミというか国民というか、どう言っていいのかわからないが、菅新総理のことを一時は「令和おじさん」などと言ってテレビでは街の声を紹介し、「かわいい」「穏やかで優しい人」と言ういわば安倍総理がよく言っていた「印象操作」のようなことが行われ、改めて調査された内閣支持率においても、60%を超える極めて高い内閣支持率の数字を示した。政権にとってみればこれほど喜ばしい事は無いだろう。黙っててもマスメディアがやってくれる。これだけの支持があれば、少々のことをやっても国民は気がつかないだろう。菅総理のやることだから間違いないだろう。そんなに騒ぐような事でもないだろう、と言う形で突破できると思い込んでいるのだ。

 我々国民もよほど馬鹿者扱いされたというか。まさに愚民化政策そのものだ。約8年にわたる安倍政権のもとでかなりひどいことをしても国民はほとんど怒らない。小さな規模のデモがある位で、諸外国であるような大規模デモ、暴動、そんなものは日本では起こり得ないとタカを括っている。

 確かに考えてみれば、愚民扱いされても仕方ないような多くの日本国民の体たらくが見て取れる。一部の良識層はメディアでも発言するが、その肝心のマスメディアそのものが安倍政権時代に政権に取り込まれ、忖度と言う言葉が流行ったように、もはや政権に逆らうことができないと言う状況になっており、いわば安全路線を行けば何もかもうまくいくと考えているとしか思えない。テレビで積極的に発言している朝日テレビの社員である玉川徹氏やジャーナリストの青木理氏などは普段からSNSで総攻撃を受けている。もちろん攻撃している連中の大半は右翼、あるいは右派系の人たちであり、中には思想信条に関係なく全体の大きな流れに乗っかって、調子に乗って攻撃してるのもいるんだろうが、SNSでは逆に良識ある人々を応援する者もいるんだろう。しかしどうしてもネットやテレビなど見ていると、ネガティブなSNSの内容しか紹介されないことが多いので、極めて不安を覚える。

 こういう動きこそが保守政権の狙っていた流れであり、実態であると言う事は間違いないし、かなり昔からこうなるように取り組まれてきたものなのだ。菅新政権はまず第一歩として、日本学術会議の推薦人事に強権を発動し、邪魔者を排除した。次は既に発足している内閣人事局を使って、邪魔な官僚を全て左遷する。政権の飼い犬になる者だけを残して出世させる。こうして政権及び官僚機構はほぼ完全に「独裁体制」を構築できる。

 さらにこの次はマスメディアの完全掌握となるだろう。テレビの東京キー局だけではなく、地方系列局にも目を光らして反政府的なニュース情報番組は次々につぶしていき、政権にゴマをするキャスターなどを採用させる。新聞記事も同様だ。民間企業はどうなのか。これはもうとっくの昔から大企業を優先に法人税の大幅な引き下げ。これらの社長たちの資産はとんでもない数字になろうとしている、というかなっている。中小企業、これは菅総理が最初に言った言葉の「自助共助公助」の中の自助でなんとかせよ、となるだろう。別段中小企業が倒産しようが政権にとっては、大企業がその分を補っていれば痛くも痒くもない。そして銀行も既にだいぶ前から淘汰は始まっている。メガバンクについては様々な不祥事があって、なんとそれを国民の税金使って助けてきた。そのための条件はメガバンクの整理統合だ。そしてこれが今や地方銀行に及ぼうとしている。地銀が多すぎて各地域ごとにまとめて合理化しよう、と言う案が間違いなく実施されるだろう。

 そして弱者と言われる呼ばれる生活困窮者対策問題。これこそが自助共助公助と言う言葉を使いながら、事実上自分のせいで転落したのだから自助でなんとかしろ、となることは目に見えている。せいぜい共助のところで終わりだろう。公助なんていうのは、阪神大震災や東北大震災、巨大台風による大災害あたりにしか適用されない。今回のコロナ問題でも莫大な税金を使って、それを享受できる人と享受できない人がいて、いわば得する人たちにはいいのかもしれないが、大半の利用することができない人たち。これは私も含めてだが、そういった人たちはほったらかしで物事は進んでいく。つまり自分が納めた税金の分は、他の人のところに行って、自分のところには何も戻ってこないと言うことだ。

 こうして不公平さはますます進み、政策的な格差社会と言うものがいっそ明確化してくるようになる。要するに安倍政権同様、菅政権も国民から集めた莫大な税金を使ってどこを向いて政治をするのかと言うことで、これについてはもはや言うまでもないだろう。大企業や富裕層であり、中小零細企業や貧困層は自助努力が足りないので、どうか死んでいってくださいとなるのは目に見えている。これが一応「先進国」と言われている国の実態なのだ。今は菅政権だが、来年以降どうなるかわからないが、これから長く自民党政権は少なくとも、今の国民の愚民化政策が成功を収めつつある状況を見る限り続くだろうと思う。

 もはや私はあの世に行っていると思うが、これからの若い人たちはかつてマスコミが流行語として言っていたように、「勝ち組と負け組」にはっきりと分かれて、負け組は自助と言う言葉の前に自分が悪いんだからしようがないとなって、この世から消え去っていくようになる。一方勝ち組になる連中は、血統の良い大企業や政治家の家系、一攫千金で大金を得た者たち、そして彼らに共通する政権への応援団の立場。彼らが富の大半を独占し、そのような資本主義的な極めて大きな矛盾も、マスメディアの報道によって否定され消され、人々の中には諦観が漂うようになる。


 もうこれ以上長々となるので言わないが、「自民公明独裁政権」の国民支配がこれから待っているのだ。まさかそんなと思う人も多いだろうと思う。しかし私自身は紆余曲折はあるものの、このような方向に向かうのは間違いないと思う。最大の原因は、選挙でこのような方向性を目指す政治家を選んでしまうと言う極めて大きな無責任さがあるからだとしか言いようがない。私は選挙権持ってから自治体選挙であれ国政選挙であれ、ただの1度も保守党に入れた事は無い。野党の各政党にはもっと本気でやれ、と言いたい。野党再編と言いながら、中でぐだぐだしている。こんなことやってる限り絶対に無理だ。そして国民ももっと怒れと言いたい。怒る人いるが、大半は自分より弱いものに対して怒ってるばかり。権力に対して怒ると言いたいのだ。

 それにしても菅首相の肝っ玉の小さいこと。こんな姑息なことをせずに政策に賛成してくれる人、批判してくれる人に対して堂々と議論すれば良い話だ。それが民主主義の基本と言うのに、何か情けなくなってくる。なんて言っている私も大した事は無いのだが・・・



(写真や図は他HPよりお借りいたしました。)

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